風の心音4
今日の太陽も、白く眩しく、不安な心を掻き立てた。
セイルとケットは、中庭で激しく剣を交えていた。本気で殺しにかかっているとしか思えないほど、隙のない動きで刃を振るう。
ケットの剣がセイルの胸を捉えようとすれば、セイルは飛び退いてそれをかわす。やがて、お互いの切っ先がそれぞれの首に突きつけられたところで、ふたりは動きを止めた。
ふたりを取り囲んでいた生徒たちがわっと沸き上がり、けれど決着が着かなかったことに落胆しながら、ぞろぞろと引き上げていく。
その様子をにこにこしながら眺めていたアナが、稽古を終えたふたりに労いの言葉をかける。
「お疲れ様。今日はまた引き分けだったねえ」
セイルとケットは剣を収める。ふたりの納得のいかない顔に、アナはふんわりと微笑んだ。
「紅茶を淹れるよ。お砂糖たっぷりの、とびきり濃いやつ」
温室の穏やかな雰囲気の中、紅茶の優しい香りに包まれても、騎士候補生たちの気分は沈んだままだった。
言うまでもない。風の御座所に向かったワープのことが気ががりなのだ。
アナは険しい顔のセイルとケットを見て、くすっと笑みを漏らす。本当に、わかりやすいんだから。
「ワープは大丈夫だよ。ふたりともわかってるでしょ?」
「ワープのことは信じている。俺が気にくわないのは、自分自身のことだ」
ケットがじろりとアナを見る。確かに、苛立っているようだ。それをこちらに向けられても、と、アナにしてみれば少し困るのだが。
「騎士を縛る呪いの話を聞いたとき、俺の中に騎士を諦めるなんて考えは浮かばなかった。なんとしてもワープの騎士になる。その目標は霞まなかった」
そうだろう、と思う。ケットはそういう男なのだから。
「だが、ワープはそれに心を痛め、巫女としてけじめをつけに行った。俺には考えも及ばぬことだ。ワープは俺たちのために神にもの申しに行ったのだ」
それもまた、そうなのだろうと思う。ワープはそういう少女なのだ。
「彼女のことを、守りたいと、ずっと思ってきた。だが、本当に守られているのは……俺の方なのかもしれない」
情けない、と呟きながら、ケットはうなだれる。
アナとしても、ワープの強さはよくわかる。守られていると感じる気持ちも、理解できる。けれど手放しにケットの言葉に賛同はしなかった。
「ケット、僕らの目指すところはさ、巫女と騎士が支えあう未来でしょ?」
「……そうだな。無論だ」
「巫女に救われることを拒むことないよ。僕らは僕らで、ワープのためになってあげればいいんだ」
そうでしょ?と微笑むアナに、ケットは目を丸くする。やがて霧が晴れたように笑みをこぼし、
「あぁ。まったくその通りだな。俺は何か思い違いをしていたようだ」
ケットは紅茶を一口飲む。
「今、過酷な旅の途中であるワープのために……俺はせめて祈ることにしよう」
アナもそっと紅茶を口に含んだ。
御座所への道中であるワープのために、今できることは無事を祈ることだけ。それは歯痒く、辛いものだった。だが、信じてやらねばなるまい。ワープの強さと、彼女が固めた決意の大きさを。
傍らで未だに仏頂面をしているセイルに目を移し、ケットが怪訝な顔をする。
「……お前は何を不満そうにしているんだ」
「ふふ。ケットよりもっとわかりやすいよ。セイルはワープをラインに取られてつまらないんだ」
途端にかあっと赤くなり、セイルが立ち上がる。拍子に大きく揺れたテーブルからティーポットとカップを守り、アナは涼しい顔で再び紅茶に口をつけた。
「お前はおれを馬鹿にしてんのか!!」
「まさか。でも、あながち外れでもないでしょ?」
セイルはわなわなと唇を震わせる。セイルからしてみれば、すぐにでもワープを追いかけて一緒に風の御座所を目指したいのだろう。けれど、リフィルは自分たちが共に行くことを許さなかった。そのときのセイルの不満を露にした顔が忘れられない。巫女の騎士に捕らえられるのではないかと心配になるほど、敵意に満ちた顔だったのだ。
アナの穏やかな顔と向かい合って勢いを削がれたのか、セイルは力なく椅子に座る。
「ワープが頑張っているのに、側にいれなくて辛い気持ちはわかるよ。でもさ、僕らはここで、帰ってくるワープをあたたかい紅茶と美味しいクッキーで迎えなくちゃならないんだから。あ、そうだ、シフォンケーキも焼いてみようか?」
いつもと少しも変わらない調子で言うアナに、セイルはすっかり毒気を抜かれたようだった。
「俺は時々、人類は皆お前を目指すべきなんじゃねえかと思う」
「ふふっ、それは光栄だね」
アナはおかわりの紅茶をつぎながら、穏やかに笑う。
「セイルもケットもあんまり思い悩まないで。ワープを信じて今は待とう」
ふたりとも単細胞の割には深く悩んで抱え込むので、こうして安らがせてあげないと。そんなことを考えながら、アナはふたりのために紅茶を注ぎ直すのだった。
ゆっくりと目を覚ましたワープは、すぐそばでラインがこちらを見つめているのに気がついた。眠る自分を見守ってくれていたのだ、と気づくと同時に、あたたかい気持ちが心に広がる。
それから、目映い太陽の光に一気に覚醒させられ、ワープはあわてて身を起こした。
「おはようございます。あ、あの、私もしかして寝過ぎてしまいましたか?」
寝坊の前科があるため、安心はできない。しかしラインは落ち着いた声で答えた。
「大丈夫だ。すぐに行けるか?」
「はいっ」
実を言うと足の痛みは取れず、身体中が悲鳴をあげている。けれどゆっくりしている余裕などないのだ。
険しい顔で立ち上がるワープの肩に、ラインが手を置いた。
「無理はするな」
静かな、けれどきっぱりとした声で言われ、ワープは目を瞬く。肩に置かれた手袋をはめた手に、少し力がこもった。
ワープは微笑んで、ラインの手に手を重ねる。
「大丈夫です。本当に辛かったら言いますから」
「…………」
ラインはそっと手を降ろす。
辛かったら言う、そんなことを言いつつも、ワープはどんなに辛くても歩き続けると決めていた。足の感覚がなくなろうと、歩かなくてはならない。
そんな思いが伝わってしまったのだろうか。ラインは顔を曇らせ、それでも何も言わなかった。
ふたつめの山。これを越えれば、最も険しい道を乗り越えたことになる。道が開拓されていないので、この山はほとんどが岩場なのだ。容赦なく足を突き刺す岩に、ワープは度々ラインに休憩を頼まなくてはならなかった。
岩場に腰かけながら、ワープはラインに謝る。
「ごめんなさい……早く行かなくてはならないのに」
「謝る必要はない……」
突然ラインは背後を振り向き、瞳を光らせた。
「確かに、この山は早く抜けた方がいいな」
鋭い呟きがきっかけとなったように、山の上から何人もの男たちが姿を現した。誰もが斧や剣を手に持ち、嫌な笑みを浮かべながらこちらを見ている。
ラインがワープを隠すように男たちとの間に立つ。さりげなくリフィルから受け取った短刀を手にかけていた。
「見ろ。ガキだ」
「何にせよ少しくらい金目の物は持ってるだろ」
男たちはふたりを取り囲むと、じろじろと舐め回すように視線を寄越した。そしてワープの紅色の瞳に気づくと、
「おい!! こいつの目を見ろ!!」
「なんてこった。巫女サマにお会いできるなんてな」
男たちはワープに近づき、更にいやしい笑みを深めた。
「さすがに巫女衣装ともなると上等だな。巫女サマよ、俺達ゃ金に困ってる。困ってる民がいるんだ、あんたの纏ってるモンでも分けてくれよ」
「え……」
言葉を失うワープ。
瞬間、ラインが短刀を男の鼻先にかすめ、ワープから引き離した。
「生きる努力の仕方を誤っている。そんな輩に神聖な巫女の衣を渡すわけがないだろう」
「……このガキっ!!」
鼻に一筋の傷をつけられた男は激昂し、ラインに斬りかかる。ラインは涼しい顔でそれをかわすと、目にも止まらぬ速さで男の腹を殴りつけた。
きっ、と睨み付けられ、野盗たちは怯む。ラインがただ者ではないことがわかったらしい。
「巫女は儀式の途中だ。それを妨げることが、何を意味するか。わからないのならその身に刻み込むがいい」
凛とした声を辺りに響かせ、ラインは鋭い眼差しを男たちに向ける。しばらく気圧されたように動きを止めていた野盗たちだが、やがて格好がつかないと察したのか、
「怯んでんじゃねえ!! ガキひとりだ、どうにでもなる」
その叫びが引き金となって、男たちはラインに襲いかかった。ラインはワープを背後に庇いながら斧の斬撃をかわし、反対に短刀を振るう。
そのときワープは気づいた。ラインは短刀で反撃してはいるが、切りつけてはいない。刃とは反対の部分で殴っているだけだ。
目の前で繰り広げられる凄まじい光景に、ワープは恐怖も不安も忘れてしまった。
ラインの力は圧倒的で、確実に野盗たちの急所を捉えて動きを封じていく。しかも一切の血も出させずに。流れるようなその戦いぶりに、ワープは目を見張る。それは戦いの中に生き、戦うための全てを知った者の姿だった。
そこに立つのは、確かにライン。けれどワープの目には、まったく知らない誰かのように写った。
「行こう。目を覚まさないうちに」
ラインはワープを振り返る。いつもと変わらない静かな黒の瞳に、少しほっとする。このままワープの知るラインはいなくなってしまうような気がしていた。
野盗たちは残らず地に伏せている。あっという間にこれだけの人数を倒してしまったのか、と、今更ながら驚いた。
ワープは立ち上がろうとしたが、腰が抜けてしまっていた。自分がかなりの恐怖を受けていたのだと悟る。
「あの、ごめんなさい。力が入らなくて……」
ラインは黙ってワープに背を向け、そのまましゃがみこむ。その意図がわからず困惑するワープの手を引き、無理やり背中にもたれさせる。おぶされということなのだろう。
「これは手を貸すんじゃない。危険地帯から遠ざけるための、やむを得ない手段だ」
「…………はい」
ワープはラインの首に腕をまわす。彼は細身ではあったが、支えてくれる腕は力強かった。伝わってくるあたたかさが嬉しく、ワープはいつしかぎゅっと力を込めてラインにしがみついていた。
「あの、ラインさま。助けてくださって、ありがとうございました」
「当然だろう。俺はそのためにいるんだ」
「私、重くないですか?」
「お前は発育不良を自覚した方がいい」
「……そうですね」
一歩歩くごとに揺れる黒髪や、膝の裏にまわされる腕。背中から伝わる体温。それらすべてがラインのものだと思うと、不思議だった。こんなに近くにいるのに、心はまだ遠い。いっそこのまま溶け合えたらいいのに。体ごと、心と心を触れあわせることができたら。
「あの男のひとたちも、きっと巫女は好きでないのでしょうね」
「気にするな。ああいう連中は、巫女自体に興味なんてない。目前の金しか見れないんだ」
「…………」
全身を無遠慮に舐め回すような視線。あれを思い出し、ワープの全身に悪寒が走る。
けれど、あのひとたちもまた、救いを求める王国の民なのだ。
「私は、国民皆が幸せであってほしいです。難しい願いだということはわかっています。けれど、諦めてしまっては何の意味も成さないと思うのです」
半ばひとりごとのように呟く。
ラインはしばらく返事をしなかった。やがて風が吹き、ふたりの髪をさらりと撫でていく。
「……願うことは自由だ。追い求めるのも自由だ。……お前の願いは気高い」
そこで、ふっと声が低くなる。
「だが、その身を滅ぼしてまで叶えなければならない願いなどない。例えお前が祈りの巫女でも、それは変わらない」
「ラインさま…………」
ワープは、そっとラインのうなじに顔を伏せた。やわらかな黒髪が頬をくすぐる。
あなたは。あなた自身は、何も願ってはくださらないのですか。私はこんなにもあなたに救われているのに、私に救いを求めてはくださらないのですか。
そんな思いが、触れあう肌から伝わればいいのに。直接言葉で言う資格なんて、きっとワープは持っていないから。
だから、どうか。
体温と一緒に、思いが運ばれることを祈る。これくらいは、許してほしいのだ。




