秘密2
ようやくワープが補習から解放された時には、窓の外は夕焼けの色に染まっていた。
赤い空を紫色の雲が彩り、太陽の光はもう少しで隠れてしまいそう。
何はともあれ、長い長い修行のような補習を終えたワープの心は晴れやかだった。
しかし、ナイゼルは釘を刺すことを忘れない。
「課題は週末までに提出だからな」
「う……か、かしこまりました」
それでも、今日の補習で少しは賢くなれた気がする。特に歴史などはひとつひとつ学んでいくと興味深く、面白いとさえ思えた。祈りの巫女としても、王国の出来事を知るのは良いことだろう。
少し満足げに教科書を鞄に詰めていくワープを見て、ナイゼルはため息まじりに、
「君のペースでいくと、卒業までに王国の歴史の三分の一も辿れませんよ」
「うぐっ……」
なんて的確に痛いところを突けるひとなのだろう、と、ワープは涙目になる。
ワープがセイルとアナに会うことができたのは、夕食時の食堂だった。
いつも彼らと共に使うテーブルで、ふたりは待ってくれていた。ケットの姿がないことにちくり、と胸が痛む。
理解してはいても、彼のことは思いやられてならない。
トマト味のすぱげってぃを持ってテーブルについたワープに、アナが優しく声をかけてくれる。
「お疲れさま。大変だったね」
「ありがとうございます、アナ」
「一日中拘束されるなんて流石だなあ、巫女姫さま?」
セイルが意地悪く目を細める。
「それでどのくらい成果が出たのか気になるけどな」
「う……」
成果が出るどころか、卒業までに学びきれないというお墨付きをもらってしまったとは、恥ずかしくてとても言えない。
「まあまあ。ワープがいきなり騎士候補生と同じことを学ぶのは無理があるでしょ?」
アナがやんわりと庇ってくれる。いつだって、アナはワープの気が軽くなるように思いやってくれるが、甘えてばかりもいられない。
「いいんです。私、もっと勉強しなくては」
祈りの巫女として、無知なままではいられない。さまざまなことを学んでいけば、人びとを救うためのヒントを得られる可能性だって増える。
この状況では先が思いやられますけれど、と肩を落とすワープ。
「つくづく残念なやつだな」
「あう……すみません……」
いつになく毒づくセイルに、アナがいたずらっぽく笑いかける。
「セイルったら、今日一日ワープに会えなかったから不機嫌だね」
「な……どうしてそうなるんだよっ!!」
くすくす笑うアナと真っ赤になって怒るセイル。
ふたりを見比べ、ワープはおずおずと口を挟んだ。
「あの、お会いできなくてすみませんでした。何かご用でしたか?」
補習に時間を取られて友人の用事に対応できないなんて情けない。
申し訳なさに再びしょげてしまうワープを見て、セイルが一瞬固まる。それから心底呆れたように、力なく椅子にもたれ掛かった。
「……お前は、もういい」
「えぇっ!!ごめんなさい、お気にさわりましたか!?」
しっしっと手でワープを払いのけるセイルと、それに傷つき謝るワープを見て、アナが再びくすくすと笑みを漏らす。
「セイル、あんまりワープをいじめないの」
「いじめてねえ。大体、こいつがしょうもないから……」
文句を言いながら身を乗りだし、セイルはワープの頬をつまむ。そのままぐいっと左右に引っ張られ、ワープは悲鳴をあげた。
「いひゃいれふ、いひゃいれふ~(痛いです、痛いです!!)」
「うるせえ、ばか!!」
「うぅ~……」
されるがままに頬を伸ばされるワープ。
これも未熟が故の試練なのか、と思って、耐えるしかないのであった。
夜も更け、暗い暗い時計塔に、響き渡る足音があった。
塔の内部は一面暗闇。ブーツの音を反響させて螺旋階段を上る人物は、明かりも持っていなかった。
漆黒の髪と瞳は、闇に溶け込む。
夜に紛れるその容姿は、ライン・クロラットにとって有益だった。これまでも、そしてきっと、これからも。
ラインにとって、戦いに身を置かない生活など、考えられないものだったから。
ただ、昔と今では戦う意味が違うだけだ。
ふと守るべき次期巫女の顔を思い浮かべ、ラインは眉間に皺を寄せる。
あの情けない少女のために剣を振るうのは、なんともやりきれない思いがある。
だが……。
あの少女は、自分を信じると言った。
神落としの首領が平然とライン・クロラットの名を呼ぶのを目の当たりにしても、あの少女は少しも自分に疑惑の目を向けなかった。
あの時確かに。
ラインは胸が震えたのだ。
自分の過去を振り返り、彼女と共有してもいいと思えるくらいに。
今思えばバカな考えだ。
ラインは目を伏せ、階段を上っていく。ひとつの足音が反響する音は、寂しくて滑稽だ。
精一杯強がる、間抜けな道化師のよう。
秘密を知れば彼女は、もう自分を信じるなどと言いはしないだろう。
足音は、ひとり分しかない。
けれど、ラインの目の前には、人影があった。
やわらかく微笑んだ顔は聖者のよう。暗闇においてもなお輝きを放つ銀髪と、同じ色の瞳。
巫女の騎士候補生にとって、憎むべき敵。神落としの首領、フロウがそこに立っていた。
「随分と無用心じゃないか。ライン」
穏やかな声。
ラインは何も答えず、瞬時に抜剣して斬りかかった。
有無も言わさぬ攻撃。しかしフロウの体は霧のように消え、何事もなかったかのように数段上に着地する。
「大丈夫。今日は次期巫女には何もしないよ。あのお爺ちゃんも、相当強い守護魔法をかけてるみたいだからね。派手に暴れたりはできない」
「……何をしに来た」
ラインは鋭くフロウを睨み付ける。
フロウは笑顔を崩さない。しかしそれは優しいものではなく、底冷えするような暗さを秘めたものだ。
「ライン・クロラット。君は本当に、自分に巫女の騎士になる資格があると思っているの?」
その言葉はまるで針だった。ラインの心の奥深くを刺し、冷たい穴を残す。
ひとつ、小さなため息をつき、ラインは目を閉じた。
「……資格があるとは、俺には言えない」
フロウがふっと笑う。
ラインは目を開き、まっすぐにフロウを見つめた。
「だが俺は、騎士候補生として次期巫女を守ることを求められている。裏切ることはできない」
「……ふうん。君がそんなこと言うなんてね」
フロウの銀色の瞳が、きらりと光った。
「やっぱり俺は、君に消えてほしいみたいだ」
突然目にも止まらぬ速さで斬りかかられ、ラインはバランスを崩す。
階段上。相手の位置の方が高い、不利な状況。
剣撃をなんとか受け止めながらも、ラインは徐々に体勢を崩されていく。階段の端に追いやられ、背後には吹き抜けの深い闇。
フロウは不敵な笑みを浮かべ、剣を振りおろす。
ラインはそれを受け止めることも、避けることも諦めた。
地を蹴って宙を舞い、折角上った時計塔の最下層目掛けて飛び降りる。
長い落下距離を落ちながら身体を回転させ、刹那の後。微かな着地音だけを放ち、ラインは冷静な顔を遥か上方のフロウに向けた。
吹き抜けの時計塔には、星の光が僅かに射す。下から見上げれば、さっきまで暗闇に包まれていた螺旋階段も、ぼんやりと銀色に光って見える。
フロウは静かに、ラインを見下ろしていた。
「覚えておいて」
その声は反響し、頭を鈍く締め付けた。
「俺は祈りの巫女も、君も。この世に居ることを認めない」
ふっとフロウの姿が消えた。
しまった、と思った時には、もう間合いを詰められ、身体を貫かれていた。
へえ、とフロウの口が動く。
「流石だね」
心臓を狙ったフロウの剣を、ラインは咄嗟に掴んで急所から逸らしていた。
脇腹を貫かれ、左手を血に染めたラインを見て、フロウはあくまで穏やかな声音で、
「いいや。今日はとどめは射さないであげる。せいぜい考えな。あのお馬鹿な次期巫女が、自分を信じてくれるかどうか」
体から刃が引き抜かれる。
身を翻すフロウに、ラインは力を振り絞って炎の魔法弾を飛ばす。
しかしフロウの体はふっと消え失せ、標的を失った魔法の弾丸は空中をかすめた。
堪えきれなくなって、ラインは崩れ落ちた。
薄れ行く意識の中。残った体力を使い、遥か上、時を告げる鐘に向かって魔力を放つ。
鐘は、重々しく、鳴り響いた。




