風の心音7
一歩、歩くごとに、風の心音が高い音を鳴らす。目に見えない不思議な力が強まってきているのを感じる。
「ここが……」
足を止め、ワープは息をのむ。
目の前には白い大理石でできた巨大な建物。女神セナフィールドと精霊を模した繊細な彫刻が施されており、豪奢ではないが、凄まじい荘厳さを感じさせた。何本もの柱が立ち並び、入り口へと通り道を作っている。
その道を、ひとりの少女が歩いてくる。白く薄い衣を桃色の帯で結び、それを羽のようにはためかせている。天女かと思うほど、気高く浮き上がるような歩き方だった。
「風の心音が、来ることを教えてくれました」
鈴が鳴るような声で、少女は言う。ワープを見つめる瞳は、朝日のような美しい金色だった。
「こちらへ。精霊王がお待ちです」
御座所の中は、神聖な涼しい空気に満ちていた。水の精霊の加護が働いているのだろう。長い廊下の両脇には水路が敷かれており、心地よい水音が聞こえる他は、しんと静まり返っていた。
少女の後に続いて歩きながら、ワープはこっそりとラインを覗き見てみた。いつもと変わらない涼しい顔をしており、緊張しているのは自分だけかと少し恥ずかしくなる。
廊下の一番奥に、紫色のカーテンで仕切られた部屋があった。その前で立ち止まり、少女はワープとラインに入るよう促す。
「こちらに精霊王がいらっしゃいます」
精霊王という名には、聞き覚えがなかった。世界を作り上げる精霊たちの、王様ということだろうか。そんな存在がいるなんて、知らなかった。
足を踏み入れると、そこは広い真っ白な部屋だった。奥は階段になっており、その一番上に、ひとりの女性が座っていた。
そのひとは、衣を纏っていなかった。ただ、長い長い髪が、豊満な身体を覆い隠している。それでも髪は有り余り、階段を流れて一番下まで伝っている。その髪も、静かにこちらを見つめる瞳も、不思議な色に輝いていた。虹の色全てを混ぜ合わせたような、ぼんやりとした、それでも確かに美しい色だ。
「ようこそ。おや、ずいぶん若い巫女だね」
妖艶な、艶かしい声で、彼女は言う。
「ここへ来たということは、何か答えを求めているのだろう」
それから可笑しそうに目を細めて、
「よくここまでたどり着いたな。巫女が来るのは何十年ぶりだろう。まあ、座るがいい」
促され、ワープはラインと並んで座る。そしてまっすぐに精霊王を見つめた。
「精霊王様。私は、まだ巫女ではありません」
「…………ほう?」
「巫女と騎士を繋ぐ、呪いについて、お聞きしたくて参りました」
「巫女ではないのに、風の心音はそなたを導いたのか」
精霊王はワープの紅色の瞳を認め、くつくつと笑う。
「私は精霊たちの王。古代から生きる、唯一の存在。私ならばそなたに、答えを与えることができるだろう。そして……」
精霊王はラインに目を移す。
「そなたも、答えを欲しているようだな」
「…………」
「風の心音は、来る者を選ぶ。そなたも御座所に入れたということは、ここで答えを得る権利があるのだろう」
ワープは鈴を取り出した。銀に光るそれは、御座所に入ってから少し輝きを増したようだった。
精霊王はくすりと笑う。
「それにしても、そなたたちはひどい格好だな」
そこでワープは、自らとラインの姿を省みる。確かに、衣類も体もぼろぼろだ。
「私に何か問いたければ、まずは身を清めるがいい。それが礼儀というものだ」
そこに、先ほどの少女が入ってくる。
「ホノメ、この者たちを案内しなさい」
「かしこまりました」
少女は優美に一礼する。その完璧な動きは、学園のルルを連想させた。
「こちらへおいでください」
ワープが案内された先は、御座所の中庭にある湯浴み場だった。月明かりに照らされ、湯が暗い銀色に輝いている。ラインと一緒では障りがあるということで、彼は別の場所に連れていかれたが、きっとそこもお風呂なのだろう。
ホノメとよく似た少女たちが集まって、ワープを取り囲む。
「私たちは精霊王様の身の回りのお世話を仰せつかっています。貴女様のお世話も任されました」
「そ、そうなのですか、その、ありがとうございます」
ついお礼を言うが、少女たちは何故かワープの巫女衣装を脱がそうとしてくる。あわてて抵抗しながら、ワープはホノメに訴える。
「あの、私、ひとりで大丈夫です」
「そうはいきません。お世話をするのが私たちの務め」
ぐいぐいと帯を引っ張ってくる少女たち。服を脱がせ、ワープの体を自分たちで清めようとしているのだろう。他人に体を洗われると考えただけで、ワープは青ざめた。恥ずかしいなんてものではない。
「ほっ、本当に大丈夫ですからあぁ!!」
「なりません。お客人をもてなすことは、私たちに与えられた使命なのです」
ワープは半分涙目になりながら、それではラインはどうしているのかと考える。まさか男性の体を、少女たちが洗ったりはしないだろう。
それでも嫌な予感がして、尋ねてみる。
「あの、ラインさまはおひとりで入浴されますよね?」
「あの男の方ですか?いいえ、あの方もお客人ですもの。できる限りのおもてなしは致します」
「そっそれは、いかがなものでしょう!?」
ワープはあわてて少女たちの手を振りほどく。
「だめです!! それはだめです!! 差し障りがある気がします」
「しかし、そういうご命令ですので」
「ら、ラインさまはどこですか!?」
複数の少女たちに、年頃の男性の体を洗わせるなんてあってはならない。ワープの中に謎の正義感が芽生えた。
ラインのことだから、甘んじて少女たちの「もてなし」を受けていたりはしない、とは思う。けれど、少女たちの頑なな姿勢に根負けしていたらどうしよう。
「だ、だめですからぁっ!」
どこにいるとも知れないラインに、ワープは必死に訴えかけるのだった。
「…………聞こえてる」
ラインはぽつりと呟く。
湯浴み場はひとつなぎになっており、ワープのいる場所とラインのいる場所は、薄い木の壁で仕切られたきりなのだ。隣の大騒ぎが、ラインにはすべて聞こえていた。
少女たちは例に漏れず、ラインの世話をしようと取り囲んできた。けれどラインは、左手を軽く振ってそれをかわした。これは、触れられることを拒む合図。精霊種とひととの間に線引きをする動き。
少女たちは一瞬困惑したものの、おとなしく引き下がってくれた。
隣から聞こえるワープの悲痛な声に、教えてやればよかったかと少々後悔する。しかし、少女たちからしてみれば好ましくない態度だろうから、できる限り世話を受けた方が良いだろう。
そこで、向こう側の大騒ぎにはあえて耳を塞ぎ、ラインは身を清めるのに専念することにした。
精霊王は、掌に乗せた風の心音を見つめ、口元に笑みを浮かべた。
御座所に立ち入ることを許されるのは、真に祈りの巫女と認められた者と、その騎士のみ。
まだそのどちらでもないあの少女と少年を、風の心音は導いた。これが何を意味するのか。
精霊王は笑みを深くする。
古代からこの世に存在する精霊だけが知る、世界の理。御座所は、それによって、迷える祈りの巫女を導くための場所。
あの少女の求める答えは、世界にどんな風を吹き起こすのか。彼女によってもたらされる何かは、世界を少なからず変える。
世界を作り上げる精霊を統べ、齢万を越える精霊王をして、そう予感させる何かが、あの少女にはあるのだ。




