子猫3
これで何度目か。手のひらから生まれては、すぐに弾けて消えてしまう緑の光に、セイルは舌打ちをする。先程から何度も通信魔法を使おうとしているのだが、決まってこうして消えてしまうのだ。
「神落としと戦ったからか。精霊の状態が安定しない。これじゃ連絡も取れねえな」
谷底の深い森の中。時おりけたたましい鳥の声が聞こえる他は、木々の枝を風が揺らす音しかしない。
「わ、私、やっぱり行きます。ケットとアナを呼ばないと」
立ち上がりかけるワープの手を、セイルが掴む。
「ダメだ。精霊が落ち着いてくれれば連絡は取れる。今は余計なことすんな」
「でも、セイルはお怪我をされています。すぐにも治療しないと……」
「大丈夫だから!」
苛立ったように声を荒げるセイルに、ワープはびくりと身を縮こませる。
「自分の体のことは自分で判断できる。死ぬような怪我じゃない。大丈夫だ」
ワープはまっすぐに、セイルの青い瞳を見つめた。辛そうに歪み、顔には汗が滲んでいる。大丈夫だという言葉を、すんなりと信じる気にはなれなかった。
ともに助け合い、手を取り合う巫女と騎士。とは言いつつ、武力で守ってくれるのはいつも騎士。傷つくのは騎士の方なのだ。巫女はそうして守られなくては存在できない。
悔しい。守られていると感じるのはこちらだけで、ワープはセイルのために何もしてあげられない。せめて、少しでも傷を癒す術があればよいのに。
子猫がよちよちとセイルに近寄り、大丈夫?と言いたげに一声鳴いた。セイルは汗の滲む顔で笑い、子猫の喉を撫でる。
「……こいつを傷つけたやつが、どんな思いでやったのか、お前わかるか?」
唐突に問われ、ワープははっと目を見開いた。
「世の中には、遊び半分や鬱憤晴らしのために、弱い動物を傷つけるような人間がいるんだよ。動物だけじゃなく、人間相手だってな、たまたま目についたから殺した、なんてことをぬかすやつもいる」
セイルの瞳は、静かに輝いていた。
「おれの故郷は、貴族がいるかもしれないから、なんて理由で焼かれた。個人個人に対する恨みもないのに。ただその街の住人だからって理由だけで、皆、殺された」
ワープの心が、しくりと痛む。セイルがワープに何を伝えたいのか、わかる。そのために、彼の辛い過去を語らせてしまっているのが辛い。
「お前が救いたい、と言うこの国のすべての住人の中には、そういうやつらも含まれているんだ。お前は巫女として、そいつらを本当に救いたいと思うのか?」
ワープは、御座所への道中、山賊に襲われたことを思い出した。
「……はい」
ひとの心は、弱く危うい。
自分さえよければいい、自分の望みこそ全てと思い込み、他人の痛みなど理解しようともしない……。
そんな心を持つ人間はいる。けれど、それがそのひとたちを見捨てる理由にはならない。
ひとは優しくあれるのだ。生まれたときは、皆一様に泣いていたではないか。母の、誰か、愛してくれる人間の笑顔を求めていたではないか。
「きっと、巫女が、見捨てていいひとなどいないのです」
そう言ってから、ワープは悲しくなってうつむいた。
「でも、そんなの、嘘……になってしまいますね」
心が鉛のように重くなる。
「私はセイルの家族を手にかけた野兎を憎みました。巫女としてすべきことに、ワープ・セベリアとしての私がついていけないのです。私は簡単にひとを憎み、恐れてしまいます」
突然、セイルが身を起こしかけ、怪我の痛みに苦悶を漏らした。
「だ、大丈夫ですか!? 」
「お前ぇ……アホか!そんなもん、当たり前だろうが!」
大声で叱りつけられ、ワープは目を丸くする。
「ワープはワープだ。おれはひとを憎むな、なんて言ってない。ただ、憎いやつらの幸せのためにも頑張れるか、って訊いてんだ」
ワープは目を瞬き、やがてこっくりと頷いた。
「はい。どんなにひどいことをしてきたひとでも、悔い改めることはできるはずなのです。その手助けができるなら、そんなに嬉しいことはありません」
セイルはふっと笑った。実際に家族を殺され、故郷を焼かれた彼にとって、ワープの言葉は甘い空想に聞こえたかもしれない。けれどセイルはワープの目をしっかり見て、確かに頷いてくれた。それを見て、また泣きそうになってしまう。
セイルはワープを見つめながら、この小さな少女の内面に潜む危うさを感じていた。
ワープは、自分のことを省みない。不幸な者がいるのは自分のせい、ととにかく自責する。巫女として相応しくあらねばと、無理をしすぎているようにしか見えない。
何がこの少女の自信をこれほどまでに奪うのか。ただ性格が弱いわけではない。ワープは顔も知らない初代の巫女のために、神にも怒りを露にできるような少女なのだから。
ワープが恐れているものは、何だ?
なぜこれほどまでに、巫女として行動することにこだわるのだろうか。あの破天荒なリフィル・ハートレットに育てられたとは思えない。それに、いくら次期巫女として生きてきたとはいっても、ワープだってまだ14歳の少女だ。どうしてここまで自分を無下にできるのか、セイルには見当もつかなかった。
これでは、ワープ自身がいつか潰れてしまう……。セイルには、それが恐ろしかった。
「……セイル?」
ワープが心配そうにセイルを覗きこむ。セイルは真っ直ぐにワープを見つめ、
「お前……ひとに歯向かったこと、あるか?」
「え?」
「神落としみたいな、お前と敵対する奴らにじゃねえぞ。リフィルや……とにかく、お前の大切な存在に、歯向かったことは、あるか?」
ワープの瞳が揺れる。
「歯向かうって……。リフィル様は、いつだって優しくて、正しくて、私が反抗する理由なんて何も……」
セイルは内心うなだれた。
ワープの中で、リフィルは絶対の存在だ。息をするように自然に、リフィルを信じ従っている。
ワープは神殿で、従うことしかしてこなかったのか。
慎ましく、穏やかに過ごしたであろう幼少期。唯一、リフィル・ハートレットという存在が、ワープの全てだったのだ。親愛を向ける相手に対して、反抗心を覚えることもしなかったのだろう。
だから、なのだろうか。
だから、悪いのは自分。愛する国民は誰も悪くない。だって愛しているから。
( ……いや、それは考えすぎだ )
けれど、ワープの心の奥底には、放っておいては危うい何かが潜んでいるような気がしてならない。
「なあ、ワープ」
「はい!」
「少し、お前の話を聞かせてくれないか」
「私の……話……?」
「考えてみれば、おれはお前のことを何も知らないんだよな。学園に来る前のお前のことは」
「そう、ですね……」
複雑な顔つきになるワープ。
「私自身のことは……誰にも話したことがないかもしれません」
「話すのは、嫌か?」
ワープは首をふり、微笑んだ。
「いいえ。セイルに私のことを知っていてもらえるのは、とても嬉しいです」
それからあわてたように、
「あああ、あのっ!つまらない話かもしれませんが……」
「構いやしねえよ。どうせ動けなくて暇なんだ」
セイルは首を木にもたれかける。太陽の位置が変わりつつある。日が暮れるまでには、ここらの精霊も落ち着いて、ケットとアナを呼べるだろう……。
「では、話しますね。えっと……なんだか恥ずかしいですね」
そして、ワープは少しずつ語り出した。自分がどのようにして、次期祈りの巫女として生きるようになったのかを。




