秘密3
幾重にも、鐘の音が聞こえる。
ワープは違和感を覚え、時計塔の方を向いた。
もう夜も遅い。こんな時間に鐘が鳴ったことはない。
彼女を寮まで送っていたセイルとアナも、不審そうな顔をする。
ワープは妙な胸騒ぎを感じた。なにか、嫌な予感がする。
「私、ちょっと見てきます」
心穏やかでいられず、ワープは駆け出した。今すぐ時計塔に行かなければならない気がしたのだ。
セイルとアナは顔を見合わせ、やれやれ、と肩をすくめながらワープを追った。まったく無鉄砲な次期巫女姫だ。
いつものとろさはどこへやら、ワープは一心に駆けていく。足は遅いが、迷いがない。
この危なっかしい行動力に、騎士候補生たちはひやひやさせられるのだ。こういうとき、ケットなら巧く諌めるのだろうが、頼みの綱は今いない。
「ワープ、いきなり走っちゃだめだよ」
アナがやんわりと言いながら、ワープを追い抜いて行く手を塞ぐ。
「足が釣っちゃうでしょ。セイルを先に行かせて、ワープは僕とゆっくり行こう」
にっこり笑うアナを、セイルは内心恨めしく思う。
素直に身分をわきまえろと怒れば、ワープも軽率な行動を反省するだろうに。アナが甘やかすから、ワープが学習しないのだ。
虫の居所が悪いセイルはただ渋面をアナに向けて、ワープの頭を叩いた。
「痛いっ」
涙目になるワープを無視して、セイルは時計塔へと急ぐ。
セイルとしても、あの鐘の音は気になった。もしよからぬことが起こっていたのなら、ワープをまず飛び込ませるわけにはいかない。
暗い夜、微かな月明かりだけに照らされた時計塔は、巨大な影を作り出している。不気味に暗く、その高さも相まって異様に威圧的に見える。
セイルはそっと扉に顔を寄せ、中の物音に耳をすませた。
魔力を放出するときの音が聞こえる。機械音と水の流れる音を混ぜたような、独特な音だ。
これは攻撃魔法ではない。使用できる者は大陸でも限られている、治癒魔法だ。
セイルは思い切り扉を開いた。
長い白髪を地面に垂らし、エルミタージュが屈みこんでいる。彼はこちらに背を向けて、倒れている誰かに治癒魔法をかけていた。
「待ってください。もう少しで応急措置は終わります」
落ち着いた声でそう言うと、エルミタージュは振り返りもせずに治癒魔法をかけ続ける。
「…………!!」
倒れている人物が誰か理解し、セイルは目を見開く。
「そいつ、ラインか?」
血塗れの地面に転がる黒髪の少年は、どう見てもライン・クロラットであった。
しかし目を閉じ、血の気の引いた顔で横たわるその姿は、それをラインと認識するのを躊躇わせるほど、痛ましく、弱々しかった。
応急措置は終わったらしい。エルミタージュは静かにラインを抱え、立ち上がった。
「……セイル」
震えた声がセイルを呼ぶ。
振り返ると、ワープとアナが立っていた。泣き出しそうなワープの顔を見て、セイルは不安と安心を同時に感じる。
ワープがこの状況を見て何を感じるか、怯えていはしないかという不安と、一番ひどい光景……エルミタージュが治療を終える前のラインの姿を見ることがなくてよかった、という安心だ。
エルミタージュは気遣わしげにワープを見ただけで、何も言わずに立ち去って行く。老人の細腕に抱えられたラインの力なく垂れ下がる腕を見て、ワープの顔が青ざめた。
「一体、何が……」
小刻みに震えるワープの肩を、アナが抱き寄せる。
「大丈夫。校長先生の魔法は凄いんだから。ラインが死んだりしないよ」
いつも通りの、穏やかな声で言うアナ。
しかしワープは安心できないようだった。ラインの血が染みをつくる箇所を見つめ、目にいっぱい涙をためる。
「ラインさま、少しも動いていませんでした。あんなに、あんなに、血の気のない顔、私、初めて見ました」
「そうか。けど大丈夫だ。お前も今同じくらい青い顔してるぜ」
冗談めかせて言いながら、セイルはワープの頭に手を置いた。
そのまま安心させるように優しく撫でてやる。
「嫌なもん見たな。今日はもう風呂入って寝ろ」
途端に、ワープの目から涙がこぼれ、そのままはらはらと流れ続ける。
セイルはぎょっとして彼女の頭を撫でるのをやめた。
「ど、どうして泣くんだよ」
「す、すみません……なんだか、心が動転しています」
必死に涙を拭うワープを再びやわらかく抱き寄せ、アナがにっこり笑う。
「誰だってショックを受けるよ。ねえセイル。今夜はワープに付き合ってあげたら?」
突拍子もない提案をされ、セイルは吹き出しかける。
「なっ……何言ってんだお前は!!」
「寝苦しい夜は人肌恋しいよねえ。だからセイルが一緒に寝てあげればいいんじゃないかなって思って」
へらっと笑って言ってのけるアナ。
「ふっざけんな!!問題だらけだそんなの!!ワープにゃあのちまっこい駒使いがいるだろうが!!あいつに頼め!!」
「ルルのこと?いやぁあの子のことだから今夜は校長先生の方に付いてるんじゃないかな?」
「だったらお前が一緒に寝てやれ。その方がまだ申し訳がつく気がする」
真っ赤になってそんなことを言うセイルに、アナは何だか失礼だなあ、と笑う。
「残念だけど、僕は寝相が悪いんだよ」
その言葉に、セイルは言い返すことができなくなった。
さっきからはらはらした表情でふたりのやり取りを聞いていたワープが、おずおずと口を挟む。
「あの、私、大丈夫ですから。お気になさらないでください」
そう言いつつ今にも倒れてしまいそうなほど悲痛な顔色のワープを見て、セイルはため息をついた。
つくづく人の心を引っ掻き回す少女だ。しかも無意識だからたちが悪い。責める言葉が見つからない。
放っておけない自分も、馬鹿だと思う。
「……わかったよ。ワープ、俺の部屋に来い」
女子寮にセイルが入り込むよりは、そちらの方が良いだろう。変な噂が立っても困る。
「……いいのですか?セイルはかまいませんか?」
「ああ」
アナの思い通りになるのが癪に触るが、と厳しい目線をくれてやれば、当の本人は満足そうににこにこしている。セイルは内心で激しく呻いた。
ワープは少し頬に血の気を戻らせ、ほっとしたように微笑む。
「ありがとうございます。……ごめんなさい、私、本当はひとりになりたくありませんでした」
自分が命を狙われた夜より、他人の瀕死を見た夜を心細がるとは、変わった少女である。
それでも嬉しそうなワープに、セイルもいくらか機嫌を直す。
「変な気起こさないでね」
変わらない笑顔で放たれたアナの言葉に、せっかく直った機嫌は音を立てて不機嫌になった。
「冗談だよ。セイルは紳士だから、安心していいよ、ワープ」
「お前なあ……」
へんなき、って何でしょう?と本気で尋ねてくるワープの頭を指で弾き、セイルは項垂れる。
「変な木ですか?」
「ヘンナ鬼っていう、恐ろしい鬼だよ」
「だから起こしたら駄目なのですね?起きてしまったら怖いですものね」
「そうそう。無事では済まないからね」
「そ、そんな鬼が、学園にいるのですか」
恐ろしさに身震いするワープを小突き、くだらない嘘を吹き込むアナに拳を落とす。
「そんな鬼は存在しないから安心しろ」
あぁケットの帰還はまだか、と本気で待ち望んだ。




