学園祭の準備4
水の音が心を静め、花の香りが満ちる温室で。セイルとアナは睨み合っていた。
正確には目付きを鋭くしているのはセイルだけで、アナは彼をなだめようと困惑した顔つきをしている。
ケットとワープは、そこに飛び込んだ。
「あぁ、よかった!!」
アナが心底救われたような目でふたりを見る。
「セイルをなんとかして。ひとりで野兎のアジトに乗り込むって言ってるんだよ」
「なんだと?」
ケットはアナと並び、真正面からセイルを睨み付けた。元々隙のない顔のケットがこういう表情をすると、ひどく迫力を持つ。
「落ち着けセイル」
「落ち着いてられるか。おれはあいつらを許す気はねえぞ」
セイルは話す時間も惜しいとばかりに、温室から出ていこうとする。
ワープはあわてて両手を広げ、道をふさいだ。
「……行かないでください」
「どいてくれ。今回のことはお前には関係ない」
セイルが、こんなにも冷たい目でワープを見るのは初めてだ。
「いやですっ」
ワープは決して譲る気はなかった。
確かに自分には関係ない。セイルの過去も、彼の思いも、その全てを理解するには、あまりに時間が足りない。
けれど、譲らない。
行かせたらセイルは無茶をする。彼が危険な目に逢うのは、嫌だ。
「ワープ。お前には、おれの気持ちはわからない」
セイルの瞳は、怒っているようだった。
「おれがどれだけ野兎を恨んでいるか。どれだけ苦労して、その気持ちを押し込めてきたか。……どいてくれ」
「わかりません。私は何も知らないのです」
ワープは進み出て、セイルの手を取った。
「教えてください。私に、あなたの力になる資格をください」
セイルは目を見開いてワープを見つめた。口が微かに開きかけ、諦めたようにまた閉じる。それから、
「気持ちのいい話じゃねえよ。特にお前には、な」
囁くように言うと、ぐいっとワープを引き寄せた。一瞬、ふたりの体が重なり、セイルの体はワープの体をすり抜けるようにして、ふわりと離れていく。
放られるように突き放されたワープはよろめき、アナに支えられた。
「セイル!!」
走り去るセイルをケットが追いかけ、凄い勢いで温室を飛び出して行く。
「セイル……」
後を追おうとするワープを、アナが止める。
「待って。ここに居て、ワープ」
「駄目です、このままじゃ、ふたりとも野兎を探しにいってしまいますっ」
「なに?」
アナの目が、今まで見たこともないくらい静まる。
「ケットは言っていました。セイルが野兎に復讐するなら、自分も手伝うと。駄目です。ふたりだけでは、危険ですっ」
「そうか。ケットらしいね、それは」
たちまちいつも通りの穏やかな表情に戻るアナ。
「大丈夫。ふたりとも野兎のアジトの場所なんて知らないから。本当に単細胞だよねぇ」
「でも、でも、相手はこの学園の生徒を狙っているのですよ」
ふたりが相手を知らなくても、相手はふたりを知っている。危険に巻き込まれないとは言い切れない。
「大丈夫。セイルもケットも、すっごく強いから。でも、そうだね。野兎の狙いがこの学園なら、ふたりを放っておくのは心配かも。セイルは頭に血が上ってるし、ケットはケットでねこさんだし」
仕方ない子たちだなあ、とアナは微笑する。
「ワープ、ちょっと待っていてね」
「え?」
聞き返す前に、アナは手をワープの額にかざす。ぽわっと白い光がワープを包んだ。
瞬間、ワープの体は温室から消えた。
すとんと着地した先は、時計塔の内部。
「え、えぇえっ!?」
ワープは事態が飲み込めず、辺りをきょろきょろと見回す。初めて学園に来た日に見たのと同じ、石造りの階段が吹き抜けの塔の中を螺旋状に続いている。
その中程に立ち、ワープはにわかに訳がわかってきた。どうやら転移魔法で飛ばされたらしい。
(アナは、ふたりを追うつもりなのでしょうか)
それで、ワープを巻き込まないためにこんなことをしたのか。
いけない、すぐに戻らなければ。
急いで階段を下ろうとするワープに、静かな声がかかった。
「おい」
時計塔の中に反響して、声の出所はわからない。
振り向くと、そこには無表情にこちらを見下ろすラインがいた。カツン、カツンと足音を響かせて、ワープより2段上まで降りてくる。
「ラインさま……」
彼は髪を解き、制服ではなく黒い私服に身を包んでいる。けれど腰にはしっかり剣が携えられていた。
「……何があった」
涼やかな声で尋ねられたとき、ワープの中でせきが切れた。
「助けてくださいっ」
「……っ?」
いきなり懇願され、ラインは面食らったように目を丸くする。
「セイルが、野兎に、私、どうしたら」
頭が混乱して、言葉がうまく続けられない。
手袋をした手が、そっとワープの頬に触れた。
「少し落ち着け」
ラインの静かな目が、じっと向けられている。それは、火照ったワープの心をしんと静まらせた。
ワープは深呼吸をして、ひとつひとつ絞り出すように、
「セイルが、野兎のアジトに向かいました。ケットとアナが追いました。私、心配なのです。彼らが危険な目に遭うのが、いやなのです」
たどたどしく要領を得ない台詞だった。それでも理解したように、ラインは頷く。
「野兎というのは、学園の生徒を襲った集団だろう?」
「はい。あの、セイルには事情があって……」
「大体わかるよ。野兎は過激派だから、恨みを持つ者は少なくない」
ラインは少し考えるような顔をした。
「セイルは野兎のアジトの場所を知っているのか?」
「いいえ……知らないと思います」
「……あまりよくないな」
ラインの表情が曇る。
「相手は学園を狙っている。目的はわからないが。復讐心でまわりが見えなくなっている生徒を、利用しようと考えるかもしれない」
「どういうことですか……?」
「向こうからセイルに近づいて来る可能性がある。……危険だな」
ワープは青ざめ、すぐに彼を止めに行こうと階段を下りだした。ラインがその腕を掴み、それを制止する。
「待て。お前には行かせない」
ワープは悲痛な目でラインを見る。
「なぜですか?」
「お前を守るのが騎士候補生の優先事項だ。お前に危険を及ばせるわけにはいかない」
ラインの瞳は少しも揺らがない。
「私は、セイルの友人なのです」
強い口調で言ったつもりなのだが、ラインの深い目で見すくめられた途端、ワープは小さな子どもに戻ってしまった気になった。
「友人のために何もできないのは、いやです。それは、巫女としても、だめです」
「……次期巫女自身が、巫女の命の重さをわかっていない」
ラインはため息とともに言う。
「巫女の命がなんですか!!」
ワープは、珍しく、生まれて初めてと言っていいほど珍しく、声を張り上げた。
フワァァン……と塔の中に残響が広がる。
そうだ。いつも心をちくちくと刺していたもの。それが何なのかわかった。
「命の重さに、違いなんてありません!!」
ワープはラインの手を振りほどく。
「私は、友人を救いたいのです」
ふたりはしばらく視線を交わしていた。お互いの譲れない思いを確かめあうように。
やがてラインが静かに口を開いた。
「……巫女を守るのが騎士」
淡々と、でもどこか考え深げに言葉を吐き出す。
「そして……騎士を、いや、国民を救うのが巫女、か」
ラインの瞳が、今までと違う光を帯びる。
「お前が行くのなら、俺を共に連れていけ」
「え……?」
「騎士の務めだ。巫女をひとりで行かせるわけにはいかないからな」
あくまで静かに言うライン。
ワープは顔を輝かせ、彼の手袋に包まれた手を取った。
「ありがとうございます!!」
ラインは繋がれた手を少し見て、それからどうでもよさそうに
「……俺もあいつらには借りがあるからな」
旧図書館棟での一件の際のことを言っているのだろう。
ワープは感謝で胸がいっぱいになり、言葉が出なかった。そこで、ゆっくりと頷き返した。




