Grimoire 13〈乱数表〉
ベルク回廊から戻った三機の記録装置は、二百十四分の映像と、
四分間の異様な密度の戦闘ログを残していた。
「同時すぎるんです」
通信班のオットーが、波形の印刷された紙を机に広げた。眼鏡の奥の目は、寝不足で赤い。
「SV-02の五機が撃った時刻を、閃光の記録から拾いました」
「最大のずれが、〇・〇二秒。人間の号令では、あり得ません」
「声は、拾えていないのですね」
「無線の音声は、ほとんど出ていません。かわりに、これが」
オットーは、波形の端を指で叩いた。
「ごく弱い、周期的なパルスです。毎秒四十回。ISW-02の受信機が、雑音として記録していました」
リーゼは、紙を引き寄せた。
規則正しい、細い棘の列だった。四分間、途切れることなく続いている。
「これが、網の同期信号ですか」
「と、私は考えています。五機が、お互いの時計を合わせ続けている」
「号令の代わりに、この脈拍で動いているんです」
「……心臓ですね」
「はい。止めれば、網はばらけます。一斉に撃てなくなり、面の弾幕が、点の射撃に戻る」
試験棟の空気が、少しだけ軽くなった。
だが、リーゼは、紙から目を離さなかった。
「止める方法は」
「妨害装置です。背部に積めば、八百メートル以内なら、同期を乱せます」
「出力を上げれば範囲は広がりますが、機体の電源と放熱が追いつきません」
「八百」
「はい」
八百メートルは、あの網の、殺傷圏の内側だった。
「もう一つ、見つけました」
制御班の技師が、別の資料を持ってきたのは、翌日だった。
「弾数です。閃光の数と、着弾痕の数から、SV-02が四分間に撃った弾を、推定しました」
「五機で、およそ二千発」
「一機、四百発」
「SV-02の弾倉容量が、一機六百発前後だと仮定すれば」
「六分」
リーゼは、頭の中で計算した。
「あの網は、六分しか、張り続けられない」
「はい。あれだけの弾を、面に撒く運用ですから。補給が、保ちません」
「つまり、網は壊さなくていい。六分、逃げ切れば」
「理屈では、そうなります」
リーゼは、黒板に二つの案を書いた。
――案一:同期信号を妨害し、網をばらけさせる。
――案二:交戦を引き延ばし、弾切れを待つ。
書いてから、チョークを置いた。
「……どちらも、駄目です」
「どうしてですか。両方とも、筋は通っているのでは」
「筋が通っているからです」
リーゼは、黒板を見つめた。
「私たちが、この二つに辿り着いたということは、帝国も」
「私たちがここに辿り着くと考えているはずです。沈み込みの癖を、私が見つけたのと同じように」
「それは、推測では」
「推測です。でも、ベルク回廊の網は、私たちの癖が消えていても、成立しました」
「向こうは、癖があってもなくても使える手を、先に用意していた。そういう相手です」
オットーは、黙った。
「合理的な手は、読まれます。合理的であるほど、読まれる」
「だとすれば、私たちが取るべき手は」
リーゼは、そこで言葉を切った。
自分で言おうとしていることが、あまりに奇妙に思えたからだ。
「……私たち自身にも、読めない手です」
ガルシア大佐の執務室には、杖をついたハルト大尉が同席していた。左足に、包帯が巻かれている。
「乱数表、と言ったか」
「はい」
リーゼは、一枚の紙を机に置いた。
「出撃前に、交戦時の行動を、三つか四つの型に分けて用意します」
「妨害を試みる型、引き延ばす型、囮を使う型、網の外周を叩く型」
「そして、どの型を、どの局面で使うかを、乱数で決めておきます」
「決めておく、のか」
「はい。部隊長は、その場で選びません。封をした指示書を、局面ごとに開きます」
「その指示書の中身は、出撃前夜に、誰も知らないうちに、サイコロで決めます」
「私も、隊長も、その時点では、中身を知りません」
大佐は、眉を寄せた。
「兵に、サイコロを振って戦えと言うのか」
「兵ではなく、私たちが振ります。戦場に出る人間は、振られた結果に従うだけです」
「判断を、放棄させるのか」
「判断は、型の設計に使います。局面での選択だけを、手放すんです」
沈黙が落ちた。
先に口を開いたのは、ハルトだった。
「……大佐。私は、賛成です」
「理由は」
「ベルク回廊で、囮を命じたとき、迷いませんでした。迷わなかった自分が、怖かった」
「あれは、状況から導かれた、最も合理的な判断でした」
「誰が指揮官でも、あの局面なら、同じ手を選んだと思います」
ハルトは、杖の握りを、強く握った。
「同じ手を選ぶということは、読める、ということです」
「囮の動きを、敵は、見ていたのかもしれません。迷わない判断ほど、読まれやすいのだとしたら」
大佐は、何も言わなかった。
窓の外には、整列した戦車群が、遠く小さく見えていた。もう、新規の調達は、ほとんど止まっている。
「ヴェルナーは」
ぽつりと、大佐が言った。
「あの少佐は、いつも迷わなかった。普通ではない確信を持って話した」
「私は、それを頼もしいと思っていた」
誰も、返事をしなかった。
「だが、ハーゲン高地の最期の相手は、少佐の動きを、読んでいたような戦い方をした、と聞いた」
「大佐」
「読まれて死んだ男が、迷わなかったというのは、皮肉な話だな」
大佐は、乱数表の紙を取り上げた。
「許可する。ただし、指示書の作成には、私の副官を立ち会わせる。誰が何を書いたか、記録を残す」
「承知しました」
「それと、リーゼ」
「はい」
「サイコロを振る人間にも、癖はある」
リーゼは、一瞬、息を止めた。
「……はい。承知しています」
その夜、作成室には、窓のない小部屋が用意された。
机の上に、六面のサイコロが三つ。封筒が二十。
副官と、オットーと、リーゼの三人だけが、そこにいた。
「始めます」
オットーが、最初のサイコロを振った。
乾いた音が、部屋に響いた。出た目を、副官が記録する。
次の目。次の目。局面ごとの型が、一つずつ決まっていく。
リーゼは、その様子を、少し離れた椅子から見ていた。
自分が設計した型だった。四つの型の中身は、すべて知っている。
だが、どの型が、どの局面に割り当てられるかは、誰にも分からない。
自分が出撃するわけではないのに、不思議な心許なさがあった。
(私にも、分からない)
その感覚は、意外にも、安らかだった。
あの少佐は、どうだっただろう。
誰かに追われ、自分の判断が、自分のものかも分からないような顔をしていた。
それは、不安だったのか。それとも、慣れてしまっていたのか。
(少佐は、自分の次の手を、知っていた)
(知っていたから、読まれた)
そう考えて、リーゼは、首を振った。
少佐のことは、分からない。確かなのは、ノートに残された文字と、数字だけだ。
最後の封筒に、糊が塗られた。
副官が、封印を押した。
「完了です」
「ありがとうございました」
リーゼは、立ち上がった。
部屋を出る前に、振り返った。机の上に、使い終わったサイコロが、三つ転がっていた。
その出目を、誰が最初に見るのか。
サイコロを投げたオットーの手つきは、毎回、わずかに同じだった。
肘を引く角度。放す高さ。転がる方向。
(いつか、誰かが、気づく)
リーゼは、その考えを、扉の外に置いてきた。
今夜は、それでいい。
次の癖は、また、次の自分が見つければいい。
廊下の窓の向こうで、格納庫の明かりが、夜通し灯っていた。




