Grimoire 3〈設計図〉
半年が過ぎた。
ガルシア大佐の「時間をかけて、慎重に」は、結果として正しかった。
軍の上層部は、一台の機動兵器による敗北を、最初は「例外的な事故」として処理しようとした。
第七戦車師団の壊滅は、新型兵器の奇襲という名目で報告され、戦車部隊の再編が粛々と進められた。
だが、ヴェルナーの報告書は、握りつぶされなかった。
大佐が、手を回していた。
「予算は、民間への研究委託という名目で通した」
執務室で、大佐は言った。疲れた顔だった。半年前より、少し老けて見えた。
「軍が直接動けば、帝国に気づかれる。クリングス重工の共同研究という形なら、表向きは警備用機械の開発だ。……だが、実態は、君にも分かっているだろう」
「はい」
「ヴェルナー。私は、戦車兵の誇りを裏切っているのかもしれん」
「大佐は、兵を守ろうとしておられます」
「そうであればいいがな」
大佐は窓の外を見た。整列した戦車群は、半年前と変わらず、そこにあった。
施設の格納庫は、すっかり様子が変わっていた。
人が増えていた。図面を広げた机が並び、溶接の火花が散り、あちこちで怒鳴り声が飛んでいる。
「少佐、こちらです」
声をかけてきたのは、リーゼという若い技師だった。
二十代半ば、短く切った髪に、工具のベルトを巻いている。ハイデマンの一番弟子だと聞いていた。
「主任は、奥の試験場です。……今日は機嫌が悪いので、覚悟してください」
「何かありましたか」
「見れば分かります」
試験場では、一台の機体が立っていた。
前の機体とは違っていた。外装が付き、関節は滑らかになり、脚部の車輪機構は一回り大きくなっていた。
そして、両腕の先には、金属の指が付いていた。
「手が、付いたのですか」
「付いた。半年かかった」
ハイデマンが、腕を組んで立っていた。目の下に、濃い隈があった。
「だが、問題がある。見ていろ」
無線機の合図で、機体が動き出した。車輪が回り、舗装路を滑る。
前回より、明らかに速い。そして、機体は減速し、旋回に入った。
膨らんだ。
昨年よりは小さい。だが、まだ膨らんでいる。
その場で向きを変える、というには、ほど遠かった。
「慣性の殺し方が、分からん」
ハイデマンは、苦々しげに言った。
「脚で踏ん張らせても、車輪で逆回転させても、どこかが壊れる。」
「あんたの報告書に書いてあった旋回半径は、我々の知っている物理では、説明がつかん」
「帝国には、できています」
「できているなら、やり方があるはずだ。だが、それが分からん」
そのとき、リーゼが静かに口を開いた。
「主任。……もしかして、脚で止めようとするから、いけないのではないでしょうか」
「何?」
「車輪を、旋回の途中で、片側だけ瞬間的に逆回転させる。」
「そのとき、上半身を、旋回の逆側へ振る。腕の重さを、カウンターウェイトに使うんです」
ハイデマンが、動きを止めた。
「……超信地旋回に、カウンターウェイトか」
「はい。ですから、帝国の機体が腕に武器を直付けしていたのは」
「構造上の欠陥ではなくて、むしろ」
「重さを、腕の先に集めるためか」
ハイデマンは、ゆっくりと、ヴェルナーの方を向いた。
「少佐。この報告書には、他にも、使えそうな記述があるか」
ヴェルナーは、少し間を置いてから答えた。
「あります。ただ、いまは、私にも整理しきれていません」
それは、本当だった。
あの朝の記憶は、日を追うごとに、鮮明になっていた。
最初は断片だった光景が、いまでは、秒単位で再生できる。
敵の脚の角度、車輪の回転、腕の振り。
ノルドが見たすべてが、ヴェルナーの中に、確かに残っていた。
(これを、数字にする)
(記憶を、記録に変える)
それが、自分にできる唯一のことだった。
その夜、ヴェルナーは、宿舎の机に向かっていた。
ノルドの見た光景を、思い出せる限り、紙に書き出していく。
図に起こし、角度を測り、数値に直す。リーゼの仮説と照らし合わせ、矛盾がないかを確かめる。
窓の外は、すっかり暗くなっていた。
ふと、手が止まった。
(これは、誰のための記録だ)
死んでいった兵のためか。共和国のためか。それとも。
(違う)
ヴェルナーは、ペンを置いた。
この記録が完成すれば、共和国は、帝国の兵器に追いつく。
追いつけば、帝国もまた、さらに先へ進むだろう。
そのとき自分は、また誰かの死から、記憶を受け取るのだろうか。
あるいは、自分が誰かに、記憶を渡す側になるのか。
答えは出なかった。
だが、ペンを置いたまま、やめることもできなかった。
机の上には、図面が広がっていた。五メートルの人型が、その場で向きを変える、その軌跡が。
ヴェルナーは、もう一度ペンを取った。
窓の外で、風が吹いた。
遠くの格納庫の明かりが、まだ灯っていた。誰かが夜通し、働いていた。




