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Grimoire of Gaia/End of Memory  作者: wisemanjr4


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Grimoire 9〈二つの記憶〉

ハーゲン高地から戻った改修型のパイロットは、三日間、医務室から出られなかった。


ヴァイス将軍が見舞いに訪れたのは、その四日目の夕方だった。


「ブラント大尉。起きていてよい」


「閣下」


大尉は寝台の上で、無理に背筋を伸ばそうとした。四十絡みの、頬の削げた男だった。

右腕に、厚く包帯が巻かれている。


「共和国の隊長機を、単機で撃破したそうだな」


「運が、良かっただけです」


「報告書は読んだ。だが、本人の口から聞きたい。あの最後の瞬間、君は旋回しなかった。なぜだ」


大尉は、しばらく黙っていた。


「……読まれている、と思ったのです」


「読まれている」


「敵の動きが、おかしかった。私が旋回に入るより先に、向こうが照準を置いている」

「まるで、こちらの癖を、知っているように。ですから、旋回をやめました」


「ただ止まって、腕を向けただけです。向こうは、そこで一瞬、迷いました」


将軍は、何も言わなかった。


知っていた。


あの敵の隊長は、旋回のタイミングも、砲の向きも、先読みできていた。

それは、彼の頭の中にある記憶が、すべて語っていた。


ヴェルナーは、見たとおりの動きなら、すべて予測できた。


だから、見たことのない動きだけが、通じた。


(記憶は、見たものしか持たない)


その事実が、静かに胸に落ちた。


「ご苦労だった。傷を治せ」


「閣下」


大尉は、将軍の背に声をかけた。


「あの隊長は、最後に、何か叫んでいました。通信に、混ざっていた。『お前は、誰だ』と」


将軍の足が、止まった。


「……そうか」


それだけ言って、彼は医務室を出た。


執務室に戻ると、将軍は、副官を下がらせた。


机の引き出しから、白紙のノートを一冊、取り出す。


この四日間、彼は、自分の中に起きたことを、慎重に確かめ続けていた。


頭の中には、二つの記憶があった。


一つは、ヴェルナーの記憶。共和国の少佐として歩いた三年。

ハイデマンの怒号、リーゼの手の油、ガルシア大佐の重い手。ランナーが初めて旋回した日の歓声。

そして、最期の赤い計器。


もう一つは、その奥にある、さらに古い記憶。霧の平原。再装填の六秒。


不思議なことに、彼自身が、取り乱してはいなかった。


ヴェルナーの記憶には、恐れがあった。ノルドの記憶には、焦りがあった。

だが、それらは、感情ではなく、事実として、そこにあった。

「あの男は、このとき震えていた」という記録として。将軍自身の手は、震えなかった。


(私は、ヴェルナーではない)


それだけは、はっきりしていた。自分は、ヴァイスだ。

帝国の将軍で、SV-01の運用を提案した男で、六十年、自分の頭で考えてきた人間だ。


だが、その自分の頭の中に、敵の三年が、丸ごと入っている。


将軍は、ペンを取った。


ノートの最初のページに、書き出していく。ランナーの構造。

スラストダンパーの昇降機構。旋回直前の、約〇・三秒の沈み込み。ハイデマンという技師の名。

リーゼという弟子の名。共和国が量産に入ったこと。


書きながら、彼は気づいた。


(私は、これを、誰に見せるつもりだ)


誰にも、見せられはしない。「敵の機密を、すべて知っている」と言って、誰が信じるだろう。

気が触れたと思われるのが、落ちだ。


それでも、手は止まらなかった。


記憶を、記録に変える。それが、いま自分にできる、唯一のことだと、なぜか確信していた。


翌日、設計局。


SV-02の設計主任、コンラートは、将軍の顔を見るなり、眉をひそめた。


「閣下。ご指示どおり、五か月に短縮は致しました。ですが、これ以上は――」


「図面を見せてくれ」


机の上に、大判の設計図が広げられた。


人の形。腕の先に、五本の指。右手には長大な砲、左手には、折り畳み式の装置。

肩の装甲は広く、胸には、帝国の紋章。


将軍は、息を止めた。


これは、見たことがある。


(……あの夜の)


ヴェルナーが、出撃前夜に見た、夢の景色だった。影の姿、指の数、胸の紋章。あの少佐が、予感とも幻ともつかぬまま、恐れとともに思い描いた機体が、いま、自分の目の前の図面と、寸分違わず重なっていた。


「閣下?」


「いや。……何でもない」


偶然ではない、と将軍は思った。


ヴェルナーは、この機体を知らなかった。見たはずがない。

それなのに、恐れを描いたとき、そこに現れたのは、帝国が実際に作ろうとしていた機体だった。


(あの少佐は、自分の敵を、恐れる通りに、思い描いたのだ)


そして、その恐れが、いま自分の手元で、設計図になっている。


自分たちが作るものを、敵が恐れ、敵が作るものを、自分たちが恐れる。

恐れが恐れを呼び、互いの姿が互いの手を引いていく。


将軍は、その構図を、はっきりと理解した。


理解して、なお、命じた。


「コンラート。この設計を、見直してもらう」


「どの点を」


「共和国は、すでに車輪とダンパーを持っている。旋回で勝負する時代は、終わりだ」

「次は、旋回の先を考えなければならない」


「旋回の先、と言われましても……」


「共和国の機体は、重心を落として向きを変える。つまり、旋回の直前に、必ず沈む。」

「その〇・三秒を、狙える兵装が要る」


コンラートは、目を見開いた。


「……閣下。なぜ、共和国の機体の旋回の仕組みを」


将軍は、答えなかった。


「できるか」


「理論上は。ですが、そのためには、機体の構造を根本から」


「やれ」


その声は、驚くほど静かだった。


「先に手を打たなければ、次は、こちらが沈む」


コンラートは、何か言いかけて、やめた。


将軍の目が、あまりに静かで、あまりに迷いがなかったからだ。


その夜、将軍は、ノートの最後のページに、短く書き足した。


――共和国は、次の機体を、すでに作り始めている。


――作り手は、リーゼという若い技師。


――私は、それを、潰さなければならない。


書き終えて、ペンを置いた。


ヴェルナーの記憶が、静かに告げていた。

リーゼという娘は、優秀で、誠実で、誰よりも彼の記録を信じていた、と。


将軍は、その記憶を、そのまま受け止めた。


受け止めたうえで、迷わなかった。


(これは、戦争だ)


その言葉が、自分の声なのか、誰かの声なのか。


もう、区別をつける必要は、ないように思えた。


窓の外で、風が吹いた。


ふと、ノートの端に、自分が無意識に書いていた一行が、目に入った。


――これは、誰の記録だ。


将軍は、その文字を、しばらく見つめた。


書いたのは、自分の手だった。だが、その一行は、自分の言葉ではなかった。


三年前、ある男が、夜の宿舎で、最後のノートの最後のページに、同じ言葉を書いた。

その記憶が、確かに、将軍の中にあった。


将軍は、その一行を消さなかった。


消さないまま、ノートを閉じた。

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