Grimoire 10〈沈み込み〉
ガンカメラの映像は、全部で十一時間分あった。
リーゼは、試験棟の暗い一室で、それを三日かけて見続けた。七機分。
生還した機体に積まれていた記録装置から、技師たちが吸い出したものだ。
映像の端には、時刻と、脚部各関節の角度、スラストダンパーの位置が、細い数字で流れている。
「寝ているのか」
ハイデマンが、扉の隙間から覗いた。
「起きています。見てください、ここです」
リーゼは、映像を止めた。
画面には、隊長機の最期の交戦が映っていた。隊長機の視点ではない。
後方にいた第三班の機体が、かろうじて捉えた引きの映像だった。
ランナーと改修型SV-01が、荒野の上で向き合っている。
「隊長機が、旋回に入ります。ここで、ダンパーの数字が動く」
画面の端で、数値が下がる。重りが降りる。脚部が、沈む。
「約〇・三秒。沈み込みの時間は、ヴェルナー少佐のノートにあった数字と、ほぼ一致します」
「それがどうした。設計どおりだ」
「はい。設計どおり、です」
リーゼは、映像を少しだけ戻した。
「問題は、ここです。敵機は、隊長機が沈んだ瞬間に、すでに砲を向けています」
「旋回が終わる位置を、先に狙っている。〇・三秒の沈み込みは、敵にとって」
「旋回の予告になっているんです」
ハイデマンは、黙って画面を見ていた。
「それだけではありません」
リーゼは、別の映像を呼び出した。
「第二班の三機が失われた戦闘です。こちらでも、被弾の直前に、全機が沈み込んでいます」
「敵が撃った時刻と、沈み込みが始まった時刻の差は、平均で〇・二秒」
「旋回しようとした瞬間を、撃たれているんです」
「……癖か」
「癖です。私たちが作った、機構上の癖です」
声が、わずかに震えた。
自分が考えた機構だった。いちばん近くで、それを育ててきた。
だから、その欠点を見つけてしまったことが、悔しかった。
「帝国のSV-01は、沈み込んでいません。あの最後の映像を、見てください」
「敵は、旋回していない。ただ、止まっただけです」
「あれは、私たちの癖を、知っていたのではないでしょうか」
「馬鹿を言え。どうやって知る」
「分かりません」
リーゼは、首を振った。
「でも、少なくとも、私たちの動きは、予測されやすい動きになっていました。それは事実です」
ハイデマンは、腕を組んだ。
「で、どうする」
「沈み込みを、消します」
設計室の黒板には、三日分の計算が、びっしりと残っていた。
スラストダンパーの原理は、単純だった。
機体の脚部の内側に、重りを収める。通常の走行時は、重りを上に引き上げておく。
この状態では、重心が高く、機体は軽快に動く。姿勢維持のための微調整にも、この重りは使える。
そして、急な方向転換の瞬間にだけ、重りを一気に下げる。
重心が地面に近づき、車輪の接地力が増し、横方向の慣性に耐えられる。
「問題は、重りが一つの塊だということです」
リーゼは、チョークで図を描いた。
「重りを下げるとき、機体の姿勢が、必ず沈む」
「重りの質量が大きいほど、旋回力は増しますが、沈み込みも大きく、遅くなる」
「これは、トレードオフです」
「今の仕様では、片脚に約一・二トンの重りを載せている」ハイデマンが言った。
「機体重量の一割程度だ。減らせば、旋回の半径が膨らむ」
「減らしません。分けます」
「分ける?」
「一・二トンを、四分割にします。片脚に四本、計八本の、小さな重りに」
リーゼは、チョークで、四本の縦長の円筒を描き足した。
「通常走行時は、八本すべてを上げておきます」
「旋回に入るとき、必要な分だけを、必要な順で、下げる」
「小さな方向転換なら、二本。急旋回なら、六本」
「そして、下げるときは、全部を同時にではなく、ずらします」
「〇・三秒の間に、数ミリ秒ずつ、ばらばらに」
ハイデマンの目が、細くなった。
「沈み込みの、見え方を消すのか」
「はい。〇・三秒の、はっきりした沈みを、〇・〇何秒の、細かい揺らぎに変えます」
「敵から見れば、旋回の予告ではなく、ただの姿勢の揺れにしか見えない」
「制御は」
「そこが、いちばんの難関です。八本を独立して動かす油圧系と」
「旋回の意図から重りの配分を瞬時に決める制御系が、いります」
「いまの系では、とても追いつきません」
ハイデマンは、黒板を見つめたまま、しばらく動かなかった。
「……少佐のノートには、何か書いてなかったのか」
「あります」
リーゼは、三冊目のノートを開いた。
ヴェルナーの几帳面な字で、旋回直前の沈み込みの時間と、深さと、波形が書かれていた。
その横に、小さな走り書きがある。
――沈みは、情報になる。
「少佐は、気づいておられたんです」
リーゼは、静かに言った。
「ランナーの沈み込みが、敵に旋回の意図を教えてしまう、と。でも、その時点では、ほかに手がなかった。だから、記録だけを残してくださった」
「……次を作る者が、気づくように、か」
「はい」
ハイデマンは、大きく息を吐いた。
「油圧は、クリングスの連中に回させる。制御系は、お前が見ろ。人手が要るなら、言え」
「ありがとうございます」
「礼はいらん。……少佐の置いていったものを、無駄にするな」
試験は、十四度、失敗した。
一度目は、八本のうち三本が、同時に動かなかった。
二度目は、油圧のサージ(急な圧力変動)が配管を割った。
三度目は、重りの落下速度が速すぎて、機体が前のめりに転倒した。
四度目からは、制御系の問題だった。
「ずらすタイミングが、合いません」
制御班の技師が、疲れた顔で報告した。
「ずらしすぎると、旋回力が足りない。揃えすぎると、結局、沈み込みが見える」
「ちょうどよい順序が、旋回の速度と角度によって、すべて変わるんです」
「全部、計算で決められるか」
「できません。組み合わせが多すぎます。実機で、一つずつ、確かめるしかありません」
「なら、確かめろ」
リーゼは、そう言った。
ハイデマンは、何も言わなかった。口を出さずに、見ていた。
十一度目の試験で、ようやく、機体が転ばずに旋回した。
十二度目で、半径が実用水準に入った。十三度目で、ハイデマンが、観測用の高速カメラを回した。
そして、十四度目。
スラストダンパーの、八本の重りが、一本ずつ、わずかな時間差で降りた。
ほとんど音もなく、ほとんど目に見えないほどの揺らぎとともに。
ISW-02の機体は、その場で向きを変えた。
沈まなかった。
少なくとも、外から見て、旋回の予告になるような沈みは、なかった。
試験場に、短い沈黙が落ちた。
高速カメラの映像が、すぐに再生された。
〇・三秒の沈み込みは、八つの小さな揺らぎに分解された。
ばらばらの位相で、地面すれすれを這っていた。
「……分からん」
ハイデマンが、呟いた。
「この映像を見て、旋回の意図を読める人間が、いるか」
「いません」
リーゼは、答えた。
「少なくとも、人間には」
機体の他の部分も、同時に作り替えられていた。
手は、ランナーのものより細かくなった。
指関節にトルク制御を組み込み、武器を握り直す速度を倍にした。
左手には盾兼用の装甲板を固定するのではなく、腕の外側に保持機構を設けた。
盾は、持ち替えられる装備になった。
弾薬供給系も、変わった。
ランナーは突撃砲の弾倉を機体側面の収納部から、手で引き抜いて装填する方式だった。
ISW-02は背部の給弾ベルトから、砲へ直接送る機構を設けた。
再装填の時間は、六秒から二秒を切るところまで短縮された。
「六秒」
ハイデマンが、その数字を見て、呟いた。
「あの砲手が、数えていた時間だ」
リーゼは、ふと、顔を上げた。
「主任。……どうして、それを」
ハイデマンは、一瞬、口を閉ざした。
「少佐が、報告書に書いていた。第七師団の戦車の再装填が、六秒だと。それを、覚えていただけだ」
「……そうでしたか」
リーゼは、それ以上、追及しなかった。
ただ、その六秒という数字が、あの夜のノートの余白にも、書かれていたことを、思い出していた。
試験が終わった夜。
リーゼは、一人で、格納庫に残っていた。
ISW-02が、ライトの下で、静かに立っている。ランナーより、わずかに細身だった。
肩の装甲は薄くなり、そのかわり、脚部の関節が大きくなっている。
彼女は、ノートの最後のページに、鉛筆で書き足した。
――沈みは、情報になる。
――だから、消した。
少し考えて、もう一行、足した。
――でも、消した癖は、また別の形で、情報になるかもしれない。
ペンを置いて、機体を見上げた。
どれだけ精密に消しても、どれだけ速く作り直しても、相手もまた、同じことをしているはずだった。
見えない相手と、同じ速度で走っているような、奇妙な感覚があった。
(少佐は、いつも、この感覚の中にいたのかもしれない)
誰かに追われ、誰かを追い、そのどちらでもあるような、終わりのない感覚の中に。
格納庫の外で、風が吹いた。
ISW-02の足元で、油圧系が、わずかに音を立てた。
まるで、機体が、小さく息をついたようだった。




