Grimoire 16〈社内規格〉
クリングス重工の本社は首都の東にあった。
灰色の低い建物が三棟並び、正門には共和国軍の衛兵と会社の警備員が一人ずつ立っている。
ハイデマンは古い通行証を見せて門を通った。
有効期限は二年前に切れていたが誰も何も言わなかった。
電話に出たのは旧知の技術役員だった。
ミュラーという五十代の男で、昔は同じ設計室で図面を引いていた。
用件を告げると少し間があって「明日の午後なら」と返ってきた。
応接室は昔と変わらなかった。
窓際に革張りの椅子が二脚あり、机の上には会社の沿革を刻んだ金属板が置かれている。
ミュラーは先に来て茶を淹れていた。
「久しぶりだな。痩せたんじゃないか」
「開発部長になるとそうなる」
ハイデマンは椅子に座らず、鞄から布に包んだ弁を出して机に置いた。
ミュラーは包みを解き刻印を一瞥した。表情は変わらなかった。
「帝国のSV-02から出た。製造番号の振り方がお前のところの規格と同じだ」
「そうか」
「そうか、じゃない」
「座ってくれ。立ったままだと話しにくい」
ハイデマンは座った。ミュラーは茶碗を一つ彼の前に押しやった。
「結論から言う。うちはセラン帝国に油圧部品を納めている。契約は五年前からだ」
茶碗の湯気がまっすぐ上がっていた。
「五年前」
「民間向けの建設機械用としてだ。仕様書にも軍用とは書いていない」
「ただ納品先が帝国の国営工廠だったことはこちらも承知していた」
「SV-01が出る前だ」
「そうだ」
「第七師団が潰れる前だ」
ミュラーは答えなかった。ハイデマンは机を叩きかけて手を止めた。
「お前たちは知っていたのか。あの機体が来ることを」
「知らない。本当に知らなかった」
ミュラーは静かに首を振った。
「帝国が何を作っているかは聞かされていない。うちは弁とポンプを売っただけだ」
「ただ発注の仕様が年を追うごとに妙になっていった」
「耐圧が上がり応答速度が上がり脚部の関節に使うとしか思えない寸法になった」
「こちらも気づいてはいた」
「気づいていて売ったのか」
「売った」
声に迷いはなかった。
「理由を聞かせろ」
「断れば別の会社が売る。帝国の工廠はクリングスに断られたら隣国の業者に頼むだけだ」
「そうなればうちは契約も技術情報も失い帝国は同じものを作る」
ミュラーは茶碗を持ち上げて口をつけた。
「それにうちは共和国にも売っている。お前の開発部にも納めている」
「ISW-02の脚部油圧はうちの製品だ」
ハイデマンは何も言えなかった。
「帝国に売らなければ共和国が有利になる。そう考える人間は社内にもいた」
「だが両方に売っていれば両方の動きが見える。どちらが何を欲しがっているかが分かる」
「それが商売の強みだ」
「強み」
「そうだ」
「それで何人死んだ」
ミュラーは茶碗を置いた。
「お前は開発部長として何人死なせた」
部屋が静かになった。窓の外で台車の軋む音がした。
「……私が死なせたんじゃない」
「私もだ。私たちは部品を作っただけだ」
ミュラーの口調はどこまでも平らだった。責めるでも詫びるでもなかった。
ハイデマンはその平らさのほうが耐え難かった。
「ミュラー。四年前に会社を移った技術者たちはどこへ行った」
「何人か帝国の工廠に出向している。契約の一部だった」
「顔ぶれを見せてくれ」
「出せない」
「出せ」
「出せない。社内規程でな。出せば私は解任される」
ハイデマンは立ち上がった。
「お前の解任は構わん。出向者の名簿だけでいい」
「だめだ」
ミュラーも立った。二人は机を挟んで向き合った。
かつて同じ設計室で図面を挟んで怒鳴り合った頃と同じ距離だった。
「ハイデマン」
声が少しだけ低くなった。
「お前は今も共和国の開発部長だ。うちの納入先の一人だ。私はお前を失いたくない」
「だからこれ以上は聞くな」
「脅しか」
「忠告だ」
ミュラーは扉の脇に歩いていき取っ手に手を置いた。
「弁は持って帰れ。今日の話はなかったことにする。お前もそのほうがいい」
ハイデマンは弁を布に包み直して鞄に入れた。扉の前で足を止め振り返らずに言った。
「ミュラー。ISW-02の油圧に仕込んだものはあるか」
背後で何かが動く気配がしたが返事はなかった。ハイデマンは取っ手に手をかけて扉を開けた。




