Grimoire 8〈記録〉
生還したランナーは、十一機のうち、七機だった。
ハーゲン高地の拠点は、補給倉庫と戦車の過半を失い、機能を停止していた。
作戦の目的だけを見れば、成功と言ってよかった。
帰還した隊員たちは、格納庫の前に整列して、報告を待っていた。誰も、口を開かなかった。
ガルシア大佐は、全員の顔を、ゆっくりと見渡した。
「隊長は」
「……戦死されました」
最年長の隊員が、答えた。声が、かすれていた。
「最後の敵は、改修型のSV-01でした。隊長は、単機で交戦され」
「私たちは、近づけませんでした。『来るな』と、命じられたので」
「そうか」
大佐は、それだけを言った。
それ以上の言葉を、探さなかった。探しても、見つからなかった。
「全員、休め。報告書は、明日でいい」
隊員たちが解散したあとも、大佐は、しばらくその場に立っていた。
夜明けの空が、白く広がっていた。
三年前、同じ空の下で、一人の少佐が、青ざめた顔で報告書を差し出した。
「根拠は、報告書のとおりです」と、その少佐は言った。
(君の確信は、君自身のものだったのか)
問う相手は、もういなかった。
訃報は、昼前に、開発施設へ届いた。
ハイデマンは、図面から顔を上げなかった。
「……そうか」
伝えに来た通信兵が、居心地悪そうに立ち尽くしていた。
「下がっていい」
通信兵が出ていくと、ハイデマンは、鉛筆を置いた。置いたまま、しばらく動かなかった。
「主任」
リーゼが、扉の前に立っていた。
「聞いたか」
「はい」
「あの男は、最後まで、自分のことを話さなかった」
ハイデマンは、窓の外を見た。試験場に、ランナーの予備機が一機、置かれていた。
「どこから来た男なのか、何を見ていたのか。結局、私は何も知らん」
「だが、あの報告書がなければ、この機体はなかった」
「はい」
「それだけは、確かだ」
リーゼは、何も答えなかった。唇を、強く噛んでいた。
その夜、リーゼは、一人でヴェルナーの宿舎を訪れた。
遺品の整理は、まだ始まっていなかった。部屋は、出撃の朝のままだった。
机の上に、紙が積まれている。
図面。計算メモ。運用教範の草案。そして、ノートが三冊。
一冊目を開いた。最初のページは、三年前の日付だった。
第七戦車師団壊滅。生存者の証言、十一名分。
細かい文字が、びっしりと並んでいた。証言の要約、残骸の位置、砲撃痕の角度。
そして、その余白に、小さな書き込みがあった。
再装填、六秒。
脚部沈み込み、〇・三秒。
どれも、生存者の証言には、ないはずの数字だった。
リーゼは、ページをめくった。
二冊目。三冊目。ランナーの設計の経緯が、日付とともに記されていた。
そして、最後のノートの、最後のページに、走り書きがあった。
これは、誰の記録だ。
その下に、もう一行。
私が死んだあとも、残るなら、それでいい。
リーゼは、ノートを閉じた。
窓の外には、格納庫の灯りが見えた。夜通し、誰かが働いていた。
(少佐の頭の中にあるものは、少佐しか書けません)
あの夜、自分が言った言葉を、思い出した。
(でも、書き残してくださっていた)
彼女は、ノートを胸に抱いた。
涙が、一粒だけ落ちた。
三日後。
開発施設の会議室に、ガルシア大佐と、ハイデマンと、リーゼが集まっていた。
机の上に、三冊のノートが置かれている。
「これは、軍の機密になる」
大佐が言った。
「ヴェルナー少佐の遺品として、私が預かる。ただし、設計に関する部分は、そのまま開発に回す」
「回すのは、誰に」
ハイデマンが、眉をひそめた。
「リーゼだ」
「私が、ですか」
リーゼが、顔を上げた。
「君は、少佐の記録を、一番近くで見てきた。理解できる人間が、他にいるか」
ハイデマンは、何も言わなかった。反対ではなかった。ただ、かすかに、うなずいた。
「リーゼ。次の機体を、設計しろ」
大佐が言った。
「ランナーは、完成した。だが、帝国は、すでに次を作っている。少佐が、そう言っていた」
「……はい」
「根拠は、ない。だが、少佐がそう言ったのなら、そうなのだろう」
リーゼは、ノートに手を置いた。
「ISW-02、ですね」
「そうだ」
「分かりました」
静かな声だった。迷いは、なかった。
大佐は、ふと、窓の外を見た。
「……不思議だな」
「何がでしょう」
「少佐が死んだというのに、我々は、また前に進もうとしている」
誰も、答えなかった。
ハイデマンが、ゆっくりと口を開いた。
「そうしなければ、負けるからだ」
その言葉が、会議室に落ちた。
大佐は、何かを言いかけて、やめた。
リーゼは、ノートの表紙を、指でなぞった。
最後のページの、あの一行が、頭から離れなかった。
これは、誰の記録だ。
(私が、続けます)
彼女は、心の中で、そう答えた。
答える相手は、もういなかった。




