秘密4
人目に触れないように男子寮に入り、こそこそと身を隠しながらセイルの部屋に滑り込んだワープは、ひどく疲労を感じた。
次期巫女と騎士候補生である以前に、女子生徒が男子寮に入り込むのは道徳的によくない。
しかも相手が女子生徒の憧れの的である騎士候補生となれば、見つかったときの報復は想像を絶するだろう。
自分の行動がいかに大それていたかを感じ、ワープは誰にも見つからなかったことを神に感謝した。
そんなワープに、セイルが軽く声をかける。
「大丈夫だよ。陰じゃ結構女を連れ込む奴もいる」
「え」
学園内での恋愛は自由だが、実際に恋人同士というものを、ワープはまだ見たことがなかった。
皆さん大人なのですね、と自分の世間知らずさにまた落ち込んでしまう。
セイルはふっと笑い、
「ま、お前には早い話か」
「う」
意地悪を言うので、ワープは頬を膨らませる。
セイルの部屋は、ワープの部屋より三倍は広かった。簡素なワードローブやベッド、それに小さな座り机以外には何もないが、何となく、ああ、セイルの部屋だなあ、と思う。
そういえば、男の人の部屋に来るのなんて初めてだ。
ちらり、とセイルを見れば、上着を脱いで壁の釘に掛けているところだった。
なんだか猛烈に意識してしまい、ワープは顔を赤らめる。
「お前は出歩かせられねえからな。風呂は部屋のを使え」
「お風呂がお部屋にあるのですか!?」
凄い食い付きを見せるワープに、セイルは面食らう。
「あぁ……大抵の部屋にはあるぞ」
「う、うらやましいです」
ワープは寮の地下にある大浴場を使っているのだが、人気のない時間を狙ってもやっぱり先客がいる。
自分の貧相な体型を人に見せるのは恥ずかしいもので、特にしっかり発達した少女たちの視線は痛い。聞こえよがしに言われたこともある。
『リフィル様とは似ても似つかないわね』、と。
あれほど心に刺さった言葉はありません、と自分の身体を見下ろすワープ。その髪を、セイルが優しくかきあげた。
「お前、意地悪されたら言え」
「意地悪って……あの、私がただ牛乳を飲めばいい話ですので」
「バカか。お前の発育不良は牛乳なんかじゃ治せねえよ」
さりげなくひどいことを言われた、とワープは実感する。けれどこちらを見つめるセイルの目があまりに優しいので、騙されてしまった。
「そうか。お前の部屋は最上階だからな。風呂はついてねえよな」
ちんまりした自室。だからお風呂がないのか、と納得する。
セイルはワープから離れ、ワードローブを開くと、タオルと石鹸をぽいと投げてよこした。
「ほら。おれは浴場に行くから、好きに使え」
「ありがとうございます……あの、セイルもお部屋のお風呂がいいのではないですか?私、セイルが入り終わるまで待ちますよ」
皆から一目置かれる騎士候補生だ。落ち着いてお風呂にも入りたいだろう。
そう言うと、セイルは悪戯っぽく笑った。
「なんなら一緒に入るか?」
「なっ……!?」
途端に真っ赤になって絶句するワープ。セイルは楽しそうに笑って、冗談だよ、と言った。
「……からかっていますか?」
先程セイルを意識してしまったのが、凄く恥ずかしい。
「お前ほどからかい甲斐のあるやつはいねえだろ」
「ひ、ひどいです……」
セイルは優しいけれど、たまに意地悪だから、困る。
やっぱり怒っているのだろうか、とワープは心配になるが、セイルの目はいつも通り、優しい。どうしてこんなに優しい目を向けてくれるのに、こちらが困惑するようなことばかり言うのだろう。
「あの、あの、すみません。私がひとりになりたくないので、お部屋にいてください」
「最初からそう言え、ばか」
ああ、やっぱり優しい。なのに意地悪だ。
セイルがいきなりシャツを脱ぎ始めたので、ワープは仰天して背中を向けた。
「わ、わ、あの、セイル、その、いきなり肌を晒されるとですね、私、目のやり場に困るといいますか」
「ああ?何を今さら。減るもんじゃあるまいし、風呂に入るには服は脱ぐだろうが」
「ううー……そうなのですが、私、男性の身体に耐性がなくてですね……」
とどのつまり、恥ずかしいということです。
と、か細く呟くワープ。
セイルは一瞬静まり、すぐに笑いだした。
「あははは!! そりゃあ奥ゆかしい。巫女としてふさわしいな」
「あ、ありがとうございます……?」
「だがお前、それにしちゃあよく触れてくるよな。人の手を握ってしゃべるのが趣味なのか?」
親切にもシャツを着てくれたセイルが、覗きこんでくる。
立ち話も何だし、と促され、ワープはベッドに腰かける。ふたりで並んで座り、ひとまずお風呂は後回しにすることにした。
「私、そんなに手を取っていますか?」
「ま、気になるほどにはな」
ワープは自分の手をまじまじと見つめる。
「ごめんなさい、不快にさせましたか?」
「おい、そういう話じゃねえよ。別に嫌じゃないから気にすんな」
意地でも謝るのかお前は、と頭を小突かれ、ワープはまた謝る。
このすぐに謝る性格をなくしたい、と思う。結局のところワープは嫌われたくないのだ。こんな態度だから、皆に認めてもらえないのだと自覚し始めている。
「……手を握って話すと、心が伝わりやすい、と、リフィル様に教えていただいたことがあるのです」
幼い頃のある日、リフィルはワープの手を取って、優しく言った。
「手のあたたかさを感じるし、距離が近くなるかららしいです。私は口下手だから、手に助けてもらいなさい、と言ってくださいました」
「……なるほどね」
納得したように微笑むセイルの手を、ワープはちらりと見やった。
剣を持ち続けて、強ばった手。戦士の手だ。自分の騎士となるために、精進してきた手。自分のために……。
ワープはそっとその手に指を触れた。
固い。関節の辺りが、盛り上がっている。
「……おれは、お前の騎士になりたいと思ってるよ」
低く、声が漏らされる。
「そのために、もっと強くなる。今の巫女の騎士よりも、強く」
垣間見たツルハとリーンハルトの力。計り知れない巫女の騎士の力を目にしても尚、セイルの決意は揺らぎないのだ。
それを知り、ワープはセイルに尊敬の眼差しを向ける。こんな風に、なりたいと思う。自分の信じる道を、迷いなく突き進んでいけるように。
「では私は、セイルに恥じない巫女になります」
ならなくてはならない。自信は、相変わらず無いけれど。
「当たり前だ。せいぜい足を引っ張るなよ、巫女姫様?」
「は、はいっ」
風呂から上がったセイルが、髪を拭きつつ部屋に戻ると、ワープはベッドに腰かけて律儀に待っていた。
背筋までしっかり伸ばしているのを見て、さすがに苦笑してしまう。
「なんだ、寝ててよかったんだぜ」
「いえっ、そういうわけには」
明らかに疲れた顔をしているワープの隣に座り、濡れ髪を撫で付けてやれば、ふわりと石鹸の香りがした。
寝巻きはセイルが貸したので、小柄なワープでは袖に指先も届かない。いつもよりも一層小さく見えるワープは、なんだか儚げだった。
頭を撫でる距離のまま動こうとしないセイルに、ワープは顔を赤くして尋ねる。
「あの、セイル。近くはありませんか?」
「別にそうでもねえだろ」
と一蹴してやれば、そうですか、と頷くしかない。
「……眠れないのか?」
そっと問いかければ、ワープは小さく頷く。
「……怖くて。ラインさまが、ぴくりとも動いていなかったのが、私、怖かったのです」
「心配ないって。大体な、他人の心配するより自分の身を心配しろ」
軽い口調で言いつつ、細かく震えているワープの肩を抱き寄せる。びくっと身をそびやかされ、セイルはやや気を悪くした。
「なんだよせっかく元気付けようとしてるのに」
「ご、ごめんなさい……」
今度は逆にしっかり体をくっつかせてくるワープに、笑ってしまう。警戒心のないやつだ。
「ラインは平気だよ。校長の魔法は、尋常じゃないくらい高度だ。あいつが治癒魔法をかけたんだから、信じろ」
「……はい」
セイルは笑って、もう一度ワープの頭を撫でた。
ふ、と悪戯心が刺激され、耳元に口を寄せる。思いがけず顔を近づけられ、ワープの体が強ばる。
「そんなにラインが気になるか?」
吐息とともに囁く。
そこでワープの体が信じられないくらい熱くなったので、セイルはからかうのをやめた。
体を離して顔を覗けば、ワープは真っ赤になって目を回していた。紅色の瞳と相まって、本当に真っ赤だ。
「……落ち着け」
「……せ」
弱々しくうなだれ、ワープは顔を手で覆う。
「セイルは顔を近づけすぎです……」
頭から湯気が出そうなワープを見て、さすがに悪かったかと反省する。
けれどあまりに無防備なワープにも非はある。これを機に警戒心を持てばよいのだ。
「セイルとふたりきりになるのは心臓に悪いです」
「お前が警戒しないのが悪い」
「なぜセイルを警戒するのですか?」
「……もういい」
お前はおれを男として見ていないのかと問いたくなる。
セイルは内心でため息をつく。
ワープはきっと、セイルのことを「男性の友人」とでも思っているのだろう。男の体を持っているというだけで、存在の重きは「友人」という部分にあるのだ。
「……セイル?」
不機嫌なセイルに気づいたのか、ワープが不安そうに見上げてくる。
「あの、どうかされましたか?」
「……なんでもねえよ」
この少女に何を期待しても無駄だ。
セイルは笑顔をつくり、安心させるように肩を叩いてやった。
「明日にでも、見舞いに行ってやったらどうだ?」
「ラインさま、を、ですか?」
きょとん、と目を瞬くワープ。
「なんだよその顔は」
「いえ、あの、セイルはラインさまを好いていないのだとばかり思っていたので、意外で」
「そこまで甲斐性なしじゃねえよ」
文句めかして言ってやれば、ワープはにっこり笑って、そうですね、と返した。
「セイルは優しいです」
「……優しくて、それでいて心臓に悪いのか?」
「優しくて、心臓に悪いです」
そろそろワープの目がとろんとしてくる。
まるきり子どもだ。眠れないと言った次の瞬間には、安心しきって眠ろうとする。
「……セイル、ありがとうございます……」
朦朧とした中、幸せそうに礼を言われて、セイルの胸が震える。
軽い体を抱きかかえてベッドに横たえてやる。すぐに微かな寝息をたて始めたワープに、セイルの口元が緩む。
小さいな、と思う。
顔も、耳も、体全体も、ワープはとても小さい。触れればはらはらと崩れてしまいそうだ。こうして息とともに上下する胸に、安心する。
ああ、生きている、と。
セイルはゆっくりワープの前髪をかきあげた。まだ乾ききっていないので、少し湿っている。
そのまま指を、頬に、そして顎に滑らせていく。
人差し指と中指で顎を支え、親指で唇に触れる。
おやすみ、と囁いて、セイルはランプに手をかざす。
火の精霊たちは仕方ないなあ、という風にくすぶってから、ふっと明かりを消した。




