Grimoire 2〈試作機〉
その施設は、首都から車で四時間の、何もない丘陵地帯にあった。
「警備会社、と聞いていたのですが」
運転席の部下がそう呟いた。無理もなかった。有刺鉄線の柵は軍の基地より厳重で、門の脇にはクリングス重工の社章が掲げられていた。
ヴェルナーは何も言わなかった。窓の外を、黙って見ていた。
ガルシア大佐の「時間をかけて、慎重に」という言葉は、守っていた。
公式の視察ではなく、私的な訪問として。上に話を通す前に、自分の目で確かめるために。
応対に出たのは、油で汚れたつなぎの上に白衣を羽織った、五十がらみの男だった。
「ハイデマンだ。主任技師をやっている。軍の方は初めてだな」
「ヴェルナー少佐です。突然の訪問をお許しください」
「構わんよ。ただし、見ても驚かないでくれ。何しろ、まだ玩具の域を出ていない」
案内されたのは、巨大な格納庫だった。
薄暗い空間の中央に、それは立っていた。
人の形をしていた。
ヴェルナーは、思わず足を止めた。見たことのない光景のはずだった。
だが、その輪郭は、あの朝、レンズの向こうに見た影と、確かに重なっていた。
「PeaceWalker。我々は、そう呼んでいる」
ハイデマンは、誇らしさと自嘲の入り混じった声で言った。
「もとは、民間警備用の歩行機械だった」何か機械をいじりながら言う。
「災害現場や暴動鎮圧に、戦車では入れない場所へ入るための、な」
「それが四年かけて、こうなった」
背丈は五メートルほど。金属の骨格がむき出しで、外装はまだ半分も付いていない。
両肩から伸びた腕は、人間のそれに似ていた。
が、先端に指はなく、ただ作業用のマニピュレーターが取り付けられていた。
「歩けますか」
「歩く」ハイデマンは肩をすくめた。「ただし、褒められたものじゃない」
「二足歩行は不安定で、燃料も食う。長距離の移動には使えん。」倉庫端にある機械を見る。
「だから、脚部に補助の車輪機構を組み込んだ。我々はターマックローラーと呼んでいる」
「それを見せていただけますか」
ハイデマンは、ヴェルナーの顔を一瞬だけ見つめた。それから、無線機を取った。
「出せ」
格納庫の扉が開き、外の舗装路へ、機体が歩み出た。ぎこちなく、ふらつきながら。
脚の付け根が展開した。車輪が、地面に降りた。
次の瞬間、機体は滑り出した。
車輪が舗装路を噛み、機体は低い姿勢で、一直線に加速していく。
ヴェルナーは、無意識に息を止めていた。
「ここまでは、まあ、我々にもできる」ハイデマンが言った。「問題は、その先だ」
機体が、減速した。曲がろうとしていた。大きく膨らみながら、ゆっくりと。
「見てのとおりだ。速度を乗せたまま曲がろうとすると、重心が外へ逃げる。」
「転倒するか、膨らむかだ。急な方向転換は、いまの我々の技術では...」
「その場で、一八〇度」
ヴェルナーは、遮るように言った。
ハイデマンの口が、止まった。
「その場で向きを変えます。進行方向を、一瞬で逆転させます。」
「戦車の偏差射撃が、すべて外れるほどに」
「……何の話だ」
「帝国が使った機体の話です」
ヴェルナーは鞄から、あの報告書の写しを取り出した。ハイデマンは受け取り、ページをめくった。最初は懐疑的な顔で。やがて、その表情が変わった。
「……この旋回半径は、何だ」
「ほぼ、ゼロです」
「ありえん」ハイデマンは呟いた。「慣性を、どう殺している。脚か、車輪か、姿勢制御か…。」
「いや、待て。ここの記述、この機体の挙動、これは」
彼は顔を上げた。目の色が、変わっていた。
「少佐。この報告書は、誰が書いた」
「私です」
「あんたは、これを見たのか」
「証言から、再構成しました」
半分は、嘘ではなかった。
ハイデマンは、それ以上は聞かなかった。かわりに、報告書の別のページを指した。
「ここに、武装の記述がある。腕に直接、砲が据え付けられていた、と」
「はい」
「腕と砲が、一体なのか」
「生存者の証言では、そうです」
「……愚かな設計だ」
ハイデマンは、吐き捨てるように言った。
「武器が腕に固定されているなら、弾が尽きたら終わりだ」記載を指さしながら言う。
「持ち替えもできん。砲を換装するには、機体ごと後方へ戻す必要がある。とても実戦向きとは言えん」
「ですが、その機体は、一個師団を潰しました」
「...それは、本当のことなのか」ハイデマンは、静かに言った。
「あれは、完成品ではない。試作品だ。完成品でさえない機体に、我々は負けた。」
「……なら、次に来るのは何だ」
ヴェルナーは、答えなかった。答える必要はなかった。
「手が要るな」
ハイデマンは、自分の機体を見上げた。先端が作業用の器具でしかない、不格好な腕を。
「指のある手だ。道具を握り、持ち替え、状況に応じて武器を選べる手が。」
「帝国が次に付けてくるのは、おそらくそれだ。……なら、我々は、最初から付ける」
「作れますか」
「分からん」ハイデマンは正直に言った。「だが、四年かけてここまで来た。」
「あんたの報告書があれば、ここから先は、ずっと速く進める」
格納庫の外では、機体が、またふらつきながら歩いていた。
ヴェルナーは、その背中を見つめた。
(これが、始まりだ)
頭の奥で、誰かの声がした気がした。
(追いつけば、次は、追い越さなければならなくなる)




