不穏とふたり
テラスから聞こえた物音に、セイルははっとした。
ワープになにかあったのか?
そばを離れるべきではなかったと後悔しながらテラスに駆け戻る。そこに、ワープの姿はなかった。
「…………ワープ!!」
とっさに欄干を乗り越えて庭に降りようとするセイルの手を、誰かが掴んだ。
「落ち着いて、セイル」
振り向くとそこには、いつになく真剣な顔をしたアナの姿があった。
「ワープなら僕が探しに行くから。君は野兎のときの怪我もまだ治ってないでしょ?」
「…………わかった」
内心舌打ちをしながら答える。
肝心な時に動けない自らの体に、嫌気が指す。
不服そうなセイルの様子に、アナはふっと頬を緩める。
「ワープならきっと大丈夫だよ」
「なんで言い切れるんだよ」
「ケットもいないから」
セイルは面食らう。
「どういう……」
「とにかく、ケットが一緒ならワープは無事。セイルは落ち着いてリフィルさまに知らせて」
こういう時のアナの言葉に勝てる者はいない。セイルは納得がいかなかったが、何も言わなかった。今口論していても始まらない。
「無茶すんなよ」
「セイルがね」
ふわりと笑って、アナは華麗に欄干を乗り越える。結構な高さなのだが、彼は見事に着地して見せた。普段がおとなしいだけに、こういう時のアナの行動力は意外なものに感じる。
自分は、自分のすべきことを。
セイルは身を翻して、ホールへ戻った。
リフィルを探してくまなく舞踏場を見渡すが、目当ての人物は見つからない。
「……くそっ」
気ばかりが焦る。セイルは舌打ちをして、今度は屋敷の廊下を探し始めた。
ひとつひとつ部屋を見ていくわけにはいかない。苛立つ気持ちを抑えながら歩いていると、低く不穏な声が耳に入り込んできた。
「しかし、屋敷で騒ぎを起こすと面倒なことになるのでは?」
手近なドアから聞こえてきた会話に、セイルは耳をすます。
「問題ない。すべては神落としの仕業なのだ」
ルーカスの声だ。
神落としという単語に悪寒を覚え、セイルは気配を消してドアに耳を寄せた。
「しかし、次期巫女だけならともかく、現祈りの巫女が襲われたとあっては……こちらの責任も問われるかと」
「だから騎士候補生までも呼んだのではないか。彼らでも歯が立たなかった相手をヘレンス家の人間が捕らえることに意味があるのだ」
セイルはドアを開けて怒鳴り込みかけ……すんでのところで思いとどまった。
ワープとリフィルが危ない。ルーカスは間違いなく、何かよからぬことを企んでいる。とにかく、早くリフィルを探しあてなければ。
ケットは、このことを知っているのだろうか……?
頭の片隅に疑問を浮かべながら、セイルは駆け出した。
「ん……」
目を覚ましたワープは、ぼんやりした視界いっぱいにケットの顔があるのを見て、飛び上がった。
「ひぇっ!?」
途端に酔いが醒め、意識がはっきりしてくる。
ケットはいつもの厳しい顔をますますしかめ、
「そろそろ俺の顔を見て怯えないでくれないか」
「す、すみません……その、驚いてしまって」
目覚めてすぐそこに男の人の顔があったら、大抵はびっくりすると思う。
見回すと、ここは屋敷の周りを囲んでいる林だった。不気味に暗いが、空は屋敷の明かりでぼんやり光っている。
「あのぅ……私たちはなぜここにいるのでしょう」
おずおず訊いてみると、ケットはため息をついた。
「覚えてないのか?君は神落としに襲われたんだ」
「え……」
ワープは咄嗟に記憶の糸を手繰り寄せる。しかし、いくら思い返してみても、何も出てこない。
「………………」
額に汗が滲むほど考え込むワープの頬に、ケットがそっと触れた。
「悪い。君が余計な恐怖を受けなかったのならいいんだ。だが、少し危機感を持て。今も危険な状況には変わりない」
ケットの声音は厳しかったが、その目は思いやりに満ちていた。
暗い林の中。わずかな月光に照らされたケットの瞳は、幻想的に輝いていた。鋭いその瞳は、すぐ近くにあった。
「…………」
ケットの表情はきつく、なにやら怒っているようだった。
「あの、ケット」
「……何だ?」
「もしかして、だいぶ危険な目に遭ってしまったのではないですか?」
自分の乱れた髪やドレスを見返してみて、ワープは言う。
「ごめんなさい……」
さぞかし迷惑をかけただろう。
しょげかえるワープに、ケットは表情を和らげる。
「いや、ワープのせいじゃない。ホールに居ては人ごみに紛れてしまうから、ここへ来たんだ。静かな林の方が、気配を感じやすいからな」
「そうなのですか……」
ワープは感心してしまった。
友人として接してくれていると忘れかけてしまうのだが、ケットたちは王国屈指の力量を持った騎士候補生なのだ。
守る騎士と、守られる巫女。そういう間柄なのだ。
「…………」
しんと静まる林の中。
「……ケット?」
どこか様子のおかしい友人に、そっと声をかける。
「何だ?」
「なんだか、辛そうです……大丈夫ですか?」
ケットは一瞬面食らったような顔をして、それから微笑んだ。ケットの微笑は、いつもの厳しさが抜けてとても魅力的に見える。
「ああ、大丈夫だ」
そうですか、とワープも笑顔になる。命を狙われる状況でも、友人が側にいてくれると安心できた。
ケットはワープを見つめる。物言いたげに目を細め、やがてゆっくり口を開く。
「ワープ……君に謝らなくてはならない」
「え…………?」
ケットはワープに顔を寄せた。言葉を口に出すのをまだためらっているように、微かに唇を震わせる。
いつになく自信なさげで、気の沈んだ様子のケットに、ワープは安心させるように微笑んでみせた。
「どうぞおっしゃってください」
ケットはひどく傷ついたように目を見開き、深いため息をついた。
「……君は、本当に呑気な次期巫女だな」
ふたりの距離は本当に近く、肩と肩は微かに触れあっていた。ワープはなんの警戒心も見せず穏やかにケットを見つめ続ける。
「…………君を殺しかけたのは、俺の父だ」
絞り出したような、低い声。
ワープは目を丸くした。
「ルーカスさまですか?あの、でも、私を襲ったのは神落としでは……」
「その神落としをこの屋敷に招き入れたのは、父なんだ」
わけがわからないワープは、首を傾げて困惑する。
「君とリフィル様を襲った犯人を、俺か、屋敷の人間に捕らえさせるためだ」
「ど、どういうことですか?」
ケットは辛そうに言葉を続ける。口から出る声のひとつひとつが、身を切る刃になっているようだった。
「ヘレンス家の名誉の為だ。祈りの巫女を殺した犯人を捕らえたとあっては、家の評価は考えられないほど上がるからな」
「そんな…………」
「名家の世界で一番必要なのは権力だ。それを、父は欲しがっている」
ケットの表情は胸が苦しくなるほど悲痛だった。
自らの父親が巫女を殺そうとしているのだ。騎士候補生という身分の彼にとって、これほど辛いことはないだろう。
ワープはまっすぐにケットと目を合わせた。
「お父上の考えていることを、ケットは知っていたのですか?」
「……直接は聞いていない。段々と確信を持っていったが、今夜君が襲われるまで心のどこかでは疑っていた」
「ケットは……お父上と敵対してもよいのですか?」
その言葉に、ケットは何とも言えない複雑な顔をした。
「君は命を狙われているんだぞ?どちらが正しいか、わかるだろう」
「そ、そうですね!!でも、あの、お父上はたったひとりのお父上なのですし」
ワープは胸に手を当て、
「ルーカスさまは神落としとは違います。本当に祈りの巫女を殺したいわけではなく、家を助けたいのですよね。やり方に賛同はできませんが……」
自分の命を狙う相手に対して、そう言って淡く笑みさえ浮かべるワープ。
ケットは大いに心乱され、そんなワープを鋭く見据えた。
「お前はどうして、そうなんだ……?」
今まで向けられたことのないケットのまなざしに、ワープは驚く。
「君が誰も憎まないと、俺は誰から君を守ればいいのかわからなくなる」
「……命を奪おうとすることが、憎む理由にはなりません」
ワープはにっこりした。
「それに、ケットのお父上が悪いひとだとは、私は思いません」
ケットは眉間に皺を寄せ、ワープから顔を背けた。
「……君は、人を信じすぎる」
「疑うのは、悲しいことです」
突然ケットは振り向き、ワープの手首を掴んだ。声を上げる間もなくワープの体は拘束され、そのまま地面に押さえこまれる。
「きゃっ……」
ケットの体が、重くのし掛かってくる。
動けない。
鋭いダークブロンドの瞳が、ナイフのようにワープを射抜く。あまりに真剣で、恐ろしい瞳だ。
「や……」
ケットだとは思えないほど、いつもの彼と違う顔。
「信じた結果が、これだ」
途端、ケットは力を緩めてワープを解放する。
起き上がるのを手伝ってから、ケットはワープに向かって
「この世の中は、君のようなひとに優しく出来てないんだ」
ワープは乱れたドレスを直しながら、自分が思いもよらずショックを受け、涙まで浮かべていることに気がついた。
震えるワープに気がついたケットは、いつもの顔に戻って
「すまなかったな。だが君は大切な次期巫女なのだから。警戒ねこさんだ」
ワープは少し笑ったが、その言葉は胸に染みた。
自分は世間知らずで、自分の身を守る術も知らなかったのだと、実感する。
そういえば、いつかセイルにも気をつけろなどと言われたのだった。
「神落としとて、朝日が昇ればひとまず諦めるだろう。それまで、俺の側を離れるなよ」
「はい……」
ワープは膝を抱えるように座り、
「ケット、お父上のことは、どうなさるおつもりですか……?」
ケットは警戒するように空を見上げたまま、
「これだけの確証があるんだ。明日、警備団にでもつき出すさ」
「……そうですか」
「……安心しろ。父のことを心から憎んでいるわけではない。ただ、誤った考えを正してほしいだけだ」
「……それならば、私は何も言うことはありません」
辺りはしんと静まっていた。
屋敷からの光だけがあちらこちらへ動き、それが不安を煽る。
あっちに戻らなくて、大丈夫だろうか?リフィルはどうしているだろうか?
ぎゅっとドレスの裾を握りしめる。
ケットが、ぎこちなく腕を伸ばし、ワープの肩を抱いた。
「……父を止められなかった俺の責任だ」
苦しげなケットの声に、ワープは胸が締め付けられた。一番近い間柄の人を責めなければならないケットが痛ましく、ワープは慰めるように彼に身を寄せた。まるっきり子猫になった気分だった。
「私、祈りの巫女は王国の象徴で、全国民に認めてもらえる存在だと思っていたのです」
ケットはワープと目を合わせる。
「だから、それにふさわしい人間になろうと努力してきました。けれど、学園に来て、世間を知って、巫女は必ずしも絶対の存在ではないと知りました」
風が、少し強くなったようだ。
「時に憎まれ、命まで狙われています。けれど私、この身分を辞したいとは思いません」
ワープは微笑む。
「ケットたちが、私の騎士候補生であり、友人になってくださったからです。私頑張りますから、ケットはご自分を責めないでください」
明るく言い張るワープをじっと見つめ、ケットは耐えかねたように吹き出した。
「な、なぜ笑うのですか?」
「君は本当に……」
ケットは笑いをこらえながら、ワープの頭をかき回した。リフィルが整えてくれた髪型は、もう跡形もない。
「気持ちのよい祈りの巫女だよ」
ワープは頬を染め、あわてて首をふる。
「私がそう思えるようになったのは、ケットたちのおかげなのです。私は、何も……」
「…………いいや」
ケットはもう険の取れた笑顔を向けた。
「君は君が思うより、素晴らしい女性だよ」
「え、あの、その……」
あまりの照れ臭さに、ワープは俯く。友人の誉め言葉とは嬉しいもので、自然と口元が緩んでしまう。
(だ、だめです!!誉めてくださっても、常に自らを省みて、へりくだるのが祈りの巫女としての態度であって……)
とは思っても、嬉しい気持ちは抑えられない。
ひとりもだえるワープに、ケットはふっと微笑んだ。




