Grimoire 4〈ISW-01〉
腕のカウンターウェイト案は、三週間で行き詰まった。
「旋回は、確かに小さくなった」
試験場で、ハイデマンは記録用紙を睨んでいた。
「だが、限界がある。腕を振れば、射撃姿勢が崩れる」該当箇所を指さす。
「戦闘用の機体が、旋回のたびに腕を振り回していては意味がない」
「はい」とリーゼが答えた。
彼女の仮説が、半分しか正しくなかったことは、本人が一番よく分かっていた。
「重さを動かす、という発想は合っていたと思います。ただ、動かす場所が違った」
「場所?」
「腕ではなく、足元です」
リーゼは図面を広げた。脚部の根元、ターマックローラーのすぐ上に、円筒状の部品が描き込まれていた。
「脚に、重りを組み込みます。旋回に入る瞬間、重りを下げて、重心を地面へ引き寄せる」
「方向転換が終わったら、重りを上げて、機動性を戻す。状況に応じて、昇降させるんです」
「重心を、動的に制御するのか」
「はい。名前は、まだありませんが……」
「スラストダンパー」
声を上げたのは、ハイデマンだった。
「旋回の推力を受け止め、逃がす装置だ。それなら、そう呼ぶのがいい」
図面を見つめる彼の目に、昔の熱が戻っていた。
「それに、慣性を使った特殊機動もできるようになるかもしれない」
「作れ。すぐにだ」
そこから先は、時間との戦いだった。
スラストダンパーの試作は、四度失敗した。
一度目は重りが降りきらず、二度目は昇降の途中で機体が転倒した。
三度目は制御系が追いつかず、四度目は、油圧が悲鳴を上げて配管が裂けた。
だが、そのたびに、ヴェルナーは記録を足した。
(ノルドが見た機体は、旋回の瞬間、わずかに沈んでいた)
その光景を、彼は思い出すことができた。
脚が、ほんの数センチ、地面に近づく。見落としてしまうほどの動き。
あのときノルドは、それが何を意味するか、考える余裕もなかっただろう。
だが、記憶は、考えなかったことまで、そのまま残していた。
「ここです」
ヴェルナーは、図面の一点を指した。
「旋回の直前に、沈み込みがあります。〇・三秒ほど」
「そのあいだに、重心が下がっている」
「……間違いないのか」
「はい」
ハイデマンは、もう理由を聞かなかった。
「その〇・三秒を、再現しろ」
リーゼが頷き、制御系の設計に戻った。
十一週間後、試験場に、一台の機体が立っていた。
ISW-01。
共和国が、その手で作り上げた、最初の実戦用機動兵器だった。
外装は、軍の標準色に塗られていた。腕の先には、金属の指がある。
右手には、長砲身の突撃砲。左手には、盾を兼ねた装甲板。
脚部には、スラストダンパーが静かに収まっている。
「通称は、どうしますか」
リーゼが尋ねた。
ハイデマンは少し考えて、首を振った。
「俺は名前をつけるのが苦手だ」ヴェルナーを見る。
「少佐、あんたが決めろ」
ヴェルナーは、機体を見上げた。
頭の奥で、誰かが静かに、同じ機体を見ていた。
「……ランナー」
「走る者、か」
「はい。歩くのではなく、走る。それが、この機体の本質です」
「悪くない」ハイデマンは頷いた。「ランナー。それでいこう」
無線機の合図で、機体が動いた。
車輪が展開し、舗装路を滑り出す。加速は滑らかで、前の試作機とは別物だった。
速度が乗る。風が唸る。そして、機体が減速し、旋回に入った。
沈んだ。
〇・三秒。脚部が、わずかに地面へ近づく。
次の瞬間、ランナーは、その場で向きを変えた。
一八〇度。
膨らまなかった。慣性が、嘘のように消えていた。機体は、旋回する前と同じ速さで、逆方向へ走り出していた。
誰も、声を出さなかった。
最初に口を開いたのは、ハイデマンだった。
「……できた」
呟くような声だった。
「できたぞ。あの化け物と、同じことが」
リーゼが、泣きそうな顔で笑っていた。技師たちの歓声が、少し遅れて上がった。
ヴェルナーは、歓声の輪の外にいた。
機体を見つめたまま、動けなかった。
(追いついた)
(これで帝国と、同じ土俵に立てた)
だが、その思いのすぐ後ろに、別の思いが張りついていた。
(では、帝国は、いま何をしている)
あの初期型は、一台で師団を潰した。
そして、あの機体は、腕に武器を直付けした、未完成の試作品だった。
ハイデマンが言ったとおりだ。完成品でさえない機体に、共和国は負けた。
なら、帝国の技術者たちは、すでに、次の機体を作っているはずだ。
追いついたと思った瞬間に、相手は、もう先にいる。
その連鎖に、終わりはない。
ランナーは、試験場の端で停止していた。夕陽を受けて、装甲が赤く光っていた。
ヴェルナーは、その背中を、いつまでも見つめていた。
「ヴェルナー少佐」
リーゼが、そばに立っていた。
「ありがとうございました。少佐の記録がなければ、ここまで来られませんでした」
「いえ。私は、見たものを書いただけです」
「その『見たもの』が、普通ではありませんでした」
リーゼは、静かに言った。
「少佐。どうして、あんなに細かいことまで、ご存じなんですか」
ヴェルナーは、少しだけ黙った。
そして、ようやく、短く答えた。
「……誰かが、覚えていたのです」
リーゼは、何も聞き返さなかった。
ただ、ランナーの方を向いて、小さく頷いた。
夕陽が、ゆっくりと沈んでいった。




