Grimoire 6〈夜明けの槌〉
作戦名は”夜明けの槌”と決まった。
セラン帝国の前線拠点、ハーゲン高地。
第七師団が壊滅した平原から、北東へ八十キロの地点にある、補給と整備を兼ねた中継基地だった。
守備隊は一個大隊。戦車と歩兵が主力で、航空支援はない。
ランナー十二機による夜間奇襲。それが、ヴェルナーの立案した計画だった。
「無謀だ、という声もある」
出撃前夜の作戦室で、ガルシア大佐が言った。地図の上には、赤と青の駒が並んでいる。
「十二機で、一個大隊を。しかも夜間に、敵地へ八十キロ」
「ランナーの足なら、四時間で到達できます」
「理屈はそうだ」大佐は駒を指で弾いた。「だが、戦場に理屈どおりのことはない」
「承知しております」
「承知していて、なお行くのか」
「はい。ここで叩かなければ、次はありません」
大佐は、それ以上は言わなかった。
「設計者が前線に出るのは前例が無い」ヴェルナーの肩に、一瞬だけ手を置いた。
「死ぬな、少佐。これは命令だ」
「努力します」
その言葉が、自分でも驚くほど軽く響いた。
宿舎に戻る途中、格納庫の前を通った。
ランナーが十二機、整然と並んでいた。夜勤の整備兵たちが、機体の足元で工具を鳴らしている。
その中に、リーゼの姿があった。
「少佐」
「まだ起きていたのですか」
「最終点検です。スラストダンパーの油圧系を、もう一度だけ」
彼女は、手の油を拭いながら言った。
「少佐。一つだけ、お願いがあります」
「何でしょう」
「戻ってきてください。記録を、続けてもらわなければ困ります」
ヴェルナーは、少し間を置いてから答えた。
「……記録は、私がいなくても残ります」
「残りません。少佐の頭の中にあるものは、少佐しか書けません」
その言葉が、静かに胸に刺さった。
彼女は、何も知らない。知らないまま、真実を言い当てていた。
「努力します」
同じ言葉を、二度言った。
その夜、ヴェルナーは眠れなかった。
目を閉じると、霧の平原が浮かぶ。再装填の六秒が数えられる。いつもと同じ景色だった。
だが、今夜は、その先があった。
遠くに、影が立っていた。
人の形をしていた。ただし、ランナーとは違う。腕の先に、五本の指があった。右手には長大な砲、左手には、折り畳まれた何かの装置。肩の装甲は広く、胸には、見慣れない紋章が刻まれていた。
(これは、何だ)
ヴェルナーは、目を開けた。
天井が見えた。汗が、額を伝っていた。
あれは、ノルドが見た光景ではない。ノルドは、あの朝、そんな機体は見ていない。
見ていないものが、記憶にあるはずがない。
では、何だ。
予感か。あるいは、自分の恐れが作り出した幻か。
(先手を打たなければ、負ける)
その言葉が、また浮かんだ。
だが、今夜は、ほんの少しだけ違って聞こえた。焦りではなく、懇願のような響きだった。
ヴェルナーは、起き上がって、窓を開けた。夜風が冷たかった。
「……お前は、何を恐れている」
返事はなかった。
返事がないことだけが、答えのような気がした。
同じ頃、セラン帝国の首都。
石造りの執務室で、一人の将官が、報告書を読んでいた。
ヴァイス将軍。六十前後、背筋の伸びた、物静かな男だった。
帝国の機動兵器開発を統括する立場にあり、SV-01の運用を提案した張本人でもあった。
「共和国側に、動きは」
「現時点では、ありません」
副官が答えた。
「先日の戦闘の結果は」
「我が軍の完全な勝利でした。共和国は、戦車の再編に追われています」
「そうか」
将軍は、報告書を閉じた。
窓の外に、夜の街が広がっていた。灯りが、ぽつぽつと点っている。
「……妙だな」
「はい?」
「いや。何でもない」
将軍は、自分でも理由の分からない不安を感じていた。
勝ったはずだった。完全な勝利だった。それなのに、胸の奥に、冷たいものが沈んでいる。
(あの国が、このまま黙っているはずがない)
根拠はなかった。ただ、そう思った。
将軍は、机の端に置かれた設計図を見た。SV-02。
手を持ち、武器を持ち替える、次世代機。完成までは、あと八か月。
「開発を急がせろ」
「八か月の予定ですが」
「六か月にしろ。いや、五か月だ」
副官は、一瞬だけ戸惑った顔をした。
「……承知しました」
副官が退室したあとも、将軍は窓の外を見つめていた。
夜明け前、ランナー十二機が、基地の滑走路に整列した。
東の空が、わずかに白み始めている。
ヴェルナーは、先頭の機体のコクピットに座っていた。
計器に光が灯り、脚部のスラストダンパーが、低く唸りを上げる。
無線機から、ガルシア大佐の声が届いた。
「全機、作戦開始。……健闘を祈る」
「了解」
ヴェルナーは、操縦桿を握った。
(これが、反撃のやり方だ)
その先の言葉を、彼は、考えなかった。
考えれば、足が止まってしまう気がした。
「全機、システムチェック実行」
『了解』
「全機オールグリーン確認。スラストダンパー、リフトアップ」
「ターマックローラー、プレヒート開始」
「ロック解除。ロード・オン!」
機体が、勢いよく動き出した。
車輪が回転し、舗装路を滑る。十一の機影が、後に続いた。
夜明けの槌が、振り下ろされようとしていた。




