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神の吹かせる風  作者: わた
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風の心音3

ころん、と可愛らしい音を立てる鈴を手のひらで転がす。

礼拝堂の窓辺に腰かけて日の光を浴びながら、ワープはぼんやりと頬杖をついていた。


( 風の心音…… )


御座所で、何が起こるというのだろう。


風の御座所は、神と最も距離の近い場所といわれる。長い間神に仕え、その力を認められた巫女しか入ることは出来ない。禁忌の神域とも呼ばれている。


太陽は、今日も真っ白に輝いている。けれど、こんなに眩しいのに、心を明るく照らしてくれはしない。


ふわ、と髪が浮き上がり、背後に人が来たのがわかった。


「…………お前、逃げ出したいと言ったそうだな」


淡々とした口調。


振り返れば、ラインが、静かにこちらを見ていた。服の隙間から覗く胸には、いまだ包帯が巻かれている。


「……ごめんなさい」


巫女の騎士を縛る呪いの話を聞いたとき、ワープは耐えきれずに漏らしてしまったのだ。責任から逃れたいと。

祈りの巫女として、許されないことだ。


ラインの深い黒の瞳は、少しも色を変えない。


「お前が軽々しくそんなことを言うわけはないと、俺もわかっている」

「え……?」

「騎士の呪いのことは知ってるよ」


ワープは驚いて、ただただラインを見つめる。


「変えたければ、行くしかない。お前も……俺も」


ラインの瞳は強く輝いていて、言いようもない力を感じさせた。ワープは頷く。

風の御座所に行かなければ、自分はただ辛い運命に怯えることしかできない。いずれ自分の騎士となってくれる者だけに、壮大な覚悟をさせてしまうことになる。


手の中で鳴る鈴……風の心音をぎゅっと握る。


「ラインさま、私と一緒に行ってくださいますか」


まっすぐに、ワープの紅い瞳とラインの黒の瞳が交わされる。

やがてゆっくりと、ラインは頷いた。


ひとりではない。ラインがともに行ってくれる。

そう思うと、力が湧いた。


あなたと同じように苦しむ、ラインとともに行きなさい。

リフィルはそう言った。

ラインの苦しみは、消える日が来るのだろうか。消してあげたい。できることなら、ワープの手で。


ラインの、手袋によって包まれた手。汚らわしいと彼自身によって覆い隠されたその両手を、しっかりと握りしめてあげたい。


けれど、今のワープには出来ない。迷って、悩んで、自分のことで手一杯のくせに。ひとの心に付け入ろうなんて、おこがましい。

だから強くなろう。そのために行くのだ。風の御座所へ。





御座所への道中、巫女は身を清め、無用なものは一切持っていってはならない。神に近づいていくための礼儀だ。

風の御座所は、いくつもの山を越えた先の谷にある。決して近い道のりではないが、着替えも、食糧も、用意するわけにはいかない。ただ少しの水と、ラインにはひとふりの短剣が渡された。


「これでワープを守りなさい。あたしが力を込めた、神聖な短剣だから。これの他に武器を持ってはだめよ」


ワープは巫女衣装に身を包む。靴を履くことは許されていないので、裸足だ。これで山道を歩いていかなければならない。

まだ正式な巫女ではない者が風の御座所に行くことなど異例で、リフィルもかなり騎士たちと揉めたらしい。けれど結局は、ツルハもリーンハルトも、リフィルの主張に従った。


緊張で体を強張らせるワープに、リフィルは優しく言った。


「御座所は遠い。厳しい道のりになるでしょう。けれど、大丈夫。あたしはいつでもあなたの無事を祈っているし、あなたの騎士たちはあなたを信じて待っている。それに、ラインがついてるわ」


ワープの頬を撫で、リフィルは微笑む。


「信じなさい。答えは見つかると」


ワープはラインとともに、神殿の外に出た。足の裏に直接伝わる地面の熱さが、不安を煽る。


太陽は、変わらず白く眩しい。


ラインは静かにワープに頷きかけ、歩きだす。



初めの山にたどり着いた時には、既にワープの足は擦りむけ、赤くただれてしまっていた。

足の痛みと疲れにより、ワープはたまらず立ち止まり、膝に手をつく。


「だ、大丈夫ですから……」


そう言いながらも肩で息をするワープに、ラインはきっぱりと、


「少し休もう」


その有無を言わさぬ口調に、ワープはしょげかえって頷く。こんな調子で、無事御座所まで行けるのかと不安になる。


ラインはワープを座らせ、何も言わないままどこかへ行ってしまった。

やがて戻ってきたラインの手には濡れた手拭いが握られていた。彼は巫女衣装の裾を捲ると、ワープの傷ついた足をそっと拭ってくれた。

終始無言ではあったが、その行動の中には確かなあたたかさが感じられ、ワープは感謝を込めてラインを見つめた。


「……ありがとうございます」


わざわざ小川を探して、手拭いを濡らしてきてくれたのだろう。その優しさが嬉しく、足の痛みのことなど気にならなくさえなった。


ラインこそ、体は大丈夫なのだろうか。治癒魔法を受けたとはいえ、まだ完全に回復したわけではないだろう。胸に巻かれた包帯は、まだ解かれていないのだから。

しかしラインは疲れた様子など一切見せず、涼しい顔で立ち上がる。


「行こう。先は長い。日が暮れる前に、ひとつでも山を越えておこう」


そこで、ふたりはまた歩き出したのだった。


山道は決して平坦ではない。岩場はワープの足を傷つけ、遥か頭上の異様な太陽は、ふたりを容赦なく照りつけた。


小川の急流の向こうに、大きな岩があった。ラインは軽々と川を越え、岩に乗る。そして、すっとワープに手を差しのべた。

黒いグローブに包まれた左手。フロウに貫かれた右手を庇っていることに気づく。

ワープは腕を伸ばし、その手をしっかりと握った。ふわりと体が浮いて、岩場まで引き上げられる。


「ありがとうございます」


ラインはただ頷いた。


しばらく歩いていくうちに、ワープはまた足の痛みに耐えきれなくなった。太い針で執拗に突かれているかのようだ。鈍くて熱いその感覚に、たまらずへたりこんでしまう。


「ご、ごめんなさい。私……」


情けなくて、泣きたくなる。

ラインはまた手拭いを濡らしてそっと拭ってくれたが、痛みはひどくなる一方だ。気がつかないうちに、毒草を踏みつけてしまったのだろうか。


「だ、大丈夫です!! 歩けますよ」


言いつつ立ち上がり、鋭い痛みが電撃のように足裏を駆け巡る。

ラインはよろめくワープを支え、そのまま腰と膝に手をまわして抱きかかえた。


「えっ、えぇっ!?」


ぴったりと体がくっついている。すぐ横にラインの胸があり、体温がほんのりと伝わってくる。


「だっ、だめです!! 自分の足で歩かなければ……」

「騎士は巫女を守るものだろう?」


静かな力ある声で言われ、ワープは口をつぐむ。


「ですが……ラインさまも、お辛くはないですか?」

「俺のことはいい」

「よくありませんっ!!」


顔同士が近い状態で、遠慮なく大声で否定され、ラインは目を丸くする。


「ご自分のことをもっといたわってください。私は大丈夫です。巫女として、私は自分で歩きます。……足手まといで、とても申し訳ありませんが」


突き刺すような痛みをぐっと堪え、ワープは地面に降り立つ。


ラインはしばらく目を瞬いていたが、やがて呆れたように息をついた。


「……好きにしろ」


ワープはにっこりと頷いた。




ひとつめの山を越えると、もう空は真っ暗になってしまった。


夏とはいえ、夜の山の空気は冷たい。ラインは木々の欠片を集めて火をおこした。今夜はここで朝を待つしかない。


ワープは火にあたりながら、柔らかな葉の上に足を置いて、一言も喋らなかった。わずかな水を口にしただけの体は弱り、露な足は痛々しく腫れ上がっている。体力は限界だった。


まだ、ひとつの山を越えただけだ。この先の道のりを、耐えきれるのか。ワープの心は不安に支配されていた。


ラインが、またそっとワープの足を拭ってくれる。道中、彼はこうして何度もいたわってくれた。濡れた手拭いはひんやりと気持ちよく、彼の心遣いはワープをたいそう慰めた。


「……ありがとうございます」


ラインはワープを見つめる。


「信じろ。必ず、たどり着ける」


黒の瞳が火の色を映して、まるで巫女の瞳のようだった。彼の声は静かだったが、ワープの心にすっと染み込み、確かな勇気を与えてくれた。


「……ラインさま。あなたは、私にとって……なくてはならない存在のようです」


小さな声で囁かれたその言葉に、ラインは辛そうに顔を歪めた。それを見て、ちくりと痛む心を感じながら、ワープの意識は手放されたのだった。



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