Grimoire 1〈報告書〉
第七戦車師団の生存者は、十一名だった。
ヴェルナー少佐は、野戦病院の簡易ベッドの間を歩いていた。
包帯の白と、消毒液の匂い。呻き声は少なかった。
生き残った者の多くは、何が起きたのかを、まだうまく言葉にできずにいた。
「あれは、人間でしたか」
最初に話を聞いた伍長は、そう言った。左腕を失っていた。
「いえ、人ではありません。ですが、人の形をしていました。」
「脚があって、腕があって、頭のようなものが。」
「それが、滑るように走ってきたんです。戦車より速く。」
「……少佐殿、あんなものにどう勝てというんですか」
ヴェルナーは答えなかった。かわりに、静かに尋ねた。
「その場で、向きを変えましたか」
伍長は顔を上げた。「……はい。どうしてそれを」
「砲弾は、当たりましたか」
「一発も。偏差を取って撃ったのに、いなくなっているんです。撃った先に、もういないんです」
ヴェルナーはうなずいた。知っていた。あの朝、通信卓の前で見たものと、寸分違わなかった。
病室を出ると、廊下の窓から夕陽が差していた。彼は壁にもたれ、目を閉じた。
見えるのは、いつも同じ景色だった。霧の平原、砲手席のレンズ、六秒の再装填。
ノルドという名も階級も、彼は知っている。知らないはずなのに、知っている。
ただ、それが何なのかを考えることは、意識して避けていた。
考えても答えは出ない。出ない問いに時間を割く余裕は、いまの共和国にはなかった。
(必要なのは、記録だ)
目を開けた。
生存者の証言、撃破された車両の位置、砲撃痕の角度、時間経過。
断片をつなげて、あの兵器の動きを数字にする。
記憶はあるが、記憶だけでは誰も動かせない。人を動かすのは、記録だ。
彼は三日間、ほとんど眠らずに報告書を書いた。
三日後、ガルシア大佐の執務室。
「読んだ」
大佐は報告書を机に置いた。五十代の、厳格な軍人だった。
戦車一筋で三十年を生きてきた男の顔には、疲れと、それ以上の苛立ちがあった。
「正直に言おう、ヴェルナー。君の行き先は病院だ。ゆっくり休みたまえ」
「承知しております。しかし」
「一台の機動兵器が、一個師団を壊滅させた。戦車の偏差射撃が通じない。」
「その場で一八〇度旋回する。……本当にそんなものが存在するなら」
「我々の機甲戦力は、すでに時代遅れだということになる」
「そのとおりです」
大佐の眉が動いた。ヴェルナーは続けた。
「大佐、あの兵器は一台でした。たった一台で師団を潰しました。」
「もし帝国が量産に成功すれば、次は二十台、百台になります。」
「そのとき我々に、対抗する手段はありません」
「だから、同じものを作れと」
「はい」
「簡単に言うな」大佐は椅子から立ち上がった。
窓の外に、整列する戦車群が見えた。
「我々は戦車の国だ。戦車に予算を注ぎ、戦車に人を育ててきた。」
「それを君のたわごと一つで、一朝一夕に変えられると思うか。」
「第一、設計思想も、技術基盤もない。何年かかる」
「分かりません。ですが、始めなければ、永遠に間に合いません」
「根拠は」
あの問いが、また来た。
ヴェルナーは、一瞬だけ迷った。見たのだと言えば、おそらく疑われる。
だが、嘘をつけば、それはいずれ綻びる。
「根拠は、報告書のとおりです」と彼は答えた。
「生存者の証言、残骸の位置、砲撃痕の角度。すべて整合します。」
「あの兵器の動きは、偶然ではありません。設計された機動です」
「設計された、か」
「はい。つまり、再現できます」
大佐は長い間、黙っていた。
やがて、ゆっくりと言った。
「……もう一つ、聞かせろ。君は、あの戦場にいなかった。」
「報告書の細部が妙に具体的だ。砲手が再装填にかかる時間まで書いてある。なぜ、そこまで分かる」
ヴェルナーは、真っ直ぐに大佐を見た。
「生存者の証言から、再構成しました」
半分は嘘ではなかった。もう半分は、言えなかった。
大佐はそれ以上追及しなかった。ただ、報告書の最後のページを、もう一度めくった。
「……民間に、似たような話があると聞いたことがある」
「民間、ですか」
「警備会社だ。民間警備組織が、クリングス重工と組んで」大佐は机から書類を出す。
「歩行機械の研究をしているという噂だ。軍は相手にしなかったがな」
ヴェルナーの胸の奥で、何かが静かに動いた。
「その話、詳しく聞かせていただけますか」
「確証はない。だが、調べる価値はあるかもしれん」大佐は報告書を閉じた。
「ヴェルナー。私は元戦車兵だ。戦車を愛している。」
「だが、軍人でもある。鉄の棺桶に、兵を乗せるわけにはいかん」
「大佐」
「上に話は通す。ただし、時間をかけて、慎重に、だ。いいな」
「感謝いたします」
ヴェルナーは敬礼した。
執務室を出て、廊下を歩きながら、彼はようやく気づいた。自分の手が、わずかに震えていることに。




