Grimoire 7〈ロード・オン〉
作戦の第一項は、全機の正常動作確認だった。
「全機、システムチェック実行」
『了解』
「全機オールグリーン確認。スラストダンパー、リフトアップ」
「ターマックローラー、プレヒート開始」
「ロック解除。ISWランナー、ロード・オン!」
十二機の影が、夜明け前の荒野を滑っていった。
ハーゲン高地までの八十キロは、三時間四十分で終わった。
ヴェルナーは、コクピットの中で、計器の数字を追っていた。速度、燃料、各機の位置。
すべてが予定どおりだった。予定どおりすぎて、かえって落ち着かなかった。
『隊長。前方五キロ、敵拠点を視認』
「各機、散開。第一波は私が引き受ける。第二波以降は、計画どおりに」
『了解』
東の空が白み始めていた。高地の稜線に、帝国の拠点が浮かび上がってくる。格納庫、補給倉庫、戦車の列。そのどれもが、まだ眠っていた。
(間に合った)
ヴェルナーは、操縦桿を押し込んだ。
最初の一撃は、静かだった。
ランナーの突撃砲が、戦車の列の端を撃ち抜いた。炎が上がり、夜が裂けた。
警報が鳴り響いたときには、すでに三両が沈黙していた。
「第二班、右翼から回り込め!」
『了解!』
敵は、反応できなかった。戦車は砲塔を旋回させるのに時間がかかる。
その間に、ランナーは車輪で滑り、位置を変え、また撃つ。
偏差射撃が通じないのは、帝国も同じだった。
五分で、戦車大隊の半数が撃破された。
十分で、補給倉庫が炎に包まれた。
『隊長、敵の反撃が弱い。このままいけます』
「油断するな。まだ終わっていない」
そう言いながら、ヴェルナーは、胸の奥の冷たいものに気づいていた。
うまくいきすぎている。
(先手を打たなければ、負ける)
その言葉が、頭の中で鳴った。
だが、今夜は、いつもと違う響きだった。勝ちかけているのに、まだ追われているような声だった。
それは、格納庫の裏から現れた。
最初に気づいたのは、第三班の隊員だった。
『隊長、後方に熱源。一機……いえ、あれは――』
通信が、途切れた。
ヴェルナーは、機体を急旋回させた。スラストダンパーが沈み、脚部が地面に近づく。
旋回半径は、ほぼゼロ。
レンズの中に、それが映った。
人の形をしていた。
腕の先に、砲が直接据え付けられていた。SV-01。いや、違う。脚部の車輪が一回り大きく、肩に増設装甲がある。現地で改修された機体だった。
(あの朝の、機体)
記憶の中の光景と、目の前の影が、重なった。
ヴェルナーは、反射的に引き金を引いた。突撃砲が火を噴き、改修機の脇をかすめる。
その瞬間、敵は止まった。
いや、止まったのではない。その場で一八〇度、向きを変えたのだ。
(同じだ。ノルドが見た動きと、まったく同じ)
ヴェルナーは、もう一度旋回した。スラストダンパーを下げ、重心を落とし、敵の正面から外れる。
ランナーの機動性なら、この動きに追いつける。追いつけるはずだった。
追いついた。
二機は、荒野の上で、互いの背後を取り合った。車輪が地面を削り、土煙が舞った。射撃音が重なり、火花が散った。
『隊長、援護します!』
「来るな。こいつは、私がやる」
なぜ、そう言ったのか、自分でも分からなかった。
ただ、そうしなければならない気がした。
戦いは、数分続いた。
ヴェルナーは、敵の動きを、ほとんど先読みできていた。旋回のタイミング、砲の向き、脚部の沈み込み。どれも、記憶の中に、かすかに残っていたからだ。
(これなら、勝てる)
突撃砲の照準が、改修機の胸部に重なった。
(勝った)
その時。敵の砲が、火を噴いた。
衝撃が、コクピットを貫いた。計器がすべて赤く染まり、視界が傾いた。
ランナーの機体が、ゆっくりと、横に倒れていく。
痛みはなかった。
かわりに、いくつもの光景が浮かんで、消えた。
雨の日の格納庫。ハイデマンの怒鳴り声。リーゼの手の油。ガルシア大佐の手の重み。
そして、霧の平原。再装填の六秒。
(ああ)
(これで、終わるのか)
そう思ったとき、不思議な感覚があった。
自分の中にあったものが、抜けていく。この三年間、ずっとそこにあった何かが、静かに離れていく。
ヴェルナーは、最後に、問いかけた。
(お前は、誰だ)
答えはなかった。
答えがないまま、意識が、遠のいていった。
同じ夜明け。セラン帝国の首都。
石造りの執務室で、ヴァイス将軍は、椅子に座ったまま、動きを止めていた。
報告書を読んでいたのではない。窓の外を見ていたのでもない。ただ、突然、世界の音が遠のいた。
見えた。
見たことのない光景が。ランナー。十二機の編隊。夜間の奇襲。ハーゲン高地。
そして、倒れていく機体の中から見えた、赤く染まった計器。
その奥に、さらに古い景色があった。霧の平原。再装填の六秒。
「……将軍?」
副官の声が、遠くから聞こえた。
「顔色が」
「問題ない」
そう答えた声は、驚くほど落ち着いていた。
将軍は、ゆっくりと立ち上がった。窓の外に、朝の光が差し込んでいた。
「ハーゲン高地に、通信を」
「は?」
「現地の指揮官に伝えろ。残存兵力は、ただちに撤退させろ。そして、共和国の次の動きに備えろ」
「……共和国の、ですか」
「そうだ」
将軍は、机の上のSV-02の設計図を見た。
手を持ち、武器を持ち替える。次世代機。
だが、それでは足りない。
共和国は、すでに、車輪と、スラストダンパーを持っている。そして、まだ次の機体を、考えている。
「SV-02の設計を、すべて見直す。共和国が次に何を作るか、私には分かる」
「なぜ、そう言い切れるのですか」
将軍は、答えなかった。
答えられなかった。自分でも、なぜ分かるのか、理解できていなかったからだ。
ただ、頭の奥で、誰かが静かに、同じ言葉を繰り返していた。
(先手を打たなければ、負ける)
それが、自分の声なのか、誰かの声なのか。




