決意、その夜
あたたかなランプの光と、ふんわり香る紅茶のにおい。大陸中のありとあらゆる珍しい品に囲まれた校長室は、いつだってワープの心を落ち着かせてくれた。温室を別とすれば、ワープにとって学園で一番居心地の良い場所だ。
ルルが丁寧に紅茶を淹れて、ワープとエルミタージュに差し出してくれる。ふたりがお礼を言えば、深々とお辞儀をして今度はケーキを切り分けにかかった。
ティーカップにお砂糖を入れ、エルミタージュがおだやかに言う。
「よく無事に帰ってきてくださいました。御座所はどうでしたか?」
ワープは立ち上がり、深く頭を下げた。
「私、実は今日の朝方には学園に帰っていました。挨拶が遅れて、ごめんなさい」
エルミタージュは変わらない口調で、どうぞ座りなさい、と促す。おずおずとソファに戻ると、ルルがふかふかのシフォンケーキを持ってきてくれた。
エルミタージュは微笑みを崩さず、美味しそうにケーキを口に運ぶ。
「ワープさんもお食べなさい。美味しいですよ」
「は、はい」
言われ、ワープも一口ケーキを食べた。優しい甘さが、疲れた身体にじんわりと染みていった。
「さて。ここへ来てくれたということは、私に何かお話ししてくださるのでしょう?教えてください、御座所での出来事を」
ワープは頷く。と同時に、エルミタージュは待っていてくれたのだ、ということに気がついた。ワープの心の準備がつくまで。ワープから決意を伝えにくるまで。
「精霊王は教えてくださいました。祈りの巫女はどうして誕生したのか。祈りの巫女とは、本来どういう存在なのか」
古の少女ファラが受けた神からの理不尽な怒りのこと。祈りの巫女とは、神の怒りの捌け口であることを、ワープはエルミタージュに語った。彼と、傍らで聞き耳をたてるルルの瞳が、驚愕の色に変わっていく。
「私は、神に騙されたままの存在になりたくないのです。騎士の身に呪いなど受けさせたくはないのです。私は神に逆らいます。……今の祈りの巫女であるリフィル様にも、真実を伝える決意をしました」
校長室は、静けさに包まれていた。
「……驚きました」
エルミタージュは紅茶を一口飲むと、深い深い息をつく。
「今まで、何人もの巫女が御座所へ足を運びました。しかし、その真実を精霊王から聞き出せた巫女はいない。……ワープさん。あなたは精霊王に見込まれたのですね」
「……私は愚かだっただけです」
「いいえ。精霊王は、愚かなだけの人間に真実を語るようなことはしません」
ティーカップをテーブルに置いて、エルミタージュはまっすぐにワープを見つめた。
「貴女が神に逆らうことで、何が起こるか。私には予想もできません。それが正しいことだと言うこともできません。正直に言うと、かなり不安なのです。近頃の真白き太陽が、災いの前兆に思えて仕方がない」
不安を掻き立て、すべてを焼き付くしてしまいそうなほど、大きく白い太陽。その姿はワープの脳裏にも焼き付いている。
「……しかし、リフィルは真実を知ることを望むでしょう。今、祈りの巫女を名乗るのは彼女です。リフィルに真実を伝え、彼女と貴女が何をすべきか、共によく考えなさい」
「……はい」
ワープは怖くなった。もし、ワープのすることが神の怒りに触れ、とんでもないことが起こったら?
けれど決意は揺らがない。古のファラとシエのために、自らの騎士となろうとしてくれるひとたちのために、神の理不尽を許すわけにはいかないのだ。
「……ラインは、どうでしたか」
エルミタージュの声音が優しくなる。
「道中、ラインさまは龍のように私を守ってくださいました」
「そうですか……」
「御座所にたどり着き、精霊王様の話を聞いて……ラインさまは言ってくださいました。変わりたいと。私の、騎士になろうと」
「……!! 」
エルミタージュは皺の深い顔を更にくしゃくしゃにして、嬉しそうに何度も頷いた。
「そうですか……そうですか。それだけで、貴女がどんなに素晴らしい巫女になりうる方か、わかりました。私は信じましょう。貴女と、貴女の騎士の力を。ラインの心を動かしたのです。貴女の心はきっと、神にも届きますよ」
医務室のベッドに放り込まれたセイルは、上半身を起こして、拘束された右足を不機嫌に眺めていた。骨は折れていたが、アナがかけてくれた治癒魔法により、ほとんど治っているはずなのだ。それなのに、どうしてこんな絶対安静を強いられているのかわからない。
「精霊たちがやってくれるのは、骨を接着剤で止めるようなことくらいだからね。完璧に丈夫な足に戻したいなら、自分の力で治さなきゃ」
そうアナは言ったが、本当はもう歩くこともできるのに、こうして足を吊られてベッドに居続けなくてはならないのは苦痛だ。
医務室は暗く、静かだ。セイルの他には誰もいない。
こっそり抜け出してしまおうか、と考えたところで、そんな企みを阻止するかのように来客があった。
「珍しくおとなしいな。お前のことだからとっくに脱走していると思ったよ」
「……なんだよ」
ケットは可笑しそうに瞳を光らせる。片腕には、連れ帰った子猫を抱いていた。
「おい、そいつまだ逃がしてなかったのか?」
「だいぶなつかれてしまった。良い猫だぞ。アナが温室で飼おうと言っていた」
「ていうか、病室に連れてくるんじゃねえ」
「固いことを言うな。どうせお前しかいないではないか」
ケットは椅子を引っ張り出してベッドの横に座る。子猫はセイルの足元あたりで丸くなった。
「具合はどうだ?」
「絶好調だよ。じっとしてるのが苦痛で仕方ない」
「名誉の負傷だ。存分に味わっておけ」
「名誉、ねえ。間抜けの尻拭いをしただけだぜ」
「まったく、己の巫女を間抜け呼ばわりするのはお前くらいだよ」
ケットは笑ったが、すぐに真剣な顔つきに戻った。そして、彼特有の、思わず身なりを正したくなるような声で言う。
「お前は、ワープのことを本当に守るべき巫女だと思っているか?」
セイルは眉間に皺を寄せる。
「言うまでもねえだろ」
「そうだな。訊き方が悪かった。お前は、ワープのことを巫女だとしか思っていないのか?」
「……何を言ってるんだ」
ケットは深い息をつき、歯痒そうに顔を歪める。そして一語一語噛んで含めるように、
「ワープは次期巫女であり、俺たちの友人だが。お前は果たしてそれだけの存在としてワープを見ているのかと訊いている」
「それだけの存在?それが一番大事なことだろ」
「そんなことはわかっている。セイル、お前もわかっているだろう。俺が何を言いたいのか」
セイルは舌打ちをした。
「お前はどうなんだ。あの間抜けを、ずいぶん評価してるじゃねえか」
「ワープの芯の強さには、魅力がある。心を惹き付けられるのは否定できない。だが俺は、彼女の身分を畏れているんだ。俺は……お前のように強くない」
セイルは驚いて、友人を見た。いつも強い光を帯びているケットの瞳が、一瞬だけ揺れる。けれどまた、その深いブロンドの瞳はまっすぐにセイルを見据えた。
祈りの巫女は国民すべてのものだ。普通の女性らしい幸せは、望めないし望まない。恋愛も、結婚も。
セイルとてそんなことはわかっている。わかっていても、ワープが自分をあくまで友人として、騎士としてしか見ないことには苛々する。けれど、それだけだ。
「おれは巫女の騎士を目指しているんだ。それが最も大切なことに変わりはない。そのためになら、余計な感情は殺す」
「……あぁ。お前はそういうやつだったな」
ケットはふっと笑って立ち上がり、丸くなって眠る子猫をつまみあげて頭に乗せた。
「俺が口を出す問題でもなかったな。しかし、どんな形であれワープがお前を必要としていることに変わりはない」
「お互い様だ、ばか」
セイルはひらりと手を振り、病室を去るケットを見送る。
病室は再び静寂に包まれる。
ぼふっとベッドに身を預け、セイルは自らの腕で視界を塞いだ。
自分のすべきことはわかっている。綺麗事を並べることもできる。けれど、本心がそれに追い付いてくれるのはいつになるだろう。




