語る真実3
神殿前の広場には、市民全員と言っていいほどの人が集まっていた。こんなのは前祈りの巫女が亡くなり、リフィルが任命されたとき以来、とリーンハルトがこぼす。
人々は皆、神殿を見上げていた。そこから堂々と民衆を見下ろすリフィル・ハートレットただひとりを見つめていた。
ワープは震えが止まらなかった。リフィルの後ろに立ち、騎士候補生たちに囲まれながら、それでも恐ろしかった。今日で全てが変わるのだ。
「君は堂々と、君の中の思いを民にぶつければいい。それ以外にすることはない。簡単だろう?」
ケットがひょいと覗きこんでくる。
「次期巫女がそんな顔をしていてはいけない。しゃきっとねこさんだ」
ワープは笑った。緊張を解こうとしてくれているのだ。相変わらず顔はこわいけれど、ケットがねこさんと口にするとどうしても笑ってしまう。
「そうだよ、ワープ。何があっても、僕らがついてる。君を認めている国民は確かにここにいるんだから」
アナがいつものように穏やかに言った言葉が、どんなにワープを勇気づけてくれただろう。
頑張ろう。もう道は決まっているのだ。ケットの言う通り、自分のすべきことは、もうわかりきっている。あとは、やりきるだけ。そのあとどんな結果が待ち受けていようと……。
リフィル・ハートレットは演説を始めた。
高らかな声。よく通り、心を掴まれるような力強い声。幼い頃からワープが憧れていた、巫女姫の声だ。広場中、いや、地平線の果てまでも届きそうに思えた。人々でごった返していた広場が、リフィルの声が響きわたった瞬間にしんと静まり返る。
「あたしは15年前、亡きアディルの後を継ぎ、祈りの巫女となった。アディルはあたしの母となり、師となり、素晴らしい巫女だった。彼女の死と同時に、彼女の騎士も亡くなった。今、祈りの巫女と巫女の騎士における呪いについてお話ししましょう」
リフィルは、今まで国民に表立って説明したことのなかった、巫女と騎士のあり方をいちから話すつもりらしかった。自らが巫女側の立場であるゆえに、ワープは忘れていた。国民は、疑問に思っていただろう。巫女が代わったあと、以前の騎士たちは何をしているのだろう、と。
「巫女の騎士になった者は、神から呪いを受ける。永遠に……いいえ、巫女が死ぬまで、不老となる呪いを。巫女の騎士とは、巫女を護るための傀儡。そして巫女が死ねば、呪いは解ける。一瞬のうちにそれまでの老いを身体が受ける。人間が耐えきれるものではない。すなわち、巫女の死は騎士の死なの」
初めて、広場がざわめいた。皆怪訝な顔でリフィルを眺め、ツルハやリーンハルトを見やる。
リフィルが大きく深呼吸する。ツルハが右側に、リーンハルトが左側に、それぞれ己の巫女を支えるように寄り添った。
「祈りの巫女は国民のために神に祈るための存在。神に思いを届けられる唯一の存在。この国ではずっと、そうされてきた。あたしもそう信じてた……しかし、神はそう思ってはいらっしゃらなかった」
「どういう意味です?」
初めて広場の人間から声が飛ぶ。不安げな顔をして、赤子を抱いた女性からだった。
リフィルはまっすぐにその女性を見つめ、それから広場全体を見回す。大きく息を吸い、澄んだ声で叫んだ。
「神にとって祈りの巫女とは、罪人だったのよ」
しん、と広場が静まった。リフィルの言葉の意味を、ひとりひとりが飲み込み、意味を図ろうとしている。
「祈りの巫女は神に国民皆の平和を祈るために存在する。それは変わらない事実。けれど、それは巫女が気高い国民の象徴だからではない。神から罰を受ける罪人だからなの」
民衆はどよめいた。
「リフィル様は、罪滅ぼしのために神に祈っていらっしゃたのですか」
ひとりの青年が問う。リフィルは悲しそうに首をふった。
「いいえ。それは、誓って言います。この真実を知ったのはつい先日。あたしは真心から祈りの巫女としての責務を果たしてきたと」
「……何に誓うと言うのです。神は巫女を咎めていると、あなたが言ったのに」
リフィルは目をふせて、
「……神があたしを見限っていても、あたしは神に忠誠を誓ってきたわ」
囁くように発せられたその言葉は、民に届いただろうか。
広場のざわめきはおさまらない。事の真意を図りかねている者がほとんどだった。リフィルが言った罪人という言葉の意味を、誰も理解はできないようだった。
そっと、背中を押された。
ワープが振り返ると、ラインがゆっくりと頷く。ワープは唇をきゅっと結ぶと、しっかり頷き返した。
ワープはリフィルと騎士たちの隣に立つ。
「皆さま」
大声を張り上げたつもりだったが、甲高く震える声が出てしまう。ワープは息を吸い、もう一度しっかりとお腹に力を込めた。
「皆さま、私は次期巫女のワープ・セベリアと申します。私から、祈りの巫女の罪とは何なのか、古の時代に生きた初代の巫女姫にまつわる話を、皆さまにお伝えします」
ふわ、と緑色の光がワープの前に飛んできた。これは、風魔法?見ると、アナが微笑んで頷いた。風の精霊が、ワープの声を運んでくれる。これで、広場にいる全員に声が届くだろう。
「本当は、皆さまひとりひとりに向き合ってお話ししたいのですが、早く真実を伝えるために、この場から失礼いたします」
ワープは深々と頭を下げる。
「私は御座所で、精霊王からお話を聞きました。ファラというひとりの少女が、いかにして祈りの巫女となったかを。そのきっかけは、彼女の騎士となるシエという青年との恋でした」
再び、人々は静寂を取り戻していた。ワープの声が、風の精霊に助けられて広場に響き渡る。
「ファラは戦場へ向かうシエのために、神に祈りました。それが、神の怒りに触れたのです。私欲のために神を利用しようとしたことへの怒りです。シエは彼女のもとへ戻りましたが、ファラは村を燃やされ、祈りの巫女として生きる使命を課せられました。人々は神に様々に祈ります。祈りの巫女とは、人々の勝手な願いを神が受けることの、反動として罰を受ける存在なのです。全てのひとへの祈りを捧げ続ける存在なのです。そして巫女の騎士は、そんな神の怒りの矛先を、失われないように守るための存在なのです。
祈りの巫女の紅色の瞳には」
ワープは人々を見つめた。
「ファラの祈りによって神に滅ぼされた村の、人々が流した血の色が刻まれています。だから、巫女は祈るのです。犯した罪を、瞳に宿しているから」
涙を流すひとがいた。
皆、ワープを見つめ、リフィルを見つめていた。
「今、国民の象徴として在る祈りの巫女は間違い。本当の祈りの巫女は、この国でただひとりの罪人。……それを皆に知ってほしかったの」
リフィルが言う。そっと呟かれたその言葉も、風の精霊が広場の人々に届けてくれる。
「…………でも!」
ワープは叫んだ。突然大声を出したから、風の精霊は驚いてしばらく残響となって広場を震えさせた。
「私はファラを罪人だとは思えません。巫女の祈りを贖罪の道具になどしたくありません!だって、リフィル様を見てきたから。リフィル様は心から国民の平和のために祈ってきました。それが神からの罰だったなんて思いたくない!」
くらりと目眩がするほど、感情が高ぶる。
「私は神に従わないことを決めました。私の騎士には呪いを受けさせません。私は贖罪のための祈りはしません。ただ、ずっと信じてきた祈りの巫女のあり方を……心から、国民の皆さまの平和を願って、祈りたいのです」
人々から、悲鳴に近い声があがった。
「そんなことをしたら……神がお怒りになる!」
「祈りを届ける先は神だとお忘れでは?」
「災厄が起こったらどうしてくれる!」
ワープは黙ってその叫びを聞いていた。
やがて両手を広げ、そっと言葉を発する。
「私が祈りの巫女となったとき。神の怒りを受けるのは、巫女である私だけです。神にとって巫女は、そういう存在なのですから」
「もしそうでなかったら?何か起こってからでは遅い!誰かが死んでからでは遅いのだ!」
その言葉に、ワープは怯んだ。
自分のせいで、誰かが死ぬ……その言葉の重みに、覚悟が揺らぐ。もし、神の怒りがワープ以外のものに及んだら……?
「ええ、そう、その通りよ」
腕を組み、俯いていたリフィルが顔をあげた。
コツ、とハイヒールの踵を鳴らして、ワープの前に立つ。
「誰かが死んでからでは遅いの。だから、あなたたちがしたいようにしてほしい。祈りの巫女を、どうするか。神に償い続けろと言うのなら、そうしましょう。この立派な神殿を出て、罪人として生きろというのなら、そうしましょう」
人々は困惑の中にいた。しかし、集団は恐ろしいものだ。お互いにお互いの出方をうかがい、そして大抵は、最初に言い出した者、または数の多そうなものに従う。
「祈りの巫女を罪人としなければ、神がお怒りになるかもしれない……」
「そ、そうだ!あやつは罪人のくせに、我々を見下ろしておる!」
「巫女を捕らえよ!」
民たちは、神殿に押し掛けようと動き出す。
「待って……待ってください」
ワープの声は届かない。
リフィルは目を閉じ、ふたりの騎士たちが寄り添う。何があろうと受け入れる覚悟を、彼らはとっくに決めていたのだ。
ただ、リフィルはワープに言った。
「あたしたちが出した答えは、変わらない。何があろうと受け入れる。けれど、あなたは違うでしょう?あなたの答えがここで待つことでは得られないのなら、行きなさい」
「リフィル様、そんな、嫌です。捕らえられるなんて……そんなことをする必要はないはずです」
「いいえ。民がそうしたがっているのなら、従う」
リフィルの目は、騎士候補生たちに向けられた。
「しばらくの間、ワープの味方は、本当にあなたたちだけになる。……どうか、よろしく頼むわ。絶対に、ワープを護って……!」
「リフィル様!私、ここに残ります。リフィル様だけを置いていくなんて……」
「あなたの覚悟はそんなものなの!?」
ぴしゃりと怒鳴り付けられ、ワープは身を竦めた。リフィルは炎のように本気で怒った目を向けてくる。こんな顔で叱られるのは、初めてだ。
「そんな覚悟で、民を納得させようとしていたの?だとしたら殴るわよ」
ワープは目に一杯涙を溜め、首をふった。
リフィルはふ、と優しい微笑みを浮かべる。
「捕らえられるのはあたしだけで充分。あなたはまだ巫女ではない。けれど、それはきっと武器になる。あたしにはできないことが、あなたにはできる……そんなことがきっとあるはずなの」
「でも、でも、私……」
ワープはだだっ子のように首をふり続ける。
リフィルが人々から罪人のように扱われるなんて耐えられない。逃げるのなら、リフィルに逃げてほしい。自分の身も、理想も、どうなったってかまわないから。何より大切なものは、他でもないリフィルなのだから。
でも、リフィルの覚悟を否定することなんてできない。ワープは大粒の涙をこぼして、ただただリフィルを見つめた。
「祈りの巫女は泣いてはだめよ?」
リフィルが指をのばし、優しく濡れた頬を拭ってくれる。
「まだ、巫女ではないとおっしゃったのはリフィル様です……」
「ふふ、そうね」
リフィルは目を細め、いとおしくて仕方ないというようにワープを抱きしめてくれた。
「……しばらく会えなくなるだけよ。あなたの理想の先に、あたしも立たせてくれることを信じているわ」
ワープは泣きじゃくりながら、リフィルの身体にしがみつく。お化粧と、石鹸のにおいがした。離れたくなかった。それなのに、リフィルはワープの身体をそっと押し退ける。
「今は、行きなさい。あなたと、あなたの騎士たちのために」
神殿が騒がしくなってきた。人々は門を破り、もうすぐここへやって来るだろう。
ワープは騎士候補生たちを振り返った。皆、ワープの決断を待っている。何があろうと、自分とともに行こうとしてくれている。
涙を拭い、行こう、と心に決めた。自分に何ができるか、何をすべきか道は見えない。けれど、彼らと一緒ならば。彼らがいてくれるのならば、ここで立ち止まるべきではない。
「必ず、迎えに行きます」
「ええ、待っているわ」




