Grimoire 5〈先手〉
ランナーの試験結果は、三日で軍上層部に届いた。
ガルシア大佐が、それを会議の席で読み上げたとき、居並ぶ将官たちは、誰も口を開かなかった。
旋回半径、加速、不整地走破性、被弾時の生存率。どの数字も、戦車の常識から外れていた。
「これは、事実か」
最初に声を上げたのは、参謀次長だった。六十を超えた、白髪の将官だった。
「事実です。試験は、私自身が立ち会いました」
「では、第七師団を潰したのは、これと同種の兵器だと」
「そう考えるのが妥当です」
沈黙が落ちた。やがて、誰かが言った。
「量産すべきだ」
「待て。予算はどうする。戦車への投資を止めるのか」
「止めなくていい。だが、新規の調達は、すべてこちらへ回すべきだ」
議論は、一時間続いた。大佐は、その間、ほとんど口を挟まなかった。結論が、すでに見えていたからだ。
――時代遅れの鉄の棺桶に、兵を乗せるわけにはいかん。
会議が終わったとき、参謀次長が、大佐を呼び止めた。
「ガルシア。あの少佐は、何者だ」
「ヴェルナーですか。優秀な士官です」
「それだけか」
「それだけです」
ランナーの量産計画は、半年で動き出した。
施設は拡張され、クリングス重工の工場が三つ、専用ラインに転換された。
ハイデマンは、主任技師から開発部長になり、毎日、書類と怒号に埋もれていた。
リーゼは、スラストダンパーの改良班を率いていた。
ヴェルナーは、そのすべてを、少し離れた場所から見ていた。
彼の机には、新しい図面が積まれていた。
ランナーの改良案、量産型の仕様、運用教範の草案。どれも、彼が書いたものだった。
(次は、何が来る)
その問いが、頭から離れなかった。
セランは、一台の初期型で師団を潰した。ならば、次の機体は、すでに完成に近づいているはずだ。
手が付き、武器を持ち替え、おそらくは、ランナーより一歩先の性能を持っている。
(だから、先に動かなければならない)
(先手を打たなければ、負ける)
その考えは、あまりにも自然に、彼の中に浮かんだ。
ある夜、ヴェルナーは、報告書を書く手を止めた。
(いま、私は何を書いている)
ランナーの運用教範だった。その第一章に、彼は無意識のうちに、こう書いていた。
――本機の運用は、先制攻撃を原則とする。
ペンが、止まった。
先制攻撃。それは、彼が決めたことだっただろうか。
確かに、合理的ではある。ランナーの機動性は、敵が態勢を整える前に叩くことで、最大限に活きる。
それは、ハイデマンも、リーゼも、同じ意見だった。
だが、彼は、その結論に、いつ辿り着いたのか。
気づいたときには、すでにそこにあった。まるで、最初から決まっていたかのように。
(私の考えか)
(それとも、あの砲手の)
記録に残っていた名が、頭に浮かんだ。ノルド。
ヴェルナーは、誰もいない部屋で、小さく呟いた。
「……ノルド」
返事はなかった。
ただ、頭の奥に、霧の平原が広がっていた。再装填の六秒が、淡々と数えられていた。
その数え方は、ヴェルナー自身のものとは、わずかに違っていた。
一拍目が、ほんの少しだけ長い。
指の動きより先に、身体が次の動作を知っているような、そんな間だった。
それが誰の癖なのか、彼には分からなかった。
あの砲手のものなのか。それとも、自分の中にある何かが、勝手にそう数えているだけなのか。
(誰かが、そこにいるのか)
答えは、どこからも返ってこなかった。
翌朝、彼はガルシア大佐の執務室を訪れた。
「大佐。ランナーの初陣について、提案があります」
「聞こう」
「セランの前線拠点に、先制攻撃を仕掛けたいと考えています」
大佐は、顔を上げた。
「根拠は」
またその問いだった。だが、今度は、ヴェルナーは迷わなかった。
「帝国は、すでに次の機体を完成させつつあります」推定で制作した資料を渡す。
「量産に入れば、我々は数で押し切られます。その前に、拠点を叩かなければなりません」
「どうして、次の機体が完成しつつあると、分かる」
「……分かるのです」
大佐は、長い間、ヴェルナーを見つめていた。
「少佐。君は、時々、普通ではない確信を持って話す」
「申し訳ありません」
「責めているのではない。……ただ、その確信が、君自身のものであることを、願っている」
ヴェルナーは、一瞬、返事に詰まった。
「…まあ、君がスパイなどとは思えないのだが」
それが、彼の正直な答えだった。
大佐は、小さくうなずいた。
「計画を出せ。検討する」
「はっ」
敬礼して、ヴェルナーは執務室を出た。
廊下の窓から、量産ラインの煙が見えた。昼も夜も、止まることがない。
(先手を打たなければ、負ける)
その言葉が頭の中で、静かに繰り返された。




