事件その後
真っ黒な夜空には所々藍色の雲がかかっている。月の光は薄い雲越しでもまばゆくて、夜の世界をぼんやりと明るくしてくれた。
もうすぐ消灯時間だ。今日も変わらずナイゼルの鋭い目が光っていることだろう。
昼間の事件により夕食が遅れていたワープは、送ると言って譲らない三人に連れられ、寮へと急いでいた。
「すみません、遅いのに……」
遅いのに、という言葉には、様々な意味がある。
まず消灯時間が近いこと。それからワープの食べるスピードが遅く、こんな時間になったこと。そして、急ぎたいのは山々だが、足が遅いので三人をどうしてもワープの速さに付き合わせてしまうこと。 情けなく申し訳ない気持ちでまた落ち込んでしまうワープに、三人は苦笑を漏らす。
「お前、本当にバカだな」
セイルが代表して言ったこの言葉に、あとのふたりも深く頷く。
「う……」
そのとき、ふとアナが足を止める。
「ね、あれ……」
彼が指差す先には、背の高い一本の木。そしてその枝の上に、夜空に紛れ込む黒い人影。
「ラインじゃない?」
「え?」
枝に乗り、幹に寄りかかるようにして寝ているのは、確かにラインだった。
アナは楽しそうに木まで駆け寄り、彼に声をかける。
「ライン。何してるの?」
ワープたちも木の下まで行く。寝ているのかと思いきや、ラインはすぐに目を開けてこちらを見下ろした。
「昼寝」
「……もう夜だが」
ケットの冷静な指摘を意にも介さず、ラインはマイペースにあくびなどする。
「もうすぐ消灯時間だよ。寮に戻らなくていいの?」
「別に……普段から部屋は使っていない」
無愛想に顔を背けながら答えるライン。
「あの、ナイゼル先生に怒られませんか?」
ワープがおどおどと尋ねたとき、彼は初めてこちらを向いた。
「見つからないところで寝てる」
当然、といった顔でしれっと言うラインに、ワープはもう何も言えず縮こまる。
そのとき、アナが明るく提案した。
「じゃあライン。ワープを寮まで送ってあげて」
驚いたのはアナ以外の全員だった。
ワープはやめてくださいと叫びたかった。なんだかいつも申し訳ないことばかりしてしまっているラインに、これ以上迷惑をかけるのが怖いのだ。
「……なんで俺が」
「いいじゃない。どうせ寮に戻らないなら」
にこにこ顔のアナに、流石のラインもペースを崩され苦い顔をする。
「お前たちの預かりものだろう、そいつは」
「預かりもの?違う違う。ワープは僕らの友だちだよ。ラインだって、ワープの友達でしょう?」
(友達……)
ラインは深くため息をつく。呆れたような悲しいような、複雑な顔つきをしていた。 セイルがワープの肩に手を回し、確固たる口調で言い張る。
「いーや。……確かにお前はこいつを助けてくれた。実力も認める。だがおれはお前にこいつを託したいと思わないね。騎士候補生の義務としてではなく、本当にお前が、こいつ自身を守りたがってるのか、おれには見極められない」
意地を張るようにラインを見据えるセイル。困惑するワープを尻目に、ラインは淡々と
「賢明だと思うよ」
その返事に、ケットまでもが食って掛かった。
「それは、本当にワープを守りたいと思っていないということか?ならば聞き捨てならない。俺は騎士候補生として、友人として。ワープを守る気のない者を候補生と認めるわけにはいかない」
真剣なまなざしでラインを見つめるケット。その言葉に胸打たれたワープは、言葉を発せられないまま立ち尽くす。
ラインはめんどくさそうに頭を掻く。
「俺は、真実はどうあれ。俺のことを信じられない気持ちはわかると言ったんだ」
ワープは咄嗟に、
「わ、私はラインさまを信じますよ!!」
と叫んでいた。
とたんに視線を浴び、ワープははっとしてまた縮こまる。
「あの、ラインさまは必ず私を助けてくださりましたし、これで信じなかったら私は恩知らずです。ですから、あの、私はラインさまを信じています」
もじもじしながらなんとか言い切る。ラインの目が、驚きに見開かれた。
アナがセイルとケットに笑顔を向ける。
「ほら、巫女様本人がこう言ってるんだよ。妬いてないで、僕らはナイゼル先生が来ないうちに寮に戻ろう」
「妬いてないでって、おいアナ、おれはなあ」
不服そうに抗議しようとするセイルを、アナは微笑んだまま制す。
「いいから。どうせラインは外で過ごすんだからかまわないでしょ?」
ラインは嫌そうな目をアナに向けるが、断る理由もないらしい。ついに小さいため息をついて、了承した。
「そういうことなら」
「すみません……」
友だちだから、と厚意で付き合ってくれるセイルたち三人と違い、無理やり送り役を押しつけてしまうようで。申し訳なさで一杯になる。
まだ何か言いたそうなセイルとケットを促し、アナは手をふりふり去って行ってしまう。
「おやすみ、ワープ。ライン、またね」
無情にも遠ざかっていく三人の姿を、ワープは内心涙ぐみながら見送る。
しばらくの沈黙。
ワープは気まずさに耐えきれず、
「あの、すみません……」
謝ることしかできない。
ラインは静かな目でワープを見たが、どうでもよさげにまた目をそらしてしまう。
「別にいい。さっさと行こう」
言葉通りスタスタと行ってしまうライン。ワープもあわてて後を追う。
寮までの道を、一言も言葉を交わさずに歩いていく。ワープが息の詰まる思いに耐えかねていると、不意にラインが尋ねてきた。
「お前は本当に、俺を信じるか?」
ワープは驚いて彼を見たが、その表情はうかがえなかった。ただ、後頭部でまとめられたつややかな黒髪が、さらさらと風で揺れている。
ワープは顔色を変えず、自分でも驚くほど冷静に、すんなりと答えた。
「私はあなたを信じます」
風がにわかに強くなった。
ラインが振り向く。深い黒の瞳が、月の光で輝いていた。
「どんなことがあろうと?」
ラインは試すような目つきでワープを見つめる。紅色の瞳と黒の瞳が長いことお互いに据えられた。やがてワープが静かに答える。
「それは……わかりません」
ラインの瞳が揺れる。
「私は、あなたのことを知らないのです。まだ全然知らないのです。もしあなたが私に刃を向けたとしたら、それでもあなたを信じられると、私は自信を持って言えません」
「それでも、今は、俺を信じると言うのか?」
ワープは頷いた。
「あなたに襲われたとしたらわかりませんと申しましたけど……あなたはそんなことをするひとではないと信じています」
「…………」
何か考えるような顔をするラインに、笑いかける。
「あなたは命の恩人ですから」
そう言った瞬間、ラインの目がひどく傷ついたように見開かれた。
何かまずいことを言ったかと、ワープは伺うようにラインを見た。
「あの……何かお気にさわりましたか?」
「……いや」
ラインは辛そうに息を吐くと、少し落ち着いてまた元の表情に戻る。
「お前は、神落としの頭が……フロウが、俺の名を知っていたのを疑問に思わなかったか?」
「え……」
ワープはきょとんとする。
そうだ。いつの間にか忘れてしまっていたが、確かに不思議だった。
「そうですね。不思議です」
今気づいた、と言わんばかりの返事に、ラインは笑いをこらえるような変な顔をする。
「理由を聞かないのか?」
「えっと……その、聞きたいです。けど」
なんだか気が引けるのだ。ラインはもしかして、神落としとの関係なんて話したくないのではないか。
困ったワープが曖昧に返事をごまかしていると、ラインは呆れたように肩をすくめた。
「聞きたいなら聞けばいい。俺は仮にもお前の騎士候補生なんだ」
「う……。その、私、身分がどうとか、あまり得意でなくて」
「……やっぱり巫女に向かないな、お前」
心底嘆くように言われ、ワープはうなだれる。
「すみません……」
そこでラインは表情を緩めた。
「まあ聞かないならいい」
「う、あの……。聞きたいです。教えてください」
観念して尋ねるワープ。
ラインは眉を上げ、仕方なさそうに口を開いた。けれど、すぐに機嫌悪そうにつぐんでしまう。
「……うるさいから今はやめておく」
その意味はすぐにわかった。
「お前たち!!消灯時間はとっくに過ぎているんだ!!早く寮に戻りなさい!!」
ナイゼルの怒声が背後から飛んでくる。
どうやらゆっくり話している暇はないらしい。捕まる前に、急いで寮に戻った方がよさそうだ。
「あの、ラインさま、今度教えてくださいな」
今聞けないのは残念だが、仕方がない。
「……気が向いていたら」
つれない返事をしてから、ラインは苛立たしげにワープをせかす。
「ほら、さっさと行くぞ」
「は、はいっ」
風は少し弱くなっていた。雲は流れ、半分欠けた月がぽっかりと顔を出していた。




