第2節
2 狙撃
本島東岸、そこは切り立った断崖絶壁。猛吹雪の咆哮が呼び起こしたのは、数十センチ先に広がる純白の地獄のような世界。
そこには、不気味に降り積もった雪ダルマのような塊があった。だが、一瞬の猛吹雪の間を縫い、即座に動き出す。
「狙撃A1ポイントに予定通り到着 これより狙撃準備に移行します」
それはほかでもなく、道警の中でもトップ3に入る腕を持つ狙撃手、梨田であった。
体温を漏らさず赤外線にヒットしないギリースーツ、防寒手袋越しでも伝わるグリップの冷たさ。それは鉄塊を指に激突させているのではと錯覚するほどに…
2018年10月、梨田は当時の北海道警察・銃器対策部隊の年下の相棒の北島とともに、銃器や薬物が絡んだ暴力団を検挙しようと、2人で隠密潜入作戦の計画を練った。
この計画が外部に漏れることもなく、順調に作戦当日の夜を迎えた。
「もう冬だな、北島。 俺の出身は山口でな、実家の山奥は紅葉がすごかった。一面赤やオレンジや… とにかく、俺はいつも目を奪われている。今度連れてってやる。
そういえば、お前指の調子はどうだ? カッターで切れたじゃないか」
「マジすか! 先輩~ ぜひお願いします! 指も、徐々に治ってきていますので、心配は大丈夫ですよ!」
薄暗く凍てつくベンチには、自販機のそれほどおいしくないおしるこが任務のお供だった。
2人の時計は、11の針を過ぎたころだった。
梨田の突入の合図とともに、北島も動き出した。倉庫の中を掃討し、暴力団のトップを逮捕した。
暴力団も一通り落ち着き、梨田は帰路についていた。
(しかし眠い。帰っても暇だ)
そううとうとしていると、後ろから首をつかまれ布を口にあてられた。
気づいたころには、椅子に縛り付けられ拷問されていて身動きがとれない状態だった。一人のスーツ男は言った。
「お前の相棒は警察内部の情報を売るかわりに金をもらっていた。お前が生き残る唯一の道は… 北島を殺し、自分がやったと自首することだ」
広い倉庫に、その声が響き、幾度となく梨田の脳を激しく揺さぶった。
「あいつの命を見放すことはできないー」梨田は、ボロボロの体でも嘘偽りない本心を忘れなかった。
(あいつは金目当ての悪事なんかしない。もしやっていても、絶対にこの手で殺さないー。)
しかし拷問されたにもかかわらず、何も要求せず解放された。 妙な違和感を持ちながらも、普通の生活に戻っていった。
1週間後、梨田の家のポストに、薄い箱が入っていた。
「郵便かな」
開封すると、途端に心音が聞こえ、動悸と悪寒が止まらなかった。手に持った箱を投げ出した梨田の目に映ったのは、血の付いた警察手帳と、カットされた治りかけの指だった。
梨田は疑わなかった。 俺の相棒は、奴らに消されたのだと。
「俺があの時従っていれば、奴らに従っていても北島を助けて逃げだせた」
梨田は、自分の手を見るたび、猛烈な吐き気に襲われるようになった…
北国での過酷な環境、なにより残酷な過去が、梨田を狂わせた。
だが、心をなくすことができるようになり、狙撃の腕前は上達していった。それゆえ、梨田は今回の作戦しかり、銃を握るときはいつも思い出すのである…
「梨田、準備完了。 いつでもいけます」
梨田は、フロストホワイトに舗装されたボルトアクション狙撃銃のスコープを覗く。
十字線の先からは、荒波や猛吹雪を突き抜けて接岸した1隻の工作船。
ライトがすべて消え、闇と化した甲板には、いくつかの影が隊列を作る。
防寒戦闘服に身を包み、旧ソ連製の自動小銃を胸に抱えて動き出した工作員たち。
人の発する赤外線により標的を正確にとらえられる光学機器が、無残に工作員を赤く照らす。
インカムから、冷酷に… どこか背負ってきた覚悟を持つような大野原の声が耳に入る。
「発砲を許可する。 工作船の航行能力を奪え。そしてグラードの隊長格を排除せよ」
梨田は、返答をしなかった。ただ、手順どうりに、引き金に人差し指をかけるだけ…
ボゴッ、というガスの逃げる乾いた音が、吹雪の咆哮にかき消される。
まるで、過去の自分のように…
その瞬間、工作船の機関部から火花が散る。皮肉にも、鮮やかで綺麗なオレンジ色の閃光。冬の闇にひと時の線香花火が出た。そう思った。
梨田が放った徹甲弾が、工作船の機関部を正確に貫いたのだ。
異変を感知した工作員たちは、すぐさま小銃を構える。
しかし、間髪入れずにボルトで次弾を装填し、2発目が目標の胸部に吸い込まれた。
ただ、工作員は音もなく北の大地に沈んでゆく。
ただ一つ、工作員たちは思った。私たちには、破壊が静かに、確実に迫ってきているのだと…




