Grimoire 17〈封印弁〉
ISW-02の脚部油圧系は、一機分を丸ごと分解するのに二日かかった。
試験棟の床に部品が並べられ、一つずつ番号札が付けられていく。
リーゼは作業台の端に立って全体を見ていた。
ハイデマンは手袋もせずに弁を一つずつ手に取り、重さを量り、刻印を確かめ、元の位置に戻した。
「問題はないな」
三十七個目の弁を置いたとき、彼はそう言った。
「仕様書どおりです。寸法も材質も、納品時の検査記録と一致しています」
「機械としては、な」
ハイデマンは作業台の隅に置かれた小さな箱に目をやった。
脚部の付け根、各関節の油圧を束ねる位置に収まっていた集合弁だった。
蓋に封印シールが貼られ、クリングスの検査印が押されている。
分解せずに交換する部品として扱われていた。
「これだけは開けていません」
「開ける」
「保証が切れます」
「構わん」
リーゼは工具を渡した。ハイデマンは封印を剥がして蓋を外した。
内部には油路の切替弁と圧力センサーが並んでいた。センサーの数が仕様書より二つ多かった。
「余分なものがあります」
「圧力の監視用だと説明は受けていた」
「でも配線の行き先が、制御系ではなく脇の小さな基板に繋がっています」
リーゼは基板を覗き込んだ。指の爪ほどの大きさで、記憶素子が載っている。
電源は油圧系から取っているが外部への出力線はなかった。
「記録だけを取っている、ということでしょうか」
「そうだろう。送信はしていない。だが機体が整備のために回収されれば、誰かが読める」
ハイデマンは基板を外し、手のひらに載せた。
「旋回のたびに油圧がどう動いたか。八本のダンパーがどの順で降りたか。それが全部残る」
リーゼは黙っていた。沈み込みを八つの揺らぎに分解したあの仕組みは、油圧の挙動に最もよく表れる。
敵に渡れば癖の消し方そのものを読まれる。
「ただしこれは配線を見る限り、読み取り専用の端子しかない。回収されなければ意味がない」
「撃破された機体から、ということですね」
「そうだ。ベルク回廊でも、カルム渓谷でも、我々は機体を失っている」
ハイデマンは基板を作業台に置いた。しばらく動かなかった。
「ミュラーは、否定しなかった」
「はい」
「肯定もしなかった。あいつは昔から肝心なことは言わん男だ」
リーゼは基板を見つめた。小さな部品だった。
これのせいで誰が死んだのかを数えようとして、やめた。
「交換します」と彼女は言った。「全機の集合弁を、うちで作ったものに」
「時間がかかる」
「三か月は。出撃は半分に減ります」
「やれ」
ハイデマンは手袋を外して机の上に投げた。
「それから乱数表の運用記録を、整備班にも見せるな。出撃の型を知っている者は少ないほうがいい」
「承知しました」
扉に向かいかけて、リーゼは足を止めた。
「主任。この基板が帝国に渡っていたとしたら、将軍はもう私たちの癖を知っているのでしょうか」
「知っているかもしれん」
ハイデマンは窓の外を見た。
「だが知っていても、乱数表は読めん。あれは癖を消すものではなく、癖を使わせないものだ」
「そうだといいのですが」
リーゼはそれだけ言って部屋を出た。
帝国の首都から南へ百五十キロの工廠に、ヴァイス将軍が入ったのは同じ週だった。
SV-02の第二ロットの検査に立ち会うという名目だった。
将軍は組立ラインの端を歩き、並んだ機体の足回りを一つずつ確かめた。後ろにはコンラートとブラントが付いていた。
ラインの奥に、設計課の事務棟があった。四人ほどが机を囲んで図面を広げていた。将軍が入ると全員が立ち上がったが、その中の一人だけ立ち上がるのが遅れた。
痩せた男で、年は五十を過ぎていた。首に老眼鏡を下げている。
「出向者のバウアーです」とコンラートが紹介した。「クリングス重工から来ました。油圧系の設計を見てもらっています」
「共和国の機体の油圧を、どう思う」
将軍は何気なく尋ねた。バウアーは少し考えてから答えた。
「ISW-02のことでしたら、私は実機を見ておりません」
「見ていなくていい。設計の癖からどう思うかと聞いている」
「……癖」
バウアーは老眼鏡を手に取った。
「ハイデマンは配管を直線で通す男です。曲げるのを嫌います。流体の損失を気にするからです。ですから重心の近くに太い主管を置き、そこから左右へ振り分けます」
将軍は頷いた。
「それはランナーでも同じか」
「同じでしょう。人の設計は根が変わりません。ですが新しい機体では、その癖を意識して崩しているはずです。あの男は賢い。気づかれていると分かれば変えます」
「気づかれていると、分かれば」
「はい」
バウアーは老眼鏡をかけ直した。
「ですから私がここで申し上げたことは、いずれ使えなくなります」
将軍は答えなかった。机の上の図面に目を落としていた。バウアーが引いたらしい配管図だった。主管が重心の位置を通り、左右に分かれている。
その線の引き方に、ヴェルナーの記憶の中のどこかで見た覚えがあった。
どこで見たのかは思い出せなかった。思い出そうとすると頭の奥で例の声が静かに繰り返された。
先手を打たなければ負ける。
将軍は図面から目を離した。
「ご苦労だった。続けてくれ」
事務棟を出ると外は薄暗くなっていた。ブラントが半歩後ろから声をかけた。
「閣下。あの男は信用できますか」
「分からん」
将軍は空を見上げた。
「だがあの男は共和国の人間をよく知っている。それだけは確かだ」




