伝える真実5
神殿の中庭には、美しい池が置かれていた。空の色を映す水面に、鯉たちが起こす波に水草が揺れている。
その池の傍らで、膝を抱えてうずくまっている少女がいた。ケットは足を止め、何をしているのかと目を凝らす。少女……いや、少女に見えるが、気高い巫女の騎士であるツルハ・レナーディアは顔を上げ、キッとケットを睨み付けた。
「声もかけず盗み見とは感心しないな」
「これは失礼しました」
ケットは穏やかに謝る。
ツルハは立ち上がり、髪をさっと払った。それだけで、彼女はもう先ほどまでの小さな少女の面影など消してしまう。その様子に、ケットの胸が微かに騒ぐ。最初に目にしたとき、巫女の騎士たちの見た目の若々しさには驚いたが、それは呪いを受けた身だからだ。ツルハがいかに強大な力を持とうと、見た目には自分と同じ年頃の少女にしか見えない。そんな彼女が気丈な姿しか見せまいとするのに、非礼なこととは思いつつも悲しさを覚えてしまう。
ぽん、と軽く肩に手を置かれ、振り向くとそこにはリーンハルトが立っていた。いつもの調子で顔に笑みを浮かべている。
「ネコちゃんが見とれる気持ちもわかるよ。ツルハちゃんがいつになく可愛らしいことをしているからねえ」
「……黙れ」
ツルハはふいと顔を背け、また池の方を見つめてしまう。
「……リフィルさまの側におられなくてよいのですか?」
ケットが問えば、ふたりはそれぞれ顔を強張らせる。リーンハルトでさえ、一瞬瞳に憂いを浮かべたのが印象的だった。
「リフィル様にも、お一人でいたいときがあるのさ。君の巫女様だって、そうだろう?」
「……そうですね」
ふっと苦笑して、ケットはリーンハルトとともに中庭の池まで歩を進めた。
リーンハルトはツルハと並んで池の鯉を眺め、それから空を見上げて眩しそうに目を細めた。
「あの太陽。どうにもおかしいと思わないかい、ネコちゃん」
ケットははっとした。やはり、彼らも感じていたことだったのか。
「あれが現れてから、精霊たちのバランスが崩れている。君たちも感じていただろう?我々で調べてはいたけど、原因は不明。まるで神がお怒りになっているみたいだ」
神の怒り、という言葉に背筋が冷える。ワープが神に従わない、と決めることを、予期していたかのようだ。
「……ま、何も手出しできないのが現状だけどね。一応、気を付けて。精霊の力が弱まることは、そのまま僕らが使う魔法の力も弱まるってことだから」
「ええ、承知しています」
ケットは目を細めて、空に浮かぶ真っ白な太陽を睨み付ける。何が起ころうと、自分のすることは全力でワープを守ること。ただそれひとつだ。
リーンハルトはじっとケットを見つめ、ふ、と笑った。
「ワープ嬢は本当に成長した。神殿にいた頃とは比べ物にならないほど。君たちの影響だろうね。彼女が神に逆らう覚悟だとリフィル様に向けて言い放ったときは驚いた」
成長したというのなら、自分達の方だ。ワープに突き動かされるように、今までの自分では思っても見なかったことを考えられるようになった。
少しは、近づいているのだろうか。自分達の考える、理想の巫女と騎士の形に。
「リフィル様は誰よりも、祈りの巫女になるための努力を積んできたお方だ。……だからこそ、神への忠誠心も強かった。初代の祈りの巫女の話は、受けとめ難いのだろう。……私はリフィル様の心が壊れてしまうのではないかと、それが心配だ」
ツルハの瞳が揺れる。
「真実を聞いた国民が、リフィル様を責めることは私が許さない。だが、少なからず巫女に裏切られたと感じる者はいるだろう。……そんなとき、私にリフィル様の心を支えて差し上げることができるか……自信がない。私は武力で巫女を守る方法しか知らないし、リフィル様はいつだって気丈だった。こうして崩れかけてしまうことなど初めてだから……」
ぐっと唇を噛み締め、ツルハは首をふって顔にかかった髪を払う。
ケットはまじまじとツルハを見つめた。今まで巫女の騎士として見てきた彼女を、初めてツルハというひとりの女性として見た気がする。祈りの巫女も人間ならば、巫女の騎士もまたひとりの人間だ。悩み、苦しむ存在であるのだ。そんな当たり前のことが、強大すぎる力を持つがゆえに、忘れられてしまう。
「大丈夫です。きっと」
ケットは自分でも気づかないうちにそう言っていた。
「ワープが迷い、悩み、それでも決めた道です。彼女がリフィル様を不幸せにする道を選ぶとは思えません。……信じてください」
言葉にしていくうちに、ケット自身の中にも不思議な自信が沸き起こってきた。
そうだ。ワープの選んだ道だ。それより他に、信じられる道があるものか。
ツルハとリーンハルトは顔を見合わせ、それから同時に笑いだした。
「なるほど、巫女はただ神の怒りを受けるだけの存在ではあり得ないね。我々が、巫女の騎士が、この国最強の武人が、ここまで信頼しているのだから」
「俺にとって、ワープこそが真の巫女です」
「では私にとってはリフィル様こそが真の巫女だ」
ツルハが不敵に笑う。
「考えてみれば簡単なことだった。私は心からリフィル様を信頼している。その私の他に、リフィル様のために動くことのできる者はいないのだからな」
「俺もいますよ、ツルハちゃん」
ツルハはリーンハルトと視線を交わすと、ふっと微笑んだ。安心したような、心から嬉しそうな、そのやわらかな笑みはすぐに消えてしまったが、彼女の顔にそのような表情が浮かぶのが意外で、ケットはにわかに驚いた。
同時に、彼らの間に流れる強い絆を感じる。友情、愛情、信頼、そのどれとも取れるようで、どれとも違う。巫女の騎士として共に剣を取り、呪いを受け、ただリフィルのために戦ってきた彼らだけしか持たない特別な絆だ。透明な泡に閉じ込められ、背中合わせに手を取り合うような、不思議な絆。
彼ら自身は、最初の祈りの巫女であるファラの話を聞いて、何を思ったのだろう。それを尋ねかけ……ケットは口をつぐんだ。
訊かずともわかることだ。彼らにとっての巫女とはリフィルただひとり。古の真実など、リフィルが祈りの巫女として信じやってきたことと比べればどうでもいいことだ。ケット自身が、ワープに対してそう感じたように。
騎士のすべきことは、巫女を守ること。ならばとことん守り抜こう。この剣で。




