思うもの
「ワープ、大丈夫?」
地平線に沈んでいく太陽は、宝箱から赤い宝石がのぞいているような、そんな美しさだった。赤い光が射し込む温室の中で、ワープはぎこちなくアナに微笑む。
「はい。大丈夫ですよ」
今日、ワープたちが出向いたスラム街。そこの人々は巫女の訪問に驚き、そして恐縮した。
祈りの巫女様に施しをさせるなんてとんでもない。不衛生な土地に入れるわけにはいかない。
ワープは、何もさせてもらえなかったのだ。
人々は巫女を突き放したりしなかった。ただ畏れ多い相手として見た。触れてはいけないものとしてとらえた。
アナはワープのために紅茶のおかわりを注ぎながら、大したことないという風に言葉をかける。
「巫女が身分を明かして街に出ること自体異例なんだから。ああいう反応は、むしろありがたいんじゃない?少なくとも、あからさまに拒絶はされなかったんだし」
ワープはお礼を言ってカップを受け取り、俯く。
「でも……私は、何もできないのです。巫女としてやりたいことなのに、巫女だからという理由で、やらせてもらえなかったのです」
温室には、ワープとアナの他は誰もいない。水路に水が流れる音と、アナが紅茶をくゆらすわずかな音の他は、何も聞こえなかった。
アナはいつも通りの穏やかな表情を浮かべ、静かに言う。
「助けたいのに、助けられる方の人から拒まれるって、辛いよね。身分が理由なら尚更。だって自分じゃどうにもできないもん」
ワープは顔を上げ、アナを見つめた。アナはにっこりと笑い返す。
「どうにもできないんだから、ワープが落ち込むことないよ」
「で、でも……」
ワープは納得がいかなかった。
「巫女とはそういうものでよいのでしょうか。神殿に籠って祈ることだけが、私にできることなのでしょうか」
どんなに自分の力が拙いものだとしても、きっとできることがあるはずなのだ。
アナはワープに近寄る。そしていきなり腕を伸ばすと、ワープの前髪を優しくかきあげた。同時にやわらかく微笑んだ顔が近づいてくる。
思わぬ接近に、ワープは体を硬直させる。
「あの……?えぇと?」
ワープのとまどいなどおかまいなしに、アナはワープの頬に指を滑らせる。
「アナ……?」
困惑して顔を真っ赤にするワープ。
やがてアナはワープの頬を引っ張った。
「!?アナ、いひゃいでふ」
ぐいぐいと左右に頬を引かれ、ワープは涙目でアナを見上げる。 やがてワープの頬を解放して、アナは楽しそうにくすくす笑う。
ワープはじんわりと熱い頬を擦りながら、アナに少し咎めるような目を向ける。
「何をするのですかー……」
「ごめんごめん。ワープって、なんかいじくりたくなるんだよね」
アナはワープのそばに椅子を運んで、そこに座る。
「君はいろいろ悩んでるみたいだけど、そのために僕らがいるんだよ。辛かったら一緒に悩もう。僕たちは、次期巫女と騎士である以前に、友だちなんだ」
ワープはアナを見つめた。優しい緑の瞳が、安心させるように輝いている。その輝きに胸を震えさせられ、ワープはたまらず微笑んだ。
「ありがとうございます、アナ」
アナはにっこり頷く。温室に咲き誇る花たちを全て詰めこんだような、きれいな笑顔だった。
スラム街への外出は成功とも失敗とも言えなかった。まず行動を起こすことすらできなかったのだから。けれどそれは失敗よりも質が悪い。ワープが傷つかなかったとは考えられない。
エルミタージュ校長への報告を終えたケットは、沈んだ気分で温室への道を歩いていた。
ワープは本当に祈りの巫女には向かない性格だ。些細な出来事として受け流してしまえば楽なものを、深く考えてそれを自分の重荷にしてしまう。彼女のために自分は何をしてやれるのか。ケットにとってはそれが一番の難題だった。
思えばあの小さくて不器用な次期巫女のことを、自分は知らない間にずいぶん大切なものとして見ていた。ワープと出会う前は、騎士候補生として生活していく中で、守る相手の器とやらをそう簡単には認めない気でいた。それが、あの劣等生そのものの少女のことをこんなにもすんなり認めているというのは、おかしな話だ。
悩みながら歩いていくケットに、かかる声があった。
「ケット・ヘレンス!!」
有能そうな、きびきびした声。はっとして振り向くと、厳しい顔つきをしたツルハと、対照的にのんびりと目を閉じたリーンハルトがこちらへ近寄って来ていた。
「気配は消していないつもりだが。気づかなかったか?」
「…………」
ケットは内心後悔する。気を抜かず歩いていれば訳なく感じ取れたはずだ。それが多大な力を持つ巫女の騎士の気配なら尚更。それすらわからないほどに気を散らしていたなど、言語道断。騎士候補生としてあってはならない行いである。
ツルハはケットを睨むように見つめ、
「騎士が気を抜くということは巫女の死を意味すると思え。神落としの連中はそう甘いものではない」
と厳しく言う。ケットは敬意を込めて頷いた。
「心得ています」
ふと、この人たちは自分の先輩ともいうべき現巫女の騎士なのだと思い至る。
物言いたげなケットの様子に気づいたのは、ふわっとあくびなどしていたリーンハルトだった。
「ネコちゃん、よければ少し俺たちと話さない?」
「リーンハルト、またお前はのんきなことを言って……」
「いいじゃない。リフィルさまがエルミタージュ校長と話終わるまで暇だし。騎士候補生には興味あるしねー。ツルハちゃんだって、実は興味深々でしょ?」
「む……」
ツルハはバツが悪そうに口をつぐむ。ほらね、と言いたげに、リーンハルトは勝ち誇った表情でケットに向かい合う。
「てことでネコちゃん。少し話そうよ」
「俺は構いませんが……あの、ネコちゃんというのは」
「立ち話もなんだし、座ろうか」
中庭中央の噴水の縁に座り、ケットは巫女の騎士ふたりに自らの考えを話した。
ワープの性質を考えた上で、自分が彼女のために何ができるのか。
「巫女と騎士は、ただ護衛と主の関係であるだけではないでしょう。俺は、お互いに支えあう存在でありたい」
自分の存在が彼女の心を少しでも救えるのなら、それは満足なことだ。
「あなた方は、リフィルさまとどういった形で関わっているのです」
これは一度訊いてみたい問いだった。
ツルハは真剣なまなざしをケットに向ける。
「私たちは今のお前たちのように若い頃から絆を深めようとはしていなかった。リフィルさまが祈りの巫女となったとき、私とリーンハルトが巫女の騎士に選ばれた。そこで初めて私たちは出会ったのだ」
ツルハの心はかつての三人の出会いの日にあるらしかった。かつて、といってもまだ若者の部類に入る彼らのことだ。数年前にしかならないだろうが、その間に彼らには様々なことがあったに違いない。遥か昔の出来事のように感じられることだろう。
「だが今では私たちにとって、リフィル様は最高の巫女だ。命に換えても守るべき相手だ」
ツルハの青い瞳は強く輝いていた。
「騎士として巫女と付き合うのなら、相手をよく知り、心から守りたいと思えばよい。それ以外に何も出来ないのだからな」
風が髪を乱れさせる。
「お前たちのように友として巫女に接している気持ちは、私にはよくわからない。私にとってリフィル様は敬うべき相手。友人ではない。……だが、お前たちのようなあり方も、間違いとは言えないだろうな」
ケットは意外に感じた。ツルハ・レナーディアという女性は、昔かたぎの性質に見えたのだ。けれど彼女は、自分たちの新しい巫女と騎士の関係を認めてくれていたらしい。
リーンハルトが後を続ける。
「元々古代から続く祈りの巫女と巫女の騎士について、俺たちが定義することは不可能だしねぇ。いろんな形の巫女と騎士がいていいんじゃないかな?」
ケットははっとした。
このふたりは自分が思うより遥かに経験を積んでおり、賢い騎士なのだと気づかされる。自分ではかなわない高みに居るのだ。
自分はいつか、そこに達することができるだろうか?
否、達するしかない。心からワープの騎士になることを望むなら。
「ネコちゃん、君の望みはなんだい?」
不意にリーンハルトが尋ねる。ケットはその緑の瞳を真っ直ぐに見返しながら答えた。
「ワープの身を、その心を含めて護ること」
リーンハルトは満足そうに頷く。
「望みがはっきりしているならあとは簡単。それに向かって努力することだね。なに、周りの評価など気にすることはない。大体、君たちよりもリフィル様の方が破天荒なんだし」
その言葉に、ケットは思わず笑ってしまった。なるほど、巫女にもいろいろいるのだから、巫女と騎士の関係にもいろいろあって良いはずだ。
自分はなんと単純なことで頭を悩ませていたのか。自分は自分のすべきことをしていれば良いのだ。ワープのために。
ケットは感謝を込めてふたりの騎士を見つめた。
「ご忠告、ありがとうございました。俺は俺の信じるやり方でやっていきます」
「忠告などしてはいない。お前が勝手に気づいたのだ」
ツルハの表情は厳しいままだった。リーンハルトがたしなめるようにその肩を叩く。
「まーた素直じゃないんだからツルハちゃんは。ネコちゃん、俺は君のこと気に入ってるんだ。頑張ってね」
ケットは恭しく一礼する。
最初はその強い個性に紛れてわからなかったが、このふたりは間違いなく巫女の騎士にふさわしい人物だ。それを改めて実感したケットは、無意識下にふたりに敬意を持っていた。
「しかしリフィル様は遅いねぇ。まーた長話してるのかな」
「巫女のそばに付いていなくてよいのですか?」
にわかに気になり、ケットは尋ねる。
ツルハとリーンハルトは、多分相当珍しいことに、揃って肩をすくめた。
「たまにあるんだよねぇ、こういうこと。俺たちには聞かせない話を、リフィル様とエルミタージュ校長がしているんだよ」
「今日はセイル・アインとあの黒づくめのライン・クロラットも居るみたいだがな」
どうやらふたりも困惑しているようだ。
ケットも気になっていた。祈りの巫女リフィルとラインは、明らかに知り合った仲に見えた。それは一体なぜなのか。
ライン・クロラット。
自分たちと同じ騎士候補生でありながら、教場には決して顔を見せない風変わりな生徒。彼は一体何者なのだろう。
(とにかく、セイルが共に居るのが救いだ)
彼ならば何かを掴んでくれるだろう。
今は待とう。そう決心したケットは、巫女の騎士たちに言った。
「よければ温室へいらっしゃいませんか。アナ自慢の花ばなと紅茶を、是非ご覧に入れたいのですが」
「……む」
ツルハの瞳がきらりと光る。
「いやー嬉しいね!!ツルハちゃんはお花が大好きだから。ところでクッキーか何かあるのかな?」
「もちろん」
「それもツルハちゃんの好物です」
リーンハルトは楽しそうに言うと、弾むように歩き出した。
ツルハは眉間にぎっちりと皺を寄せる。その顔は微かに赤くなっていた。
「……リーンハルトの戯れ言には耳を貸さんでよろしい。だがせっかくの誘いだ。受けるのが礼儀。行かせてもらう」
低い声でそう言い、ツルハもリーンハルトの後を追う。
ケットの前をすり抜けた彼女の顔は、堪えかねたように、嬉しそうな笑みを浮かべていた。
おぼつかないながらも安定した動き、とでも言うのだろうか。相反するような要素を備えた仕草をやってのけるのは、いつ見ても感嘆してしまう。
小さなお手伝いのルルが紅茶を注いでいく姿を見て、セイルはそんなことを考えていた。
周りにはテーブルを囲むようにしてリフィル、ライン、エルミタージュ校長。そして傍らにルル。思ってもみない組み合わせだ。これでアナやケットがそばに居ればまだ納得できただろうが、なぜ自分ひとりがここへ放り出されているのか。セイルは苦い思いで、内心ため息をついた。
ルルが一礼して身を引っ込ませたところで、エルミタージュが口を開いた。
「セイル君。何か訊きたいことがあるんじゃないですか?」
穏やかな、どこか含んだような口調。セイルはこのしゃべり方が苦手だった。だから、この校長と話すのはあまり好きではないのだ。
「なぜ俺はここに残されたのか」
ふてくされながら答える。
エルミタージュは気を悪くした様子もなく、微笑みながら答えた。
「少し君とお話ししてみたかったんですよ」
「なぜ俺なんです。なぜこの場で?」
エルミタージュは表情を崩さない。
「君は、ワープさんをどうみていますか?」
「……だから、なんでそれを俺個人に聞くんだよ。ケットやアナでなく、俺である理由は何だ?」
敬意など微塵も見せない口調で聞き返す。リフィルが密かに口元を緩めたことに、セイルは気づかなかった。
「君は見かけ以上に冷静で、度胸もある。信念を持ち、自分の考えをそう簡単には曲げない性質です。そしてそれをはっきりと示すこともできる。間違いか、正解かは関係なくね」
セイルは訝しげに目を細める。
「褒めて頂き光栄。でもそれは質問の答えか?」
「えぇ。ケット君やアナ君も、優れた性質の持ち主です。ですが、最後に言った部分が今回君をお呼びした理由なんですよ。すなわち、正しさに捕らわれず自らの意見を示してくれるかどうか。そこなんです」
エルミタージュは美味しそうに紅茶を飲みながら、諭すような目でセイルを見つめる。セイルは諦め、ため息をついた。
「確かに」
ケットはある程度自分の中で確信が持てるまで思考するタイプだ。率直な意見を求めることは難しい相手だろう。アナはアナで、本心を言っているかどうかが読めない。あの男の考えを探るのは、長い付き合いになるセイルとケットでも不可能だ。
「では質問に答えて頂けますか?君が、ワープさんをどうみているか」
セイルはきっぱりと言った。
「ワープは、ドジだ」
あまりに率直な言葉に、その場の時が一瞬凍りつく。
すぐにリフィルが笑いだした。
「あははっ!!あなた、いい子ねえ。まさにあなたみたいな子を、あたし達は求めてたのよ」
満足そうに言うリフィル。
「ではあなた、ワープは巫女に向いていると思う?」
セイルはとんでもないと首を振った。
「まさか!!あんなに巫女に向かない奴はいないだろ」
その言葉に、我が意を得たりとラインが頷いた。あまりに微かな動きだったので見逃しかけたが、間違いない。彼がそんな反応をするのが意外で、セイルは少し驚く。
「そうなのよ。あたしが心配しているのは、ワープの性格なの」
リフィルは真剣な表情になる。
「巫女は人々から崇められ、敬われる存在。けれどいつもそうとは限らない。時に疎まれ、蔑まれるのも巫女。神落としの連中を見たらわかるでしょう」
セイルは頷いた。
学園の中に潜んでまで祈りの巫女を狙う連中だ。巫女に対する憎悪は、かなりのものに違いない。
(それを、ワープが耐えられるのか……?)
一瞬浮かんだ不安を、セイルはすぐ打ち消した。
神落としの頭と向かい合っても、ワープは決して屈しなかったではないか。彼女の騎士となる自分が、信じないでどうする。
「ワープは確かに打たれ弱くて不器用で大間抜けだが」
セイルはリフィルを見つめる。
「誰にだって正直だ。嘘をついて逃げようとしない。それに、底抜けに思慮深い。……そういう強さは、おれは認めているよ」
リフィルは、その美しい紅色の瞳を大きく見開く。それから、この上なく嬉しそうに顔を綻ばせた。
「流石、騎士候補生。あたしが心配する必要なんてなかったわね」
リフィルは立ち上がり、さっと金髪をかきあげた。
「帰るわ。ライン、あたしの騎士のところまでお供なさい」
ラインはあからさまに嫌そうな顔をするが、リフィルは有無を言わさず出ていってしまう。深いため息をつきながら、ラインも後について出ていく。
ふたりの姿がなくなると、ルルがかれらのティーカップを片付ける。紅茶のおかわりを飲みながら、エルミタージュがのどかに言う。
「君は熱くなりやすそうに見えて、なかなか慎重ですね。まだ訊きたいことがあるでしょう?」
セイルはむっと眉をひそめる。
「わかってるなら言わないでくれ」
本当に苦手だ。この校長は。
「なんで、ライン・クロラットと祈りの巫女が知り合いなんだ?」
エルミタージュは穏やかに目を閉じる。そしてセイルの冷めた紅茶を取りかえようとやって来たルルを手で制し、ゆっくりと口を開いた。
「私とリフィルは、ライン君と9年前に出会いました」
「9年前……?」
「彼は単に学園の生徒というわけではなく、私が匿い、学園を家としているのです」
「そりゃまた、何で」
「彼には家がありませんでしたから。私は長い間彼を探し、そしてこの学園に連れてきた。彼をいずれ巫女の騎士として育てるつもりで」
セイルは悩ましい顔をしてこめかみを揉み、低くうなった。
「よく意味がわからないんだけど?」
エルミタージュは微笑む。
「リフィルとライン君は、まあ古い仲なんです。今、ライン君の事情についてお話しすることは出来ませんが、君には彼を信じてあげて欲しい。彼は無愛想ですが、心根はとてもいい子です」
老人らしい皺だらけの優しい顔を向けられ、セイルは困り果てる。
全く意味がわからないが、とにかくこの校長とリフィルはラインのことをよく知り、信用しているらしい。
セイルは頭をかき、長いため息を吐き出した。
「おれはあいつ、あんまり好きじゃないんだけど。ま……よく知らない相手のことをとやかく言うのもナンセンスだ。とりあえずは信用しといてやるよ」
エルミタージュは穏やかに微笑んだまま頷いた。
「君は、本当にすばらしい騎士候補生です」




