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神の吹かせる風  作者: わた
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子猫2

剣を地面に突き立て、やっとのことで体を支えるティーリアに、アナとケットが向かい合う。とうに、他の刺客たちは地に伏せている。


「……なぜ殺さない?」


倒れながらも、誰ひとり死んでいる者はない。ティーリアは忌々しげにふたりを睨み付け、声を荒げた。


「お前たちの巫女の命を狙っているんだぞ!なぜこんな甘いことをする!」

「ワープは、誰かの命を奪うことなんて望んでいないからね」


アナはにっこり笑って、ティーリアに歩み寄る。強ばった手から剣を奪い、支えを失った体を支えてやる。


「……離せ。私を殺さないのなら、こんな……」

「うん。でも、君のことは気になるんだよね。他の神落としとは、少し違うんだもん」


ティーリアの顔を覆うフードを取り去る。色素の薄い肌。鋭く睨んでくる瞳を見つめ、アナはまた笑った。


「ああ。やっぱり君は女の子なんだね」

「何!? 」


清々しいほどに驚くケットを振り返り、アナは眉をひそめる。


「ケット。レディーに失礼でしょ」

「む……そうだな、すまない。いや、しかし……」


ティーリアはアナから身を離す。


「性別など関係ない。私は神落としで、お前たちの敵だ」

「でもねえ。あなたは神落としの中でも、身分のある立場に見える。女の子がそこまで戦いに身を置く理由を、ぜひ知りたいんだけど」

「……お前たちに教える理由はない」


なぜだか泣き出しそうな声だった。アナは微笑み、


「うん。僕らはワープを追いたいし、今日は引いてくれる?」

「…………」


ティーリアは頭を垂れた。


「本当に、いつか後悔するぞ。不殺を信条にすることなど、巫女の騎士には不可能だ」

「それでもいいよ。僕らは、できるだけのことをするだけだから」


アナはケットを促し、ワープたちが向かった森の中へと急ぐ。

花畑に取り残された神落としを振り返り、ケットは思い深げに目を細める。


「……神落としを敵としてしか見ないのは、間違っていたのかもな」

「ふふ。そう思うの?」

「あのティーリアというおと……えー……少女を見ていると、神落としには神落としなりの考えがあり、人生があったのだな、と感じた。単なる野心で巫女を貶めようとしているわけではないのだ。それはそうだ、我々と命のやりとりまでするのだからな」


ケットは後悔しているようだった。神落としを悪としか捉えていなかった自分を恥じているのだろう。彼らしい、とアナは微笑む。


「俺は知りたい。神落としが何を思い、巫女を狙うのか。知らぬまま剣を交えるのは悲しいことだ。……うん。それに気づけてよかったよ」

「ケットは本当、いいひとだねえ」

「……いいひとは、ワープだな」


ケットは苦笑する。


「俺も彼女にだいぶ影響されているようだ。神落としにこんな感情を抱けるほど、俺は心が広くなかった」

「そうかもね。でも、やっぱりケットは優しいよ」


ケットの中にもとからあった優しさは、騎士候補生としてふさわしくあらねば、という使命感に上書きされていたのだろう。神落としをわかりあえる存在として捉えられなかったように。それを溶かし、彼が本来望んでいた振舞いを取り戻させたのは、やはりワープなのだ。


ふたりは改めて森の奥を見据える。守るべき巫女の元へ、早く行かなくては。





セイルに手を引かれながら、ワープは必死に走った。けれど、次第に息があがり、結局はセイルに足を止めさせてしまう。


「大丈夫か?」

「ごめんなさい……」


片手に子猫を抱き、もう片方を膝について息を整える。早く逃げなければ、またセイルに迷惑がかかる。焦るほどに、呼吸の仕方がわからなくなって、ワープは瞳を潤ませた。


「ワープ、落ち着け」

「ごめんなさい、私……」


背後から足音が聞こえた。はっとした瞬間、今までじっとしていた子猫がするりとワープの腕から抜け出す。いけない、と思ったときには、子猫は無邪気に駆け出していた。そちらは崖だ。無垢な生き物が地面に叩きつけられるのを想像し、ワープはあわてて子猫へと腕を伸ばす。


ふわり、と子猫の体が浮き上がる。それを抱き止めたワープの足も、地面から離れた。



「ワープ!」


セイルは信じられない思いで、子猫を抱きしめたまま崖下へと落ちていくワープを見ていた。

自然と足が動く。

セイルは自らも地を蹴って崖下へと飛び降りた。ワープの体をしっかりと抱きしめ、真下を見据える。

大した高さではない。群生する木々に目を止め、セイルは自分が下になるように体を回転させる。無遠慮にも不規則に伸びた枝に存分に体を打ち付けながら、落下する。



地面に叩きつけられ、ワープは肺が詰まるような衝撃を受けた。崖から落ちたのだ、と理解するのにも時間がかかった。ただ、胸のなかで微かにうごめく子猫を感じて、ほっと安心する。

しかし、体に痛みがない。自分がセイルの体を下敷きにしていることに気づいて、ワープはさっと青ざめた。


「セイル!」


彼が守ってくれたのだ。身を呈して、自分とこの子猫を。ぴくりとも動かないセイルの肩を掴んで、揺さぶる。


「セイル、死んでは嫌です!」

「……い、きてるよ……」


苦しそうな呻き声が聞こえる。どっと安堵し、ワープはそのままセイルの胸に崩れた。


「よかった……」

「おい、大丈夫だから、どいてくれ……」


あわてて飛び退き、ワープはセイルの体を見回す。


「ごめんなさい。セイル、お怪我は」

「どっかの骨が折れてるかもな。まあ生きてるんだから問題ねえよ」


ワープはまた青ざめる。


「骨って……そんな。ああ、私を助けたばかりに」

「だから問題ねえって」


セイルはよろめきながら身を起こし、ぐったりと木に寄りかかる。


「お前は?怪我は」

「わ、私は大丈夫です。この子も」


ミャア、と子猫が鳴く。


「セイル……本当にありがとうございました」

「考えなしに崖から飛び降りる巫女があるか」

「ごめんなさい……」

「……こっちに来い」


言われた通りに、ワープはセイルの目の前に座る。まっすぐに目を合わせてくるセイルの表情は、真剣そのものだった。


「お前が死んだらどうなるか、わかってんのか?」

「……それは」

「お前の代わりはいない。お前の命は軽くなんかない。それを理解してたら、あんなことできねえはずだ」


ワープは唇を噛んだ。傍らでは、子猫が尻尾をふっている。

わかっている。軽はずみだった。けれど、無垢な子猫を見殺しになど、できなかった。ワープにはあれしかできなかった。

祈りの巫女と子猫の命の重さの違いとは、そんなに大きいものだろうか?


そんな思いを感じ取ったのか、セイルの青い目が細められる。


「お前が次期巫女だから言ってるわけじゃねえぞ」

「え……?」

「俺は、お前が、ワープ・セベリアが大事だ。お前に死んでほしくない」


ほろ、と涙がこぼれた。


セイルがぎょっとしたような顔をする。ワープは頬を伝う涙を拭おうともせず、まっすぐにセイルを見つめる。


「ずっと……」


自然に、声が出ていた。


「ずっと、そう言ってほしかった……」


突然腕が伸ばされ、ワープはセイルの胸に引き込まれていた。頭と背中にまわされた腕が、ぎゅっと抱きしめてくる。

涙を流しながらも、きっとワープは微笑んだのだろうと思う。セイルの腕は苦しいくらい力が込められていたけれど、あたたかくて、守られている、と感じさせてくれたから。


ずっと、ワープはワープでありながら次期巫女であった。その身分は自分でも切り離すことのできないものだと思っていたし、それが当たり前だった。

でも、次期巫女ではない、ただのワープを大事だと言われて……こんなにも、嬉しい。


「ワープ」


首筋に、吐息が触れる。


「お前が大事だよ」

「…………っ」


たまらなく胸が震え、物が言えなくなる。巫女としてではなく、ワープとして。こうしてセイルの腕に包まれ、今まで味わったことがないほどの幸福感が襲う。どうしてこんなに嬉しいのか、自分でもわからなくなる。

いつしかワープも、そっと腕を伸ばす。セイルと触れあうところが、痺れるようだった。


「……守れてよかった」


その言葉が、震える心にとどめをさす。ワープはセイルの胸に顔を押し付けて、彼の上衣を涙で濡らしてしまう。


傍らで、子猫が可愛らしく鳴いた。セイルは笑い、


「ま、こいつも無事みてえだし、今回のことは多目に見てやるよ」

「…………」

「ワープ?」


ぎゅっとセイルの服を握ったまま、ワープは動けなかった。


「……セイルに怪我をさせてしまいました」

「だから大丈夫だって……」


そう言って立ち上がろうとし、セイルは苦悶の表情を浮かべる。


「……今すぐ動くのは無理だが、少し休めばなんとかなる」

「無理をなさらないでください。私が、ケットとアナを呼びに行きます」

「駄目だ。お前をひとりにするわけにはいかない」

「でも!」

「ここにいろ」


ぐっと引き寄せられ、ワープの体はセイルの胸に完全に密着する。


「ほら、動けないのも案外悪くないだろ?」

「えっえっ」


動けない、というのも、ワープはがっちりとセイルに拘束され、本当に身動きが取れない。


「お前のせいでこうなったんだ。……少しじっとしてろ」

「あの、セイル……?」


子猫がくりくりとした目でこちらを見つめている。なんとも気恥ずかしくなり、ワープはぼぼっと頬を染めた。


「あのっあのっ……」


どうしたらいいだろう。戸惑いながらも、嫌ではなかった。包まれる安心感とあたたかさに、もっとこうしていてほしい、とまで思う。思ってからどうしようもなく恥ずかしくなり、ワープは真っ赤な顔を更に赤くした。


「ワープ」


低い声で名前を呼ばれ、心臓が跳ね上がる。触れあうセイルの胸が、声を発する度に振動を伝える。


「……不安なんだ。目を放すとお前がいなくなっちまいそうで。お前は小さいから。こうして抱きしめてないと、崩れて壊れちまうんじゃないかって……怖いんだ。それなのに、あんなことしやがって」

「セイル……?」

「ほんとはいつまでだってこうしていたいんだぜ?それを我慢してやってんだ……今この時くらい……安心させといてくれよ」


ぎゅうっと、更に腕に力がこもる。苦しくて息が詰まるほどの強さだが、それを解いてほしいとは思わなかった。ワープも腕をまわし、セイルに応えようと一生懸命抱きしめた。


「私、いなくなったりしませんよ。ずっと、お側にいます」


大切な友人ですもの。そう言うと、セイルは不機嫌そうに首をふった。


「お前は俺がどういう気持ちでこんなこと言うのか、わかっちゃいない」

「え……?」


少しだけ腕の力が緩んで、ゆっくりと頭を撫でられる。そのままそっと体を離し、セイルはワープを見つめた。その瞳に映る自分の姿を見て、ワープはあわてた。


( ……私、なんて顔をしているのでしょう)


熟れたリンゴのように真っ赤だ。こんな顔を、こんな距離でセイルに見られていると思うと、恥ずかしくてたまらない。目をそらしたいと思うのに、彼の青い瞳は吸い込まれそうに綺麗で……。


「もう一時間経っちまったみてえだな」

「へ?」

「目。魔法が解けてる」


アナがかけてくれた、巫女の証である紅色の瞳を隠す魔法。それが解けたということは、本来学園に戻るはずの時間になってしまったということだ。

セイルは笑った。


「休憩時間は終わりだ。どうする?お前はこの状態でまたうじうじ悩むのを再開するか」

「そ、そんな……」


セイルはワープを解放してくれる気はないようだし、こんな状態では考え事どころではない。鼓動が速くなるのを抑えることさえできないのだ。


「だから、もう少し延長な」


悪戯っぽく言うと、セイルは少し眉をひそめて、


「それとも、嫌か?」

「えっ」

「放せって言うなら放してやる」


セイルはゆっくりと、ワープの体を押し退けようとする。咄嗟に、彼の腕にしがみついた。


「…………嫌じゃない……です」


瞬間、ワープの体は再びセイルの腕に強く閉じ込められた。


しばらく、お互いの鼓動だけを聞いていた。


「お前な、さっきはああ言ったけど、巫女としての振舞いってものも、もっと考えた方がいいぜ」


明るく、でも確かな真剣さを持って、セイルが言う。ワープはセイルの胸に顔を伏せ、くぐもった声で答える。


「わかっているのです。祈りの巫女が死ぬというのは、例え私が次期巫女でも、いろんなひとを巻き込む大変な事態です。それに、今、巫女の真実を知っているのは私だけで、それを変えようとするのも私だけで、だから絶対に……」

「でも、お前はこの小さい猫一匹のために崖から飛び降りるような奴だ」

「……この子も、王国に生きるひとつの命です」


はあ、とため息が聞こえ、抱き締める腕に力がこもる。


「ワープ。お前には、王国中の全員を救うことなんて不可能だよ」

「…………」

「誰にだって不可能だ。おれにも無理。現巫女のリフィルにだって無理だ」


セイルはワープの体を離し、まっすぐに目を見つめてくる。


「あまり気負うな。不幸な命があることは、お前の責任じゃない」


目いっぱいに涙が浮かんで、セイルの姿が歪む。泣きたくない。ワープは額をセイルの胸にくっつけた。


「それでも私は……諦めたくないのです」


ワープとて、この世の中にはどうしようもないこともあるのだと、わかっていないわけではない。皆、傷つきながら生きている。誰かが幸せであるために、誰かが不幸になる。そんな理を、覆すことなどできないのかもしれない。

でも、諦めてしまったら何も始まらない。ワープには知恵も力もないけれど、諦めることまでしてしまったら、ワープが次期巫女である意味がなくなる。


「……そうか」


優しく頭を撫でられる。


「ならせめて、ひとりで抱え込むのはやめろよ。お前と俺たちは、巫女と騎士が手を取り合う未来を作るんだろ?」

「…………」


ワープはセイルの胸に顔を埋めたまま、微笑んだ。


「……ありがとうございます」


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