彼女を守るため
ワープを探して庭に降りたアナは、不穏な気配を痛いほど肌で感じていた。
殺気を無理に封じ込めたような、緊張感。それが辺り中漂っている。
けれどアナは少し安心もした。完璧に気配を消せないようでは、相手は精鋭とは言えないらしい。アナは同じ騎士候補生とはいえ、セイルやケットのように戦うのをいとわない性格ではない。ワープを守りたい気持ちに変わりはないが、剣を抜かずに済むならその方がいい。
が、すぐに気を滅入らせることになる。
突然降りかかる小刀の投擲。それを剣で叩き落とすと、アナは攻撃の出所を睨み付けた。
気配を消しきらなかったのは、こちらを油断させるためだったらしい。相手の力量を即座に悟ったアナは、剣を鞘から引き抜いた。
(うーん……僕はあんまりこういうの担当じゃないんだけど)
とは思うものの、力を抜くわけにはいかない。
瞬間、黒い影が舞い降りて、アナに斬りかかった。剣というよりは大きな針のような刃物だ。咄嗟に受け止めたが、攻撃はひどく重い。アナは飛び退き、相手と距離を取る。
刺客と向かい合ってみると、相手は華奢な体つきをした若者だった。マスクで顔は見えないが、柔らかそうな金髪を透かして鋭い目がこちらを睨んでいる。
(なんだ、僕らと同じような歳じゃないか)
アナは明るく声をかける。
「ねぇ、あなたは神落としなの?」
先ほど本気で命を狙った相手に微笑みかけられ、刺客の若者は面食らったように固まる。それから我にかえったのか、有無を言わさず再び斬りかかってきた。
「うわっと」
重い斬撃をまともに受け止め、手に鈍い痺れが広がる。次々に浴びせられる攻撃に、アナは段々と押されていく。
だが、その口元から笑みが消えることはなかった。
速い。そして、重い太刀筋。
けれど、騎士候補生として。遅れを取るわけにはいかない。
耳をつんざくような高い金切り音が響き、アナの振るった剣が敵の武器を弾き飛ばす。
「…………」
ぴた、と首筋に刃を添えられ、男は動きを止めた。
「もう一度訊くよ」
先ほどとは違う、深い声音で囁きかける。
「あなたは、神落としの刺客?」
男は苦々しく目を細め、諦めたようにマスクを取った。思った通りアナと同じ年代の若者で、色素の薄い透き通るような肌が印象的だった。
「……その通りだ」
「それなら」
アナは緊張を解いた。
「ワープはやっぱり無事みたいだね。よかった」
もしワープが無事でないなら、今自分が襲われる道理はないからだ。
安堵していつもの笑顔に戻るアナに、依然剣を突き付けられたままの男は眉をひそめる。何なんだ、こいつ、と、その顔に書かれていた。
「さて。でも、あなたを逃がすわけにはいかない。あなた、名前は?」
「……ティーリア」
アナはにっこりした。刺客とはいえ、こうした道理のわかる人間には好感が沸くのだ。
そっと剣を収める。ティーリアは、わけがわからない、と言うような顔をした。
「今はワープを探すのが先だから。君の命は貸しておくよ」
ティーリアの顔が、屈辱的に歪む。
「……悠長なことを。いつか後悔するだろうな」
「君を信じるよ」
「私は本気でお前の巫女を殺すつもりだぞ」
ティーリアは腹立たしげにアナを睨み、それでも武器を収めた。
「今命を奪わなかった自分を恨め」
そう言うと、ティーリアは風のように姿を消した。
アナは微笑みを崩さない。あの男なら、今日は引き下がる。命の取り引きをする上で、きっと当てになる人物だ。
さあ、ワープを探さなければ……。
アナはふっと瞳に真剣な色を取り戻し、深い林に目を向けた。
「……そろそろ行こう」
やがて、ケットが言った。ワープの手を引っ張って立たせ、静かな林の中を歩いていく。
当たり前のようにつながれた手に、ワープは少し頬を赤くした。
「あの、ケット。私、ひとりで歩けますよ?」
「……だめだ」
ぎゅっ、と、手に力が込められる。
「離れるな」
前を行くケットの顔は見えない。ワープはどぎまぎしながらも、素直に従うことにした。
初夏だというのに、風が不快に冷たい。不安を煽られ、いつしかワープも、ケットの手を強く握り返していた。
「リフィル様も狙われているのですよね?」
「……ああ」
「大丈夫、ですよね……」
あちらにはセイルもアナもいる。そう自分に言い聞かせる。
「……戻ろう」
リフィルは割り振られた控え室で、シャンパングラスを片手にくつろいでいた。
ベッドに腰かけ足を組み、ゆったりと静かな時間を過ごしていたところに、荒々しい乱入者が現れた。
「……探したぜ」
息を切らしたセイルが、恨めしげにリフィルを見る。リフィルはやや眉をひそめたものの、落ち着いて言う。
「女性の部屋にいきなり飛び込んで来るのは、紳士の行いとは言えないわね」
「品の良さなんか求めてねえよ」
苛立たしげに吐き捨てるセイル。どうやらかなり探させてしまったらしい。やっぱり声くらい掛けてくればよかったかしら、とリフィルは少し申し訳なくなる。
「それで?何の用なの?」
「この舞踏会は罠なんだよ」
セイルはリフィルの耳に口を寄せ、盗み聞きした内容を囁く。
リフィルは静かにその言葉をのみ込んだ。目を閉じて黙り込み、微かに笑みを浮かべる。
セイルは怪訝な顔を向け、
「何笑ってんだ?」
「……いえ」
リフィルはセイルをまっすぐ見つめ、走ったことで上気した頬を両手で包み込んだ。
「な……」
「心配してくれてありがとね」
戸惑うセイルに妖艶に笑いかけ、リフィルは立ち上がる。
「巫女を襲うですって?ふん。身の程をわきまえなさい!!」
言葉を失っていたセイルが、やっと口をはさむ。
「おい、狙われてるのはあんたなんだぜ?」
「なめないでちょうだい。確かにあたし自身はか弱いレディだけどね、祈りの巫女には手出しできないと思い知らせてやるわ!!」
腕を組んで力強く言い放つリフィル。セイルは面食らってしまった。
この巫女を師に持って、どうしてワープのような弟子が出来上がるのだろうか。
「……セイル君」
リフィルは突然声色を変え、優しく、
「あなたはあくまでワープの騎士よ。あたしよりあの子のところへ行ってあげなさい」
思いやりに溢れたその顔に、セイルはしばらく黙っていた。やがて、
「俺が受け持ったのはあんただ。ワープのために、あんたを守る」
リフィルはセイルを見つめた。美しい青の瞳と、巫女の証である紅色の瞳が、少しの間交わされる。
「……わかったわ。では、あたしについてきてちょうだい」
突然向けられた殺気に、ケットは素早く剣を抜いた。
「ケット?」
不安げなワープを背後に匿い、さっと周囲に目を走らせる。
きらり、と光るものが見えた。
即座に向かって来た剣を受け止め、払いのける。敵は多い。
「………フフッ」
ローブに全身を包んだ人影が、ふたりを取り囲む。その内のひとりが進み出て、フードを取った。
「あなたは……」
月の光を浴びて輝く、銀色の髪。それと同じ色の瞳が、楽しげにふたりを見つめている。
「こんにちは、お嬢さん。今日はずいぶんときれいじゃないか」
「フロウさま……」
ケットが剣を構え直す。フロウは微笑むと、腕を上げて神落としたちを下がらせた。
「まあ待ってよ。少しお話でもしよう」
「お前と話すことなどない!!」
ケットはフロウに斬りかかる。しかし、フロウは微笑みを消さないまま、隠し持った小刀ひとつでそれを受け流してしまった。
「生憎、この場の主導権は俺にある」
力づくで跳ね返され、ケットの体は投げ出される。
「ケット!!」
あわてて駆け寄るワープ。フロウは剣を抜くと、ふたりに突きつけた。
鋭く、まばゆいくらいに銀に光る刃。フロウの目にそっくりだ。
「ふふ。今ここで次期巫女を殺してやってもいいけど、それじゃあ少し気にくわない」
「……どういうことだ」
フロウは冷たくケットを見る。
「君の父親。自分の名誉のために巫女と神落としを利用しようとしている、愚かな男。あいつにわからせてやらなくちゃあならない」
ケットの目が大きく見開かれる。フロウは低い声で、なおも続ける。
「祈りの巫女の命を利用するということが、どういうことか。俺たちが巫女の命を狙うことが、どんなに重いことか。あの阿呆の爺に、思い知らせてやらなくちゃ」
ワープは息をのんだ。フロウは怒っている。利用されることは、彼にとっても望ましくないことらしい。
神落としが、巫女の命を狙う重さ。祈りの巫女の、命の重さ……。
いつか、ラインに言われた。
次期巫女自身が、命の重さをわかっていない、と。命に価値の違いがあるものか、とその時は反論したが、もしかしたらかなり大それたことを言ったのかもしれない。
いや。心の中で首をふる。
誰がなんと言おうと、命の重さに差などあるはずがない。
「何をするつもりだ?」
「報いを受けてもらうよ。あの男が望む未来、壊してやる」
「なんだと……?」
フロウは明るく笑った。
「家の評価も、権力も、地に落としてやる。巫女を殺した当主の汚名を、死ぬまで背負ってもらう。自分から命を断ちたくなるまで、追い詰めて追い詰めて……消えてもらうよ」
ケットは堪えかねたように剣を振り上げた。軽々とそれをかわすと、フロウはケットの腕を蹴りつけて剣を取り落とさせる。
「俺は誰の思い通りにも動かない。今は生かしておいてあげるよ。早くお父様のところへ行ってあげな」
最後にくすっと優美に笑い、フロウは神落としの一団と共に姿を消した。
ケットは悔しげに拳を握る。それに、ワープが手を重ねた。
「ケット……。戻りましょう?」
「…………」
ワープはまっすぐケットと目を合わせる。
「ルーカスさまに、警告をしなくてはなりません。やめさせましょう、神落としを利用するのを」
「神落としは元々従ってなどいないんだぞ?命を狙われているのは君とリフィルさまだ」
「ここにいても同じことです。神落としはきっと、最初にリフィル様を狙っています。戻って、真実を知らせるのです」
「それには、僕も賛成」
突然飛んできた穏やかな声に、ふたりは驚く。
アナが、にっこり笑ってこちらを見ていた。
「リフィルさまにはセイルがついてる。どうやら事情が違ってるみたいだね」
「アナ、どうしてここに?」
「突然いなくなる君たちが悪いんだよ」
アナはふたりに近寄る。
「ここにいても仕方がないよ。屋敷に戻って、セイルと合流した方がいい」
「しかし……」
「まったくケットは意地はりねこさんなんだから。何が正しいか、わかってるでしょ?」
不服そうなアナとぶつかり、ケットは苦笑を漏らす。
「……そうだな」
それからワープと目を合わせ、
「俺は、君を守りたいんだ」
ワープは頷き、
「私は殺されたりしませんよ」
巫女特有の、紅色の瞳が輝く。ワープは強く感激し、また嬉しかった。
「信じています」




