Grimoire 12〈網の中〉
「全機、システムチェック実行」
『了解』
「全機オールグリーン確認。スラストダンパー、リフトアップ」
「ターマックローラー、プレヒート開始」
「ロック解除。ISWセカンド、発進!」
六機の影が、夜明け前の荒野へ滑り出していった。
出撃の三日前、リーゼは、ガルシア大佐の前に立っていた。
「ISW-02は、沈み込みを消しています。旋回の予告は、もう出ません」
「ランナーより、強いということか」
「機体としては、そうです」
リーゼは、そこで言葉を切った。
「ですが、大佐。帝国が、癖が消えることを、予測していないとは思えません」
「根拠は」
「ありません。ただ、少佐のノートが、私に気づかせたことです」
「我々が見つけた弱点を、敵が見つけていないはずがない、と」
大佐は、長い間、地図を見ていた。
「作戦は、出す。ただし、目的は、拠点の破壊ではなく、敵の運用の確認だ」
「確認、ですか」
「SV-02が、どう戦うか。それを知らずに、次は作れん」
リーゼは、頭を下げた。
「隊長に、伝えます。速さに頼るな、と」
「伝えておけ」
大佐は、ふっと息を吐いた。
「ヴェルナーなら、何と言っただろうな」
誰も、答えなかった。
ベルク回廊は、干上がった河床が、東西に二十キロ続く平地だった。
帝国の補給路の要衝である。両側は低い丘で、遮蔽物はほとんどない。
ハルト大尉は、隊の先頭で、その地形を見つめていた。
『隊長。敵影、確認できません』
「静かすぎるな」
『はい』
「各機、間隔を広げろ。想定より、広くだ」
ハルトは、三十七歳。第七師団の壊滅のあと、戦車兵からPWの搭乗員に転換した一人だった。
あの朝、彼は別の方面にいて、生き残った。それを、彼は今でも、後ろめたく思っていた。
(あの機体の動きを、知っているのは、あの日の生存者だけだ)
そう思うたび、胸の奥が、冷えた。
その時、前方の丘の稜線に、五つの影が立った。
人の形をしていた。腕の先に、五本の指があった。
肩の装甲は広く、胸には、帝国の紋章が刻まれていた。
『SV-02。五機』
「散開。第一射を避けたら、各個に近づけ」
『了解』
ISW-02の六機は、車輪を展開し、河床を滑り出した。
最初の一射は、外れた。
SV-02の一機が、正面から砲を撃った。弾は、ISW-02の進行方向の少し先に落ちた。
旋回を読んだ位置だった。
だが、ISW-02は、そこにいなかった。
旋回の予告は、出なかった。
沈み込みは、八つの細かい揺らぎに分解され、敵のセンサーにはただの姿勢の乱れにしか映らなかった。
『当たらない』
『あちらも、動揺しています』
「いける。詰めろ」
ハルトは、操縦桿を押し込んだ。
一機目のSV-02が、近づいてくる。距離、八百。六百。
ISW-02の突撃砲が、火を噴いた。弾は、SV-02の肩の装甲を撃ち抜き、機体が傾いた。
『一機、撃破!』
「次だ」
だが、その瞬間、ハルトは、違和感に気づいた。
撃たれた機体が、倒れながら、動いていた。
いや、倒れていく動きではない。位置をずらしている。
まるで、最初から、そこに倒れるつもりだったように。
そして、他の四機が、動いた。
最初に分かったのは、距離だった。
前に出た一機を、残りの四機が、取り囲むように、陣形を変えていく。
五角形の頂点に、五機が配置される。それぞれの砲口は、敵を狙っていない。
敵が動ける場所に、向けられていた。
『隊長、敵機が撃ってきません』
「撃たないのではない。置いているんだ」
ハルトが、気づいたときには、遅かった。
五つの砲口が、同時に、火を噴いた。
狙いは、ISW-02ではなかった。ISW-02の周囲の、空間だった。
弾が、河床に降り注ぎ、土煙と破片が、視界を埋めた。
ばらばらに撃たれた弾が、面になって、敵機の逃げ道を塞いでいく。
『左、塞がれました!』
『右もだ!』
「後退! 距離を取れ!」
ハルトは叫んだ。だが、後ろにも、弾が降っていた。
ISW-02は、速かった。どの機体より速かった。
だが、速さを活かすには、逃げ込める場所が要る。網の中には、それが、なかった。
『第四班、被弾!』
『こちら第六班、脚部損傷、機動力低下!』
ハルトは、歯を食いしばった。
網。
その言葉を、彼はまだ知らなかった。
ただ、これまでの戦場の常識がここでは通用しない、ということだけが分かった。
(敵の動きを、読まれているのではない)
(動ける場所を、潰されている)
戦闘は、四分間続いた。
二機が、撃ち抜かれた。第四班の機体は、胴体に直撃を受け、動かなくなった。
第六班の機体は、脚部を壊され、車輪で転がることしかできず、そこへ、二発目が降った。
通信から、第六班の声が、聞こえた。
『隊長。ここまでのようです』
「待て。助けに行く」
『来ないでください。……少しだけ、時間を稼ぎます』
声は、淡々としていた。
最後に、砲声が、一度だけ、鳴った。
ハルトは、ISW-02を、網の端へ向けた。
「全機、聞け。敵の五機は、互いの位置を保つことで、網を作っている。
つまり、一機が動けば、網は崩れる」
『ですが、動かせるでしょうか』
「動かす」
ハルトは、残った四機のうち、一機に命じた。
「第二班。お前が囮になれ。敵の右端の機体に、正面から突っ込め」
『……了解』
囮の機体が、車輪を鳴らして、右端のSV-02へ向かった。
SV-02は、反応した。右端の機体が、一歩、前に出る。その瞬間、五角形が、わずかに歪んだ。
「今だ!」
ハルトは、残りの三機を、歪みの間隙へ突っ込ませた。
網が、破れた。
ほんの一瞬だった。だが、その一瞬で、三機のISW-02は、網の外へ抜けた。
「撤退! 全速で退け!」
『隊長、囮が』
「分かっている」
ハルトは、振り返らなかった。
背後で、囮の機体が、五本の砲撃に晒されて、止まるのが、見えた。
ISW-02の三機は、河床を、東へ、全力で走った。
それを、SV-02は、追わなかった。
夜明けの光が、回廊に差した。
残されたのは、ISW-02の残骸が三つと、SV-02の残骸が一つ。
生還したのは、六機のうち、三機だった。
その夜、ガルシア大佐の執務室で、ハルトは、報告を終えた。
「……以上です」
「ご苦労だった」
大佐は、しばらく黙っていた。
「三機を、失ったか」
「はい。申し訳ありません」
「謝るな。これは、確認作戦だ。確認は、できた」
大佐は、窓の外を見た。
「敵は、網を張った。ISW-02の癖が消えていることを、知っていたのかもしれん」
「あるいは、癖があっても、なくても、使える運用を、先に作っていたのかもしれん」
「どちらにしても、同じです」ハルトは言った。「向こうは、我々の一歩先にいます」
「そうだな」
大佐は、静かにうなずいた。
「リーゼには、私から伝える」
「……お願いします」
ハルトは、敬礼して、部屋を出ようとした。
「大尉」
「はっ」
「囮を命じたのは、君か」
「はい」
「それが、君の判断か」
ハルトは、少し間を置いて答えた。
「そうです。……ですが」
「何だ」
「あのとき、迷いませんでした。誰かに、そう言われたわけでもないのに、迷いませんでした」
大佐は、ハルトを見つめた。
「それは、悪いことではない」
「はい。ですが、少し、怖くなりました」
大佐は、答えなかった。
ハルトは、もう一度、敬礼して、部屋を出た。
同じ夜、帝国の首都。
ヴァイス将軍は、ベルク回廊の戦闘報告書を、机に置いた。
「SV-02が一機、失われました。共和国のISW-02は、三機を撃破、三機が逃走」
副官が、読み上げた。
「沈み込み検知の兵装は、不発に終わりました。敵は、旋回の予告を消していたようです」
「そうか」
将軍は、驚かなかった。
「ですが、網の運用は、成功です。敵は、速さを活かせませんでした」
「そうだな」
「次は、どうされますか」
将軍は、しばらく窓の外を見ていた。
「網は、一度見せた。共和国は、必ず対策を考える」
「では、網を、さらに改良しますか」
「いや」
将軍は、首を振った。
「改良では足りない。見られた手は、もう手ではない」
彼は、机の引き出しから、あのノートを取り出した。
最後のページに、ペンを走らせる。
――網は、一度見せた。
――共和国は、あの囮の戦術を、次に使うだろう。
――だが、その時点で、その手も、もう、見えている。
書きながら、彼は、ふと気づいた。
自分が、囮という言葉を、無意識に先に書いていたことに。
ベルク回廊の戦闘報告書に、囮の記述は、なかった。
ただ、「一機が右端のSV-02に接近し、網がわずかに歪んだ」とだけ、書かれていた。
それが囮だったと、なぜ、自分は知っていたのか。
(……私が、そう読んだだけだ)
そう思った。
そう思おうとした。
ペンを置いたとき、手の甲に、わずかな汗が滲んでいた。
その夜、帝国の工場では、SV-02の第二ロットの生産が、始まった。
同じ頃、共和国の試験場では、リーゼが、新しい設計図の最初の線を引いていた。




