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神の吹かせる風  作者: わた
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子猫

ワープはアナにもらった白いシャツと黒のスカートに着替えた。

街に行く機会などそうそうない。いざ行くとなれば、楽しみな気持ちはどうしても湧いてしまう。


アナが試行錯誤の末、魔法でワープの赤い瞳を隠してくれた。エルミタージュ校長のように完璧に色を変えるのではなく、見るひとが赤い色を認識しないようにする魔法なのだという。


「校長先生の魔法は特別だからねー。僕には真似はできないけど、とりあえずこれで瞳の色は隠せるでしょ」


ワープは更に、頭からすっぽり身体を覆うローブを被った。念には念を、というわけだ。


「ワープの顔を知ってる神落としがいるかもしれないしね。少し暑いけど、我慢して」


神落とし、と聞いて、胸がざわめく。


古代の巫女は、神の怒りに当て付けられただけの存在であったと知ったら、フロウはどう思うだろうか。

彼にも、真実を伝えたい。

真実を知った上で、巫女を恨むならばそれでもよい。ただ、神にだまされたまま憎しみを抱えさせることは、したくなかった。それはあまりにひどい仕打ちだ。フロウにも、彼が愛したセルースにも。


アナはワープの手を取り、以前と同じようにセイルとケットにそれぞれ握らせた。ワープはまたふたりに挟まれる形になり、体を固くする。


「はい。これで安心」

「……まあ、そうだろうけどな?」


セイルとケットは諦めたように苦笑し、それでもしっかりとワープの手を握ってくれた。





校長室では、小さなルルがいつものように紅茶を淹れていた。今日は季節の果物を使ったフルーツティーだ。爽やかで甘い果物の匂いが、部屋中に行き渡っていた。

ルルは完熟の見事な果物を小さな手で持ち、あどけない動きで器用に皮を向いていく。その様子を微笑ましく眺めながら、エルミタージュはケーキにフォークを入れた。

ルルは切り終えたフルーツをごろごろとポットに移し、紅茶を注いでいく。ふわりと優しいフルーツティーの香りが広がる。

淹れたての紅茶を口に含み、エルミタージュは微笑んだ。ルルは嬉しそうに瞳を輝かせる。


「美味しいですよ、ルル」

「よかったです」


ルルも自作の紅茶をカップに注ぎ、ソファーに座って飲み始めた。


「校長先生、よろしいのですか?」

「何がですか?」

「ワープさんのことです」


エルミタージュは微笑みを崩さず、ルルを見つめる。


「なんのことでしょう?ワープさんはまだお帰りになっていませんよ」

「いいえ。校長先生は気がついておられます」


エルミタージュは深い皺をたたえた顔をますますくしゃくしゃにした。


「聡くなりましたね。ですが、いいんですよ。彼女から来ない限り、今はワープさんに干渉しないことにしました」

「どうしてですか?」

「彼女に今必要なのは、私ではなく騎士候補生たちの支えです。彼らなら私よりもうまくやるでしょうしね」

「御座所で何があったのでしょう」

「わかりませんが……何か、変わったのでしょうね。ワープさんも……ラインも」


ルルは深くソファーに沈みこむ。そして両手でカップを抱え、ごくんと紅茶を飲みこんだ。


「ルルは遠慮なく、ワープさんの力になってあげてくださいね」

「……できるでしょうか。私は、ひとのために何かするということがよくわかりません」

「大丈夫ですよ。ルルは優しい子ですから」


ルルは神妙な面持ちで俯く。彼女なりに、ひとの力になるということについて考えているのだろう。


「ルルもケーキをどうぞ。旬の木苺を使った新作をいただいたんですよ」

「それは……とても美味しそうです」


エルミタージュはクリームのたっぷりかかった部分を選んで、切り分ける。木苺もたくさん乗せてやると、ルルは瞳を輝かせた。




セイルたちは、この前のように繁華街ではなく、郊外の森へとワープを連れ出してくれた。

あたたかな木漏れ日が降り注ぐ道。小鳥の鳴き声だけが聞こえる。とても静かで、平和だ。森の中をゆっくり歩くのなんて初めてのワープは、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「ふわあ……」


豊かな自然に囲まれて、心が澄んでいくようだ。他に誰もいない気軽さも手伝って、ワープは駆け出した。

葉っぱをくぐり、木の根を飛び越え、心地よい森の空気を切る。息が上がって苦しいけれど、その苦しさも、なんだか楽しい。こうやって子どものように走ることが、こんなに気持ちいいなんて。


ふわっと風が抜ける。ワープは森を出ていた。そこは、日の当たる草原。岩場を越せば、色とりどりの花畑が広がっている。


「いい場所でしょ?」


アナが隣に立つ。


「ワープにも見てほしくて」

「はい……すばらしいです!! 」


ワープは再び駆け出し、草原と花畑の境目にある岩場によじ登った。

サアッと風が吹いて、ローブのフードが脱がされる。髪がさらわれてもかまわず、ワープは涼しい風に吹かれるままに立っていた。


こんなに無防備になれたのは久しぶりだ。何も考えず、ただ風に吹かれる。ワープはこの一時だけ、自分の身分も悩みも全部忘れて、広い広い大空を感じていた。


しかし、照りつける白い太陽が、清々しい心地に一片の影を落とす。

あの太陽。あまりに眩しくて、地上全てを燃やし尽くしてしまいそうだ。いつもはあたたかく、恵みを与えてくれる太陽が、どうして今はこんなにも不安な気持ちにさせるのだろう。


ワープは騎士候補生たちのもとに戻った。今は、とにかく安らぎたかったのだ。彼らのそばならば、遥か上空の太陽など、恐れる必要はないように思えるから。


アナが、見事な手つきで白い花の冠を作り上げ、ワープの頭に乗せてくれた。感激したワープも教わって作ってみたのだが、なかなかうまくいかない。


「アナはどうしてそんなに器用なのですか?」

「ほんとに、騎士候補生とは思えない少女趣味だよな」


セイルが茶化すが、確かにアナは武人には不必要な知識もたくさん持っている。それはそれで、素敵なことだと思うけれど。

アナはにこにこしながら、新たな冠づくりに取りかかる。


「セイルやケットみたいにむさ苦しい生活を送ってるひとに、お花と紅茶でせめてもの潤いをあげてるんだよ。感謝してほしいくらいなんだけどな」

「……悪かったな」


セイルとケットの声が重なる。

ワープはにっこりして、


「アナのおかげで、お花は毎日綺麗です。紅茶とクッキーは美味しくて、とてもありがたいです」


アナは嬉しそうに笑い、今度は桃色の花の冠をくれた。


「ふふ。ワープがいると、華やかになっていいよ。温室の花たちも、綺麗だって言ってくれるひとがいなくて、今まで寂しかったろうからね」

「あーあー、悪かったよ。どうせおれたちは花の美しさなんかわかんねーよ」

「……セイルと一緒にするな」

「おい、裏切るのかケット!! 」

「俺は花が好きだぞ、アナ。口に出して褒めることだけが愛情表現とは限らんのだ」

「あはは。ケットが一番、花が似合わないけどね」

「……何だと」


やいやいと言い合いをする三人を眺めて、ワープはなんとも言えない幸せな気持ちになった。このひとたちは本当に仲が良いのだな、と思うと同時に、穏やかな友人たちとの時間に胸が締め付けられる。

ずっとこうして、笑っていられたらどんなに楽しいだろう。巫女も、騎士も、身分のことなど全て忘れられたら。


( ……でも )


それはきっと、本当の幸せではない。


ワープは真白き太陽を見上げた。あまりに強く輝き、地上を焼き付くしてしまいそうな、恐ろしい太陽。


そのとき、背後から可愛らしい鳴き声が聞こえてきた。


「ミャー」

「あら?」


振り返ると、一匹の白猫がよちよちとこちらへ歩いてきていた。まだ子猫だ。体中汚れてしまっている。


「猫……」


セイルとアナが、自然とケットの方を向く。


「お嫁さん?」

「阿呆」

「この子、どこから来たのでしょう。あら……」


子猫は喉を鳴らし、嬉しそうにケットに駆け寄ると、すりすりと体を押し付ける。セイルとアナがぷっと吹き出した。


「あははは。ケットったら、本当にねこさんに人気だねえ」

「おい、この際本気で嫁に貰うのもいいんじゃねえか?」


好き放題言って笑い転げるふたりに渋面を向けながらも、すり寄ってくる子猫にケットも悪い気はしないらしい。仕方なさそうにだが抱き上げ、喉のあたりを掻いてやっている。


「可愛らしいです。ケットが大好きみたいですね」

「む……」


子猫は泥まみれだった。ケットは真っ白なハンカチを取り出し、丁寧に子猫の体を拭いてやる。


「お前、親はいないのか?」

「ニャーオ」


子猫は一声鳴くと、ケットの腕に抱かれながら心地良さそうに目を閉じる。ワープはおそるおそる子猫の頭を撫でてみる。やわらかな毛並みがふわりと指先に絡む。あたたかい。ワープは嬉しくなって、しばらくなでなでし続ける。


「ふわあ……」


すっかり夢中になる。セイルが呆れたように、


「お前、猫も初めてなのか?」

「はい!こんなに間近に見たのは初めてです」

「はあ……」


子猫の泥を拭っていたケットが、ふと手を止める。


「……怪我をしているのか」


見れば、前足の片方に血がこびりついていた。真っ白な毛並みがそこだけ赤い。


「まあ……」


泥に覆われていたので見えなかったのだ。深い切り傷に泥が入り込んでいて、かなり痛々しい。ケットが不愉快そうに顔をしかめる。


「自然についた傷ではないな。誰かに切りつけられたのか……」

「そんな……」


ケットは子猫をアナに受け渡す。アナは心得た顔で、子猫に治癒魔法をかけ始めた。


「大丈夫。すぐ治してあげるからね……」


ぽわりと光が灯り、少しずつ傷を癒していく。子猫は今までよりももっと安らかな顔つきになって、ごろごろと喉を鳴らした。ワープはほっとして胸を撫で下ろす。


「アナ、ありがとうございます」

「お礼なんていいよ。それにしても、小さな動物をいじめるなんてひどいことするね」

「……そうですね」


突然、セイルとケットが同時に剣を抜いた。


「……アナ!」


ふたりは鋭く友人の名前を呼ぶと、ワープを庇うようにして森の方を睨み付ける。アナは優しく笑って子猫をワープに預け、自らも剣を抜いた。

ワープがとまどいながら森に目をやると、黒いローブに身を包んだ人影が、ずらりと現れる。


「……神落としか。まったく、暇な奴らだな」


セイルが舌打ちと共に呟く。ゆっくりと近づいてくる刺客のひとりに目を止め、アナが声をあげた。


「やあ、ティーリアじゃないか」


フードの下の金髪を透かして、ティーリアと呼ばれた青年の目がきらりと光る。


「ティーリア?ケットの屋敷でお前が戦ったっていう奴か」

「そう。いいひとだよ」

「……お前なあ。神落としに向かっていいひとはないだろ」


セイルは呆れるが、アナはにっこりと微笑む。神落としと相対しているとは思えない笑顔に、ワープは困惑する。アナはどうして、いつもこんなに平静でいられるのだろう。


「助かったぞ。次期巫女を連れてのこのこ出てきてくれるとは」


嘲るように言うと、ティーリアはじろりとアナを睨む。


「言っただろう?今度こそ、その娘の命はない!」


神落としたちは、一気に距離を詰めて斬りかかってきた。鈍く光る鉄の刃を受け止め、ケットが怒鳴る。


「セイル!ワープを連れて街まで逃げろ、こいつらも騒ぎを大きくはしたくないだろうからな!」

「了解した!」


セイルは神落としのひとりを退けると、ワープの手を掴んで走り出す。


「でも、ケットとアナが」

「狙いはお前だ。走れ!」


気遣わしげにふたりを見ながらも、ワープはしっかりと子猫を抱えて走った。ふたりならば大丈夫だ、と自分に言い聞かせる。


ティーリアが舌打ちをして、後を追おうと身を翻す。それを、アナが遮った。


「だめだよ。君の相手はこっち」

「……娘を逃がすな!」


命じられた部下たちが、セイルとワープを追う。取り逃がしたか、と思うも、ケットもアナも他の神落としに邪魔されてそちらへ気をやることはできない。あちらはセイルに任せるとして、ふたりは自分の相手にそれぞれ向かい合う。


「前のようにはいかんぞ」


ティーリアが憎々しげに言う。ケットとアナは、剣を握り直す。


「さっさと片付けてワープを追うぞ」

「ふふ。わかってるよ」




追ってくる刺客の気配を感じながら、ワープは必死に走った。前を行くセイルは手を引いてくれているが、ワープの足ではいずれ追い付かれてしまう。セイルは背後にワープを庇い、剣を構えた。


神落としは3人。刃を腰に構え、突風のように突進してくる。それを受け止め、セイルは低く唸る。


「ちっ……」


次々に斬りかかってくる神落としたちの攻撃は重い。刃と刃がぶつかる度、静かな木漏れ日の降り注ぐ森の中に、頭を割るような音が響く。


ワープは胸に子猫を抱え、戦うセイルを目の前に動けない悔しさを噛み締める。自分にも戦えたら、と何度思っただろう。剣を交え、血を流すのはいつだって騎士たちだ。それを見ながら、ただ守られているだけなんて……。

しかし、セイルは強かった。次々と襲いくる斬撃を払いのけ、僅かな隙に攻撃を叩き込む。剣術の出来も、速さも、相手を圧倒していた。


( ……信じよう )


ワープはぎゅっと子猫を抱きしめ、セイルを見つめる。


( 私の騎士を、信じよう )


彼らにとっての巫女であるワープが今すべきことは、それだけだ。

そう思った途端、心に風が吹いたようだった。深い安心感と、彼らに対しての全幅の信頼。今まで自分でも気づいていなかった感情が溢れだす。


私の騎士が、負けるはずがない。


セイルは目にも止まらぬ速さで神落としたちの武器を叩き落とす。そのまま勢いを殺さずに、3人の刺客の首筋を剣の鞘で殴り付けた。

ドサリと、神落としたちが地面に崩れる。


「行くぞ」


素早く剣を収め、セイルはまたワープの手を掴もうとし……はたと動きを止めた。返り血のついた手を服で拭い、今度こそワープの手を取る。


「気絶させただけだ。怪我はさせたけど、目覚めたらまた追ってくるぞ」

「あ、あの、セイルは、お怪我は?」

「あんな奴らにやられるかよ、あほ」


セイルは顔をしかめてみせるが、ワープは微笑んだ。


「はい……信じていました」

「!」


セイルは目を丸くし、それからふいと顔を背ける。


「……急ぐぞ!」


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