新しい道
御座所の静まり返った廊下を、ばたばたと騒がしい影が駆けていく。衣をたくしあげ、それでもまだ裾をみっともなく引きずりながら。はあはあと息を切らす小柄な影は、勢いよく精霊王の間に飛び込んだ。
精霊王はうるさそうに突然の訪問者の方を向き、眉ねをひそめる。ワープはまっすぐその視線を受け止め、明るく言い放った。
「私は、私の信じる巫女になり、私の信じる騎士との関係を築きたいのです」
精霊王はしばらくその言葉を噛みしめるように目を閉じていた。やがてゆっくりとその瞼が開く。
「結局、何を知ろうがそなたのやることは変わらないのだね。なんのために苦労してここまで来たのやら」
「……そうかもしれませんね」
ワープは微笑んだ。思ってみれば確かに、祈りの巫女の真実を聞いても自分のやりたいことは変わっていない。自分の理想の巫女になるために、精進していきたい。
「でも、聞くことができてよかったと思います。今までよりももっと強く、立派な巫女になりたいと思えたのですもの」
「元々、騎士の呪いを消し去りたくてここへ来たのだろう?そなたはなんの答えも見つけていない」
ワープは首をふる。
「そんなことはありませんよ。私は巫女にはなりません。神に償い続ける、ファラの身代わりとしての巫女には」
精霊王の目が、ぐっと細められる。
「神の呪いなど関係ない。そのような巫女と騎士になりたいのです」
精霊王は堪えかねたように吹き出し、そのまま声をあげて笑い出した。
「あっははは!! 神に祈る立場の人間が、神に喧嘩を売る真似をするのか。それでは祈りの巫女である必要がない」
「神様にわかってほしいのです。祈りの巫女は怒りの捌け口ではないと。そのためにも、私は祈りたいのです」
「巫女と騎士がいかなるものか。その在り方を、まるごと変えると言うのだね」
ワープは静かに頷く。精霊王は口許をひきあげ、妖艶に笑った。
「愚かだね。だがまあ愚かなのは人間の特徴だからね」
ワープの表情はみるみる曇っていく。
自分の歩もうとしている道が、易しいものではないことはわかっている。何も知らなかった今まででさえ常に悩んでいた自分に、何ができるのか問いかけてみると、答えは闇の中だ。ワープが無知で、弱虫で、不器用で、卵焼きのひとつもまともに作れない娘だということに変わりはないのだ。
けれど……。
ワープには、騎士候補生たちがいる。彼らのためならワープは頑張れる。そして、ワープと共に彼らは頑張ってくれる。そう信じられるだけで、力が湧いた。
精霊王は妙な目でワープを見ていた。愚かな小娘と、高貴な姫君を同時に見ているかのような目だった。
「……この世には理がある。変えることのできない、変えるという考えさえ起こらない条理がある。私の役目は、それを巫女に教え、確かめさせること。……だがそなたは巫女ではなかったね」
そう、ワープはまだ、「次期」巫女姫だ。
「ならばそなたの愚かな考えを見逃しても、私にはなんの咎もあるまい。いいさ、好きにするがいい」
ワープは顔を輝かせる。
「はいっ!! 」
精霊王は静かに表情をなくしていく。神聖で無感動な精霊の長にふさわしい姿に、戻っていっているようだった。
「もうそなたにこの御座所ですることはない。行くべき場所へ、帰りなさい」
ワープは正座し、手を床について頭を垂れた。
「ありがとうございました」
精霊王は答えず、決して動かない彫刻のように、ただじっとそこに座っていた。
ワープは立ち上がり、もう一度頭を下げ、そして急いで精霊王の間を出た。
ラインはすぐそこで待っていた。ワープが望む、これからすべきことを、彼はわかってくれているようだった。
「学園へ、帰りましょう」
そして、セイルたちに真実を伝えるのだ。
彼らを傷つける結果になるかもしれない。けれど彼らは言ってくれた。ワープを守りたい思いは、変わらないと……。
甘えているのはわかっている。しかしワープには、彼らに頼ることしか、前に進む方法がないのだ。
ラインは黙って頷く。
帰路は来た道と同じ。険しく長い道のりだ。一刻も早く帰りたい気持ちが急かせるが、ふたりはまた苦労を越えて歩かなくてはならない。
空はもうじき夜明けを迎えるころだった。
ワープとラインは御座所を出て、信じられない光景に目を丸くした。
ふたりを待ち構えていたかのようにそこにいたのは、鞍と手綱を携えた美しい馬だった。いや、馬の形はしているが、違う。
真っ白な絹糸のような毛並み、宝石を埋め込んだような瞳、どれをとっても美しく、その体を光が包んでいるかのように神々しい。そして、背には見事に生え揃った大きな翼があった。
いつのまにか背後にやって来ていたホノメが、穏やかに言う。
「精霊たちが、あなたたちを送り届けたいそうです。巫女の帰路については掟はありません。どうぞ使ってください」
ワープは驚き、また目の前にいる美しさに心奪われ、しばらくものが言えなかった。
突然体を抱えあげられ、ワープは精霊の馬に座らされる。こんなに神々しいのに、しっかりとした背の固さにワープはほのかに驚いた。
ラインがワープを腕の中に収めるようにして手綱を握る。そこで、ワープは自分が馬に乗ったこともないことに気づいた。
「あの、ラインさま。私実は乗馬をしたことがないのです」
「そうだろうと思った」
ぐっとラインの腕に力が入り、ワープの体はしっかりと固定される。その密着感に、ワープは頬を染めた。
微笑みながら見送りをしてくれるホノメに礼を言う。
「ホノメさま、お世話になりました」
「またお会いする日を楽しみにしていますわ」
にこにことそう言うホノメ。御座所に来る意味、そしてその道中の苦労などは、精霊である彼女には理解しがたいものだろう。しかしだからこそ、こうして純粋に再会を望んでくれることは、無邪気な喜びを与えてくれる。
精霊の馬は走り出した。思った以上の揺れに、ワープはあわてて鞍にしがみつく。どんどん速さは上がっていき、そしてふわりとした浮遊感。
精霊の馬は、見事な翼をはためかせ、飛んでいた。山を越え、霧のような雲と並んで、空を駆ける。頬を撫でて髪を浮き上がらせる風が、今まで体験したことのない疾走感を与える。
空は、こんなにも広いのか。
世界は限りないように見える。どこまでも駆けてゆけるように思える。夜明けの星も、こんなに近い。 藍色の空に、さっと白い絵筆をなぞらせたように、空は朝の色へと変化していく。
「なんて、なんて美しいのでしょう!! 」
いつしかラインも手綱に集中するのをやめ、夜明けの空に見入っていた。
太陽が登る。途端に眩い光がカッと照りつけ、それまでの静けさは上から塗りつぶされた。
「あの、太陽は……」
ラインは何も言わず、しっかりとワープを支え直した。精霊の馬は足を速める。ワープもそれ以上は言葉が続かず、振り落とされないよう体に力を込めた。
フィリエット学園に降り立ったのは、日が登った早朝。夢のような空の旅とはお別れだけれど、学園へ帰ってこられた喜びは強かった。
精霊の馬にお礼を言って、ワープは撫でてもよいのかとおそるおそる手を伸ばす。宝石のような潤んだ瞳が優しく光り、馬はそっとワープの手のひらに鼻面を押し付けた。途端、馬は無数の光になって、空へと上っていった。きっと御座所へ帰るのだろう。
ワープはラインと向き合った。微笑み、手を伸ばす。
「ラインさま。ありがとうございました」
御座所への道中から今までのお礼を伝える。ラインは仏頂面のままだったが、ゆっくりと、ワープの手を取ってくれた。
いまだ、手袋で包まれたラインの手。ラインは前へ進むと言ってくれたけれど、やはり自らを許すことはできないのだと、ワープは少し寂しくなる。けれど、しっかりと、その手を握った。ラインも、ワープも、これからなのだから。
今は、この布越しに、ラインの体温を感じる。けれどいつか、本当に手を取り合えるなら。その日を目指して、歩いていこうと思うのだ。




