Grimoire 11〈網〉
SV-02の一号機は、設計主任コンラートの予定より三週間早く、組み上がった。
「早すぎます」
格納庫の天窓の下で、コンラートは言った。徹夜明けの目が赤い。
「何か、見落としている気がしてなりません」
「見落としは、試験で見つければいい」
ヴァイス将軍は、機体を見上げたまま答えた。
人の形をした機械が、そこに立っていた。肩の装甲は広く、胸には帝国の紋章がある。
腕の先には五本の指があり、右手は長大な砲を握り、左手は折り畳まれた装置を保持していた。
あの夜、ヴェルナーが予感のように見た影と、同じ姿だった。
「SV-01から、何が変わった」
「ほぼすべてです」
コンラートは、板挟みになった技師の顔で説明を始めた。
「まず、手が付きました。武器を持ち替えられるので、弾が尽きても後方へ戻る必要がありません」
「車輪は大型化し、脚部の接地面積を増やしています。そして、ご指示の兵装です」
彼は、機体の頭部を指した。
「頭部と胸部に、光学と振動の複合センサーを置きました」
「敵機の脚部の動きを、毎秒数百回の頻度で監視します」
「ご指摘の、旋回直前の沈み込みを検知した時点で、射撃管制が自動的に砲を向けます」
「人間の反応より、およそ〇・一秒早い」
「〇・三秒の沈み込みのうち、〇・一秒を先取りする、ということか」
「はい。敵が旋回を終える位置に、弾を置いておけます」
将軍は、静かにうなずいた。
偏差射撃とは、動く敵の未来位置へ撃つことだ。戦車は、それで当ててきた。
だが、その場で向きを変える機体には通じなかった。
そして今度は、その旋回の「予告」を、こちらが撃つ。
(最初に撃たれたのは、こちらの戦車だった)
(今度は、向こうの番だ)
その考えが、自分のものなのか、誰かのものなのか、将軍は、もう問わなかった。
試験は、三日で終わった。
標的は、鹵獲したランナーの残骸から復元した、模擬機だった。
ハーゲン高地で回収された部品を元にスラストダンパーの挙動だけを再現した、無人の走行台車である。
結果は、目を疑うほどだった。
十回の試行のうち、九回で、台車は旋回の途中で撃ち抜かれた。
残りの一回も、旋回後の位置を、砲が正確に追っていた。
「素晴らしい」
コンラートが、思わず呟いた。
「これなら、共和国の機体は、旋回できません」
「そうだな」
将軍は、そう答えた。
だが、彼は、笑わなかった。
試験場の端で、ひとり、立ち尽くしていた。
(ヴェルナーは、気づいていた)
ノートの余白に、彼はあの言葉を書いていた。沈みは、情報になる。
その記憶が、いま、将軍の中にあった。
(気づいていた男が、手を打たずに死んだわけではない。打つ時間が、なかっただけだ)
そして、ヴェルナーの死後、あの技師たちは、どうするか。
ハイデマン、リーゼ。ヴェルナーの記録を、一番近くで見ていた者たち。
(あの娘は、気づく)
彼は、ほとんど確信していた。映像を見れば、必ず見つける。
沈み込みが、敵に旋回の意図を伝えていることに。そして、それを消そうとする。
共和国が、癖を消した機体を作る。それは、時間の問題だった。
「コンラート」
「はい」
「この兵装は、いつまで有効だと思う」
コンラートは、意外な問いに、一瞬戸惑った。
「……敵が、沈み込みの特性を変えない限り、有効です」
「変えたら」
「その場合は、センサーの検知条件を更新する必要があります」
「ですが、敵が何をどう変えるかは、現時点では」
「分からない、か」
「はい」
「だから、これは、使い捨てだ」
将軍は、静かに言った。
「この兵装は、一度は当たる。だが、二度目はない」
「共和国は、必ず対策を作る。その時点で、これは、ただの重い部品になる」
コンラートは、目を見開いた。
「では、なぜ、こんなものを」
「一度でも当たる兵装なら、その一度で、敵の最も優秀な機体を撃ち落とせるからだ」
「……それは」
「そして、二度目のために、別のものを作る」
将軍は、設計室のほうへ歩き出した。
設計室の長い机の上に、将軍は、一枚の白紙を広げた。
「コンラート。偏差射撃は、何をしている」
「敵の動く先に、弾を送ることです」
「なら、その場で向きを変える敵に、通じないのは、なぜだ」
「動く先が、読めないから」
「そうだ。読めない相手に、撃つ場所を決めて待つのは、愚かだ」
将軍は、白紙の中央に、小さな円を描いた。
「敵の動きを、読もうとするな。敵が動ける空間そのものを、埋めろ」
「空間を、埋める」
「一発で当てる必要はない。敵の機体が逃げ込める場所を、すべて、弾で覆う」
「それも、複数の機体で、同時に。砲口を、一点ではなく、面に向ける」
円の周りに、将軍は、同心円状の線を、何本も描いていった。
「SV-02は、単機で戦うな。五機が一組になり、互いの死角を埋め、敵を囲む」
「個々の機体は、旋回で敵を追わなくていい」
「ただ、決められた範囲に、決められたタイミングで、砲弾を撒けばいい」
「それは」
コンラートの声が、掠れた。
「それは、戦車の運用に、近いですが」
「そうだ。だが、戦車と違い、我々の機体は、一組になって動ける。速く、細かく、自由に」
将軍は、顔を上げた。
「これを、網と呼ぶ」
「網」
「共和国の機体は、一機ずつなら、我々のどの機体より速い」
「だが、五機に囲まれた網の中では、速さを活かす場所が、ない」
コンラートは、しばらく黙っていた。
やがて、小さく、うなずいた。
「……運用教範は、私が書きましょうか」
「いや。教範は、私が書く」
「閣下が?」
「この運用は、誰かが、戦場の景色を、見たことがなければ書けない」
コンラートは、不思議そうな顔をした。
将軍は、それ以上、説明しなかった。
ヴェルナーは、ランナーの運用教範の第一章に、先制攻撃を原則とする、と書いた。
それを自分の意思で書いたのか、誰かの意思が書かせたのか、彼は最後まで分からなかった。
(だが、私は、分かっている)
将軍は、ペンを握った。
これは、自分の意思で書く。ただ、敗北を知っているから、書く。
そう考えたとき、不意に、気づいた。
その「敗北を知っている」という思いは、いったい、誰のものだったか。
彼は、ペンを持つ手を、止めなかった。
止めないまま、教範の最初の一行を、書き出した。
――網は、先に張らねばならない。
その夜。
試験場の脇で、整備兵たちが、SV-02の足回りを点検していた。
ブラント大尉は、右腕を吊ったまま、ひとり、機体を見上げていた。
「眠れんのか」
声をかけたのは、将軍だった。
「閣下」
「構わん。座れ」
二人は、格納庫の脇の、錆びたベンチに腰を下ろした。夜気が冷たかった。
「SV-02は、いい機体です」
大尉は、静かに言った。
「手がある。弾を持ち替えられる。あの日、私のSV-01に、これがあれば」
「君は、勝った」
「勝ちました。ですが、次の相手は、勝たせてくれるでしょうか」
将軍は、答えなかった。
大尉は、しばらくして、続けた。
「閣下。あの共和国の隊長機は、最後に、何を見ていたのでしょうか」
「何を、とは」
「私が止まったとき、向こうは迷いました。迷って、撃つのが、遅れた」
「まるで、止まるということが、頭になかったように」
将軍は、夜の格納庫を見つめた。
「……見たことのないものには、人間は、対応できない」
「はい」
「そして、見たことのあるものには、必要以上に、頼ってしまう」
大尉は、ゆっくりと将軍の横顔を見た。
「閣下は、あの隊長のことを、よくご存じのようですね」
「そうだな」
将軍は、否定しなかった。
「会ったことは、ない。だが、よく知っている」
それだけ言って、彼は立ち上がった。
「大尉。次の戦闘では、君にも、網の一端を担ってもらう」
「承知しました」
「死ぬなよ」
大尉は、少し驚いた顔をした。
「……努力します」
その言葉を、将軍は、どこかで聞いたことがある気がした。
ヴェルナーの記憶の中に、同じ言葉があった。
出撃前夜、ガルシア大佐に向けて、軽く響いた、あの返事が。
将軍は、振り返らずに、歩き出した。
天窓の向こうで、星が冷たく光っていた。
その夜、帝国の工場では、SV-02の量産ラインが、最初の火を入れた。




