秘密6
入ろうか入るまいか、ワープは裕に半時間は悩んでいた。
ラインに渡してあげて、とアナに託された花束を抱え、医務室の扉に手をかけては離し、手をかけては離しを繰り返す。
終いには、養護教諭に叱られてしまった。
「貴女、お見舞いに来たのなら早く入ったらどうなの!?」
「ひゃいっ!! ごめんなさい!!」
あわてて返事をして、ワープはそろそろと医務室に足を踏み入れる。
日当たりのよい窓辺のベッドに、ラインがいた。
半身を起こして、外の景色を眺めている。ほどかれた黒髪が、さらりと風に揺れる。
光に包まれたラインの姿は、なぜかワープの心を乱した。儚げで、今にも消え失せてしまいそうだったのだ。
「こ、こんにちは……」
蚊の鳴くような声をかければ、ラインはゆっくりと振り向いた。
身体は包帯に包まれ、右手を痛々しく吊っている。
なんの表情も読み取れない静かな瞳と視線が合い、ワープは息をつめる。
「あの、あの、具合はどうですか?」
「…………」
気まずさに冷や汗をかきながら、ワープは花束を抱えてみせる。アナお手製の、大輪の花ばかりを詰めこんだ大きな花束だ。
「お花をお持ちしました。アナの真心の賜物です。花瓶に活けますね」
早速花瓶を探してみると、ラインのベッド脇にはもういくつも花が活けられていた。小柄な可愛らしい花から、背の高い花まで、いろいろな花が。
「……ルルの贈り物」
すでにたくさんの花に囲まれたラインは、困ったように言う。
けれどすぐに、
「花が多くて嫌なわけはない」
というと、隣のベッド脇の花瓶を顎で指す。
「それ、使って」
「は、はいっ」
ワープはにっこりした。
花瓶に花を活けているうちに気まずさも晴れ、とするとますますラインの容態が気になる。
「あの……ラインさま、大丈夫ですか……?」
昨夜見た、生気をまるで感じさせないラインの姿が忘れられない。本当は、面会になんか訪れてはいけなかったのではないか、と思ってしまう。
ラインの瞳は少しも色を変えず、まっすぐにワープを見つめる。あまりに揺るぎない視線を向けられ、ワープはどぎまぎして目を瞬いた。
「あの、あの、もしご体調がよくないのでしたら、私は退散しますから、遠慮なくおっしゃってくださいな」
「…………お前」
低い声が、鋭くワープを呼ぶ。
「怪我の理由を訊かないのか?」
「え」
花瓶をテーブルに並べて置き、ワープは少し考える。
どうして怪我をしたのかよりも、ラインの容態が気がかりだった。
「えっと……まず、お元気かどうかお伺いしたくて」
ラインの瞳が傷ついたように震える。ワープは驚いて頭を下げた。
「ご、ごめんなさい!! 大怪我をなさったというのに、失礼しました!!」
無理をさせてはいけないことはわかっていながら、押し掛けたのはこちら。その上で具合はどうか、などと尋ねるなんて、無神経だった。
ワープはとんだ失敗をした、とはらはら目を回す。
そんなワープを静かに見つめ、ラインは自由の利く左手で、ひょいと手招く仕草をした。
なんでしょう、と近寄ると、ベッドを指差される。ここに座れ、という意味らしい。
「し、失礼します……」
ワープはおそるおそるラインの足元あたりに浅く腰かける。
風が入り込んでふたりを包む。
ラインは何も言わなかった。ワープも、落ち着かない中、辛抱強く黙っていた。
ラインは何かを話そうとしている。彼が口を開くまで、何も言ってはいけない気がしたのだ。
きっと彼が言うことは、とてもとても大事なこと。
それを言い出してくれるまで、何かを言うのは恐ろしかった。ちょっとした弾みで、彼は何も語ってくれなくなるかもしれない。それが怖くて、ワープは唇をきつく結んでいた。
ラインの黒い瞳は、澄んで美しい。その瞳が、日の光にきらりと輝いた。
やがてラインは口を開く。
滑らかに耳に入り込む涼しい声で、彼は話し出す。その声はひどく心地よくて、彼の言葉の重みを、無意識のうちにワープに理解させた。
「お前にひとつ、昔話をしたい」
ラインの姿は、日の光に縁取られる。それがあまりに神々しく、ワープは言葉を失った。
祈りの巫女の証である、紅色の瞳を持つ自分よりも。
どこまでも透き通り、そしてはっとするほど深い黒の瞳を持つラインの方が、遥かに気高い気がした。
「俺は……」
ラインは辛そうに眉をひそめる。
それを見たワープは、微笑んで首をふった。
いつか聞かせてくれと頼んだ彼の過去を、話そうとしてくれていることはわかる。だが、無理をしてまで記憶を引き出して欲しくはないのだ。
「いいのです。まだお加減もよろしくないのですし、今は休んでくださいな」
再び、ラインの瞳が震えた。
「……お前が欲してくれないと、俺は話す勇気がなくなる」
苦しげな、今にも泣きそうにも思える声で、ラインは言う。
切ない眼差しで見つめられ、ワープは息が詰まった。
「言ってくれ、過去を話せと。祈りの巫女として、命じてくれ」
「…………」
ラインの瞳には、悲痛な色が浮かんでいる。
ワープはどうしたらよいのかわからなかった。ここでラインの願いを叶えても、果たしてそれがよいことなのか。過去を話させることが彼のためになるとは、限らない気がした。
けれど……。
ワープは深く息を吸い、まっすぐにラインを見つめた。
煌めく、巫女の証の瞳で。
「ライン・クロラット。あなたのことを、教えてください」
信じなければならない。迷ってはならない。
ラインの過去を聞くことを、正しいこととしなければならない。決めるのは、ワープだ。




