精霊王の昔語り
精霊王は、昨日と変わらない姿勢で、変わらない場所に座っていた。長い髪は全身を覆い隠し、滝のように階段を伝っている。
「さて。お前たち」
正座をして姿勢を正すワープとラインを見やり、精霊王は妖艶に微笑む。
「私は、この世の理を知る精霊たちの王。迷える者を正しい道へと導くのが務め。お前たちが何を求めるのか、言ってみるが良い」
ワープはすっと息を吸って緊張を和らげる。
こういうことだったのか。御座所とは、精霊王に、この世の中では一体何をするのが正しいのか、教わるための場所なのだ。
「私は、巫女のために騎士が背負わなくてはならない運命を、変えたいのです」
精霊王の目が、可笑しそうにきらりと光る。
「あれではまさに呪いです。私はそんなものによって騎士と繋ぎ止められたくはありません」
「そなたが言っているのは、騎士が老いを失うことか?」
ワープは頷いた。真剣なまなざしで精霊王を見つめる。精霊王は堪えかねたように肩を震わせ、声をあげて笑った。
「何を言っておる。巫女を守る騎士は生涯変わらない。老いぼれの身体で何ができると言うのだ」
ワープは目を見張る。
精霊王の目には、少しも自信の揺らぎがなかった。
「彼らが老人となる頃には私も老いているでしょう。身の重さも、次期巫女へと移っていくはずです」
「ほう?お前は巫女という身分がいかなるものか、まだわかっていないのか」
感情の浮かばない精霊王の瞳を見つめているうち、ワープの中に不安が膨らみ始めた。
このひとは、やはり人間ではないのだ。だから、こんなに冷たい目ができる。感情が関わる次元に、このひとはいない。この世の理は、感情とは関係のないものだから。
精霊王はにやりと笑みを深める。
「ならば、教えてやろう。遥か昔、初めて祈りの巫女として、神に仕える決断をした娘の生い立ちを。巫女と騎士という身分が、いかにして形成されたかを」
「初めての……最初の、巫女……?」
古の時代から続く、祈りの巫女。その始まりとなる最初の巫女のことを、不思議と知りたいと思ったことはなかった。気高い元祖のことをあれこれ尋ねるのは無礼な気がしたし、何より系列をたどる余裕がないほど、ワープは自分のことで手一杯だったのだ。そのことに気がつき、恥ずかしくなる。
「お前は、騎士が大事か?」
「……はい」
「初代の祈りの巫女……名を、ファラという。彼女もまた、騎士と強い絆で結ばれていた」
そして、精霊王の口から、少しずつ、古の時代に起こった、祈りの巫女誕生の秘密が語られた。
少女ファラは、ごく普通の村娘であった。朝から夕まで畑を手伝い、日が暮れてからは藁を編む。たまの休みがあれば、丘の上の花畑へ出掛けるのが唯一の楽しみだった。
栗色の髪、同じ色の瞳。何も珍しくはない、集落ではありふれた外見。ファラは優しく慈悲深い娘だった。慎ましく暮らすことも苦ではない。
ある日、ファラは花畑へ向かった。冬が終わり、花が咲き始めるころだったから。雪解けは嬉しく、丘の上はいつにも増して美しいことと思われた。
さらりと風が髪を撫でていく。ファラは丘の上に、馬に乗ったひとりの青年がいるのを見つけた。美しい青年だった。日の光を浴びて絹糸のように煌めく見事な髪に、ファラはしばし見とれた。
ふたりは日のあたる花畑で、言葉を交わしあった。青年は戦士であった。もうすぐ戦場へ発たなければならない。その前に美しい景色を目に納めようと、ここへ来たのだと語った。
青年は名をシエといった。ファラはシエの無事を毎日神に祈ろうと誓った。
それからというもの、ファラは一日たりともシエのことを忘れなかった。あの優しい眼差し、声。すべてを愛してしまったから。そして、彼に伝えた通り、毎日神に祈りを捧げた。
そして季節は巡り、また春が来た。ファラは丘の上へ出向いた。そしてそこに、シエはいた。
ファラは嬉しかっただろう。神は祈りを聞き入れてくれた、と。ふたりは離れていた期間を埋め合わせるために、また心いくまで語り合った。
しかし、まさにその時。ふたりが花畑で語り合い、愛を確かめている間、ファラの集落には災厄が襲った。
ああ、古の神は残酷であった。見返りもなくただ愛する者のためだけに祈ったファラによって、その家族が、友が、犠牲になった。
もともとシエは前線で死ぬ運命であった。それがファラの祈りによって塗り替えられた。そして、それには代償が必要だったのだ。
家に戻ったファラは泣き崩れた。自分のせいで村は滅んだと、神は少女に悟らせた。
ファラは、自分の犯した罪を償うために、一生を祈りのためだけに注ぐ道を選んだ。全ての者のための祈りを捧げる。神への祈りはそうでなくてはならない。
だが神はどこまでもファラに戒めを与えた。彼女によって救われたシエは、運命に逆らった存在。最早まともに生きるヒトではない。そこで神はシエから老化を奪った。一生を、ファラを守ることに捧げるように。ファラの祈りを、彼女の罪の償いを、途切れさせないために。
それが、最初の祈りの巫女。ファラの罪は消えない。何代も何代も、祈りの巫女は償い続けるのだ。巫女の騎士とともに。
ファラは、シエに向かって言った。
「私の罪を忘れないよう、この瞳に刻みましょう。私のために村の人々が流した血の、その色を」
そして、紅色の瞳は巫女の証となった。
ワープの瞳が、きらりと光る。
「……では、祈りの巫女は……」
言葉が出ない。胸がつかえて、今にも嗚咽が込み上げそうだ。様々な感情が頭の中を駆け巡って、わけがわからない。悲しいとか、苦しいとか、言葉で表すわけにはいかないほど、複雑で大きな感情だ。
隣を見れば、ラインもまた信じられないと言いたげな顔をしていた。
「祈りの巫女は、守られなくてはならない。そう、ファラの罪を償うためにね」
身体の震えが止まらない。祈りの巫女は国家の象徴などではない。尊敬を受ける立場などではない。神によって罰を与えられただけの、哀れな存在なのだ。
「わかったか?騎士が老いを奪われるのもまた、罰なのだよ」
「そ、そんなの……おかしいです」
ではなぜ、騎士となることが最高の名誉とされる世の中になってしまったのか。ひたすらに努力を積んだ若者にそんな運命を背負わせるなんてあんまりだ。
「そのようにしたのも、この世の理さ。人々はきれいに、神の掌の上で踊ってくれている」
「!! わ、私、そんなことは認めません!! 」
ワープは立ち上がり、着ていた巫女衣装の帯に手をかけた。指が震えてうまくほどけなかったが、半ば引き裂くようにして脱ぎ捨てる。小袖姿になり、ワープはなおも巫女衣装をびりびりと破っていく。
「神はっ、神はおかしい!! 愛するひとの無事を祈ることの、何が罪ですか!? なぜ、そこまで罰せられなければならないのですか!! 」
今までずっと信じてきたのに。巫女は国民の願いを神に届けることのできる存在。そのための存在だと。しかし、実際は、願い続けることを罰とされた、神の操り人形であったのだ。
「そうだな。ファラはいわば、生け贄であったのだ。人間たちの身勝手な願いを叶えるためには、どこかで反動が必要だった。それが、祈りの巫女と騎士なのだよ」
「そんな…………」
「お前も祈り続けてきたのだろう?国民の幸せを。ならばよいではないか、お前たちは身をもって神の怒りから国民を守っているのだから」
精霊王の瞳は穏やかで、底冷えするように冷たかった。
身体に力が入らない。今まで積み上げてきた全てが、音を立てて崩れさる。
このことを、リフィルは知らない。きっと、とうの昔から本来の巫女を知る者などいないのだろう。皆、巫女は神に仕える気高い存在だと信じている。
祈りの巫女は神の、いわば奴隷だと、知ってしまった自分はどうすればいい?
ふっと意識が途絶え、ワープは深い闇へと沈んだ。




