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神の吹かせる風  作者: わた
53/92

秘密5

翌朝。目が覚めたワープは、そこがいつもの自室ではないことに気づき、あわてて飛び起きた。

すぐにここはセイルの部屋だったと思い出すが、それでは部屋の主はどこだろう。


見れば、自分はベッドを占領してしまっている。しかも上掛けまできっちりと掛けてもらって。


セイルは、ベッドに寄りかかるようにして眠っていた。


外は薄明かるい。まだ明け方なのだろう。起きるのには早い。


ワープはそっとベッドから降り、セイルに上掛けをかぶせた。そのままベッドに戻るのも申し訳ない気がして、隣に座る。


瞼はまだ充分重い。


ワープはいつの間にか、セイルと並んで意識を手放した。




今日二度目の起床をしたワープは、身体中の痛みに顔をしかめた。床に座って眠るとこんなに体が凝るのかと、初めて知った。


セイルはすでに起きていて、もう着替えも済ませていた。椅子に逆さ向きに座り、面白そうにこちらを見ている。


「おはよう、ワープ」

「……おはようございます」


ぼんやりとした頭で、体がぬくぬくとあたたかいことに気づく。セイルは早くに起きて、また自分に上掛けを戻してくれたのだ。


「セイル、ごめんなさい。私、ベッドを奪ってしまいました」

「気にすんな。こっちは野宿にも慣れてる。お前が中途半端に気を使うから、かえってベッドが無駄になったぜ」

「う……ごめんなさい」


セイルは肩をすくめて、


「冗談だよ。お前はいちいち真に受けるな」

「わ、私、冗談を見分けるのが苦手で」

「はあ……損な性質だな」


本気で心配しているようなため息をつかれ、ワープは言葉を失う。


「よく眠れたか?」

「は、はいっ。お世話になりました」


セイルが居てくれたおかげで、今までにないほど安心して眠れた気がする。

友人とは素晴らしいものだ、としみじみ感謝していると、コン、コンとドアがノックされた。


返事を待たずに、ひょこっとアナの顔が覗く。


「おはよう。ワープ、なんにもされなかった?」


楽しそうな笑顔と第一声に、セイルが思い切り眉を寄せる。


「おい。お前はおれを何だと思ってる」

「冗談なのに。ほらあ、早くしないと朝ごはん食べられなくなっちゃうよ?」


いまだセイルの寝巻き姿のワープを見て、アナがくすくす笑う。

なんとなく恥ずかしくて、ワープはぶかぶかの袖を少し捲ってみた。


「セイルがいるからワープが着替えられないんでしょ?ご婦人の身支度が済むまで、外に出るのが紳士だよ」

「なんだよ。言われなくても覗きの趣味はないし、どうせ覗くならもっとこう……」

「セイル」


アナは何かを言いかけたセイルを目で制し、外に引っ張り出す。

なんだか凄く傷つくのを阻止してくれた気がして、ワープは無意識にアナに感謝した。


「あ、あのっ、すぐに身支度しますから!! お心遣いありがとうございます」


ごゆっくり、という言葉とともにアナの笑顔がドアに遮られる。


ポツンと残されたワープは、さて、と制服に向き合う。

お風呂のときもそうだったけれど、誰も見ていないとはいえ、他人の部屋で服を脱ぐのは抵抗がある。


この寝巻きは洗濯をして返した方がよいですよね、きっとそうです、と自問自答しながら、ワープはそそくさと着替えを済ませた。

借りた寝巻きは丁寧にたたみ、昨日の洗濯物とともに麻布に包む。


髪を赤い髪留めで二つに束ね、急いでふたりを呼び戻す。


「お待たせしました!!」

「早いねえ……ありゃ、ワープ」


アナはワープの髪に触れ、おかしそうに笑う。


「鏡くらい見て、ゆっくり身支度してよかったのに」


すきもせず、適当に束ねた髪はくしゃくしゃに乱れていた。


「いえ、その、お待たせするわけには」

「後でやり直してあげるね」


優しい笑顔でそう言われ、ワープは恐縮した。かえって手間をかけさせてしまう気がする。


「すみません、ありがとうございます」


それから退屈そうに腕を組んでいたセイルに向き直り、


「セイル、お寝巻き、洗濯してから返しますので、少しの間お借りしていてよいですか?」

「別に洗わなくていいよ。一晩着ただけだろ?」

「いえ、そういうわけにはいきません」

「固いやつだな。好きにしろ」


そのとき、ワープの腹の虫が空腹を告げる。唐突な自己主張に、ワープは真っ赤になって俯いた。

セイルは吹き出し、アナはなぜか嬉しそうな顔をする。


「お前の中ではっきり自己主張してくるのは、その腹の虫だけだな」

「はう……」

「お腹空いたね。食堂に行こう。もちろん、あらぬ噂が立たないように、慎重にね」


あらぬ、という部分を強調するアナに、セイルがまた顔をしかめる。


せめてもう少し可愛らしい音が鳴ってくれたらなあ、とひとり悶々とするワープを促し、三人は連れ立って食堂に向かった。





白い光が部屋中に満ちている。涼しくて心地よい風が吹き込み、それが髪をなぜる感触で、ラインは目を覚ました。


広々とした医務室。以前にも世話になった場所だ。まさかこんなにすぐに舞い戻る羽目になるとは思わなかった。


起き上がろうとすると、ずき、と脇腹が傷んだ。思った以上に傷が深いらしい。右手を吊られ、身体中に包帯を巻かれた姿を確認し、ラインはため息をつく。


「あ」


小さく驚きの声があがる。見ると、人形のように隙なく着飾ったルルが、朝食を運んできたところだった。


「おはようございます」


ルルはてきぱきと盆をベッド脇のテーブルに置き、リンゴジュースをグラスに注ぐ。

それから完璧な角度で礼をすると、


「校長先生を呼んできます」


その言葉が放たれた瞬間、ルルの肩に手が置かれた。


「ご苦労様、ルル。もう大丈夫ですよ」


エルミタージュが労いの言葉をかけると、ルルはぺこりと頭を下げて退出した。


エルミタージュはベッド脇に椅子を引っ張ってくると、それに座る。長い白髪は光の筋のように、やわらかく煌めいた。


「治癒魔法は致命傷だけを治してくれます。あとは君が、自分で癒すのですよ」


穏やかに言う。

ラインは気だるくクッションに寄りかかり、長い息をついた。


「……フロウが」


怪我の理由を、いつまで経っても問いそうにないので、ラインは自分から切り出す。

エルミタージュは微笑んだまま首をふり、ラインの額に軽く触れて体の力を抜かせた。


「わかっています。守護魔法の隙間をくぐって来られました。侮れない青年です」

「狙っていたのは俺だ。ワープじゃなく。貴方の魔法が悪かったわけじゃない」


守るべき対象が定まっていないと、守護魔法はうまく働かない。ワープのためにかけられた魔法は、ラインに対しては効果が薄いのだ。フロウに掻い潜られても無理はない。


「……しかし、君に大怪我を負わせてしまった」

「俺が自分の身を守れなかっただけだ」


フロウは、圧倒的な力を見せつけた。お前を打ちのめすのは赤子の手を捻るより易い、と言われたようなものだった。


……このままでは、いけない。


エルミタージュは静かにラインを見つめる。

深い深い、闇夜のような瞳には、悲痛な色と焦燥が浮かんでいる。


「……ライン・クロラット。君は本気で、ワープ・セベリアさんの騎士になろうとは思ってくれませんか」


ラインは表情を変えない。


ワープ・セベリア。あの大間抜けで、向こう見ずな次期巫女。

悪気なくひとを振り回すことにかけては一級品。それ以外はまさに劣等生の、気弱な少女。


だが、あの少女は初めて、ラインが自分から過去を明かしてもよいと思えた人物だった。


「……貴方とリフィルが言うように、俺は自分が自分の道を決めることを許してはいない」


エルミタージュは残念そうに目を伏せ、それでも穏やかに、そうですか、と頷いた。


「……ただ、巫女の騎士となるならば、それはワープ・セベリアが決めることだとも思う」


今度は少し嬉しそうに、そうですか、と返される。


エルミタージュは気の毒そうにラインを見つめ、愛し子に語りかけるように、


「若者は迷いなさい。間違いなさい。私は最終的に、君が幸せであればよいのですよ」

「…………」


ラインは俯き、黙りこむ。

やがて放たれた声は、弱々しく、ひどく頼りないものだった。


「……やっぱり、俺は俺自身を許すことができないんだ」

「……君の心はいつまでも牢獄に囚われたままだ」


エルミタージュの声は、深く心に染み渡る。


「君自身が自由になろうとしなければ、誰も君を救えない。開けられた扉に気づけなければ、外には出られません」

「…………」

「籠の鳥は守られている。けれど自分の翼で飛ぶこともできなければ、大空に憧れることもできない。……どちらが君にとっての幸せか、よく考えなさい」


ラインはしばらく目を閉じ、黙っていた。


エルミタージュはどこまでも、幸せになれと言うのか。自分自身を認めないラインを責めるのか。

……幸せになるという意味すら、まだわからないというのに。


ラインは、幸せというものを理解していなかった。ただ手にしてはいけないと敬遠してきた。


本当は、本当の幸せを知りたいという気持ちが心に芽生えるのが恐ろしいのだ。

幸せを知った上でそれを拒絶するのは、きっと辛いことだろうから。


結局のところ、幸せを望まないことで、自分の身を守ろうとしているだけなのだ。

……どこまでも、汚い人間だ。


ラインは髪をくしゃくしゃにしながら、頭を押さえた。

そんなラインを見つめ、エルミタージュは悲しげに微笑む。苦悩する若者への、愛しさと切なさを含んだ微笑みだった。


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