風の心音6
翌朝目を覚ましたワープは、自分がやわらかい葉の上に寝かされ、上衣をかけられていることに驚いた。昨夜ラインの腕の中に包まれたところからの記憶がない。途端あの密着感とあたたかさを思いだし、顔から火が出るような思いになる。
ラインはすぐそばにいた。いつから起きていたのか、はたして寝ていたのか疑問に思うほど、眠気などまったく感じさせない目でこちらを見つめている。
「……おはようございます」
何となく気恥ずかしい。あれだけ一思いに泣いてしまえたのは、いつぶりだろう。
ワープは身を起こすと、上衣をラインに返しながら、
「私は、次期巫女姫です」
強い思いを込めて言う。
ラインは上衣を受け取り、それを羽織る。そして立ち上がると、ワープに手を差し出した。
「なら、行くぞ」
黒いグローブに包まれた左手を、しっかりと握る。軽々と引き上げてくれる腕は、頼もしかった。
ラインだって、かなり疲労しているはずなのだ。傷も癒えていない体で、ここまで来たのだから。けれど彼はちっともそんな様子を見せない。
私も強くならなくては、と心に思う。
足の痛みは、不思議と引いていた。見えざる何かが、手を貸してくれている。身体中に力が沸き上がるようだった。
ワープにはわかった。
神が、歩けと命じている。早く答えを見つけよと言っている。
巫女衣装の中にしまいこんでいた鈴……風の心音が、シャラン、と鳴った。
神殿では、朝のお祈りを終えたリフィルが、不安を抱えて空を見上げていた。
あの太陽は、一体何なのだろう。いつもはあたたかく日だまりを与えてくれるはずの光が、今は恐怖さえ煽る。真っ白で、それにとても大きな太陽。いつか大地に近づきすぎて、全てを燃え上がらせてしまうのではないか。
……嫌な予感がする。
「……ワープ」
旅立った弟子を思う。
御座所への旅は、苛酷なものだと聞いている。リフィル自身体験したことはない。やはり、まだ巫女にもなっていないワープを行かせたのは無謀だっただろうか。
リフィルは首をふる。
そんなことはない。いつだって、リフィルが信じた道は正しかった。ワープならば、大丈夫だ。
神殿の入り口に人の気配を感じ、リフィルはため息をつく。
「お入んなさい。あなたたち、また文句を言いに来たの?」
ツルハが複雑な表情を浮かべて入ってくる。そのあとに、リーンハルトがいつも通りののんびりした顔つきで続いた。
ワープを風の御座所へ行かせると言ったとき、ツルハは猛烈に反対した。普段の彼女からは考えられないほど荒々しく怒鳴ってまで。
対してリーンハルトは落ち着いたものだったが、やはり賛成はしなかった。やんわりとツルハの肩を持つので、リフィルはふたりを相手に壮絶な舌戦を繰り広げたのだった。
それからというもの、ツルハはリフィルに近づくたびに小言を言ってくる。珍しいことでもないので、特に気にしてはいないのたが。
「文句ではなく、お耳に入れておきたいことがあって参りました」
不機嫌そうに、つんと顎を上げるツルハ。リーンハルトがその肩に手を置き、笑顔で問うてくる。
「リフィル様はどう思われます?ここ最近の異様な太陽を」
リフィルは口をつぐむ。確かにあの白い太陽のことは、非常に気になっていた。しかしリーンハルトの口調が、あいつマジうざいですよねー、とでも言いたげな軽いものなので、いまいち危機感が湧かなくなる。
ツルハが懐から手帳を取りだし、ページをめくる。
「王国の兵団と連絡を取って、天文台の博士に話を聞きました。太陽があのようになってから、王国の精霊のバランスが崩れていると。全力で調査に当たっていますが、今のところ原因は不明です」
ツルハの言葉は、一瞬で空気をぴりっと引き締めた。
「精霊のバランスが崩れたら、あらゆる魔法の効果が弱まります。このまま異常が続くようなら、王国を支える魔法文明は危機に晒されます」
この王国の生活を支えるのは、精霊の力だ。火の精霊によって灯る明かりや、水の精霊によって涌き出る飲み水。生活を支えるそれらすべてが機能停止することは、まさに王国の危機だった。
リーンハルトが明るく言う。
「原因がわからないんですから、なんにも手だてはないんですけどね。一応リフィル様にもご報告をと思いまして」
リフィルは頭を抱え、椅子に腰かける。
「……あたしには、神が何をお考えなのかわからないわ」
祈りの巫女を、神はどういう風に見ているのだろう。王国を救うヒントさえくださらないなんて。
ワープならば大いに思い悩むところだろうが、リフィルは違う。心の内には怒りさえ浮かぶ。こっちは王国のために日々祈りを捧げているのに、神は見返り代わりに奇妙な太陽など送りつけてくるのか、と。
「けど、あたしのすることは変わらない。例え神が何の言葉もくださらなくても、あたしは祈り、平安を訴え続ける」
ツルハが目を丸くし、リーンハルトが満足げに微笑んだ。
「リフィル様はやはり、祈りの巫女がなんたるかをわかっていらっしゃいますね」
「誰に口を利いているのよ。バカにしているの?」
「馬が合いますね、と言ってるんですよ」
へらっと締まりなく笑うリーンハルトに思いきり顔をしかめてみせ、リフィルは複雑な顔をするツルハに向かい直る。
「まだご機嫌ななめかしら、お嬢さん?」
「……私はリフィル様のやることを疑ったことはありませんし、常に信じております」
ツルハの青い瞳は透き通っていた。ガラス玉に空を透かせたようだった。
「ですが、今回のあれは……あの真白き太陽は、悠長に構えていてはならないと、私の騎士としての本能が、告げているのです」
常にまっすぐ見据えられるツルハの目は、リフィルが目を逸らすのを許さない。リフィルはしっかりと騎士と目を合わせた。
「あなたのことは信用している。けれど、今はワープの旅の途中。あたしはあの子のためにも、今は祈りたい。だから、時間をちょうだい。あたしと、ワープに」
「…………」
やがてツルハは、そっと目を伏せた。
「……そうですね。すみません。出過ぎた発言でした」
「いいえ。ツルハちゃんも騎士がなんたるかをわかっていらっしゃいます」
「お前に言われても嬉しくない」
にこにこと笑うリーンハルトに、ツルハは渋面を向ける。いつも通りのふたりの騎士に、リフィルはふっと頬をゆるめた。
巫女の騎士となること。それは最強の武人の称号と共に、老いない身体を手にいれること。普通の人生、平凡で幸せな人生を、二度と歩めなくなること。巫女の騎士が背負わなければならないものはあまりに大きく、下さらなければならない決断は生半可な覚悟では挑めない。
それを、このふたりはやってのけた。祈りの巫女、リフィルとともに生きる決意をしてくれた。リフィルはこのふたりに支えられ、助けられ、生きてきた。
ワープにも、素晴らしい騎士候補生がついている。彼女には、ともに悩み、苦労し、成長してくれる者が側にいてくれる。ワープがそのことを理解し、自分を責めることをやめてくれたら良いのだが。
ワープだけでなく、ラインも。
風の御座所へ行くことが、必ずしも彼らに答えを与えるわけではないだろう。けれど、この旅が、きっとふたりを成長させてくれると、リフィルは信じている。
リーンハルトが言うように、巫女がなんたるか、騎士がなんたるか、それをわかってくれればいい。正解などない。ワープの思う巫女を、彼女の騎士たちが認めるのなら、それが正しいあり方なのだ。
今は、待とう。信じよう。ふたりが無事に帰ることを。




