3話:【流(りゅう)】―― システム統合と帰還プロトコル (各地の知を統合し、追手を撒きながらの列島帰還)
第八章 第3話:対馬、浅茅湾の「光の羅針盤」
帯方郡を脱出した卑弥呼の快速船を待ち受けていたのは、荒れ狂う冬の玄界灘だった。
北から吹き付ける「穴地」の暴風が船体を叩き、冷たい飛沫が視界を白く塗り潰す。霧が海面を這い、東西南北の感覚はとうに失われていた。
「……霧に巻かれたか。これじゃあ、岩礁に突っ込むのも時間の問題だねぇ」
船大工の留が舵を必死に抑えるが、自然という名の「巨大なノイズ」の前では、人の技はあまりにも無力に見えた。懐にある魏の法典が、この嵐の中ではただの重石のように感じられる。
だが、卑弥呼の瞳は死を覚悟してはいなかった。彼女は荒波の向こう、闇に沈む対馬の影を凝視していた。
(与太彦……あんたなら、この『エラーだらけの海』に、どんな回避コードを仕込んでいる?)
その時だった。
対馬の最北端、鰐浦の絶壁の上に、一筋の鋭い「光」が走った。
一度、二度。それは自然の稲妻ではなく、明らかに人の意志を持った規則正しい律動。
「……あの光。あれこそが我が友・与太彦の『算盤の音』だね」
卑弥呼は確信した。それは第五章において、与太彦が対馬を要塞化する際に配置した「集光信号台」だった。かつて呉の地で学んだ鏡の鋳造技術を転用し、数百枚の銅鏡を組み合わせて光を一線に収束させる、古代の光学通信システムである。
光は霧を透かし、卑弥呼の網膜に直接データを流し込んでくる。
ト・ト・ツ――。
一定の周期で放たれる光のリズム。それは、隠された岩礁の隙間を縫う「零の海路」を示すナビゲーションコードであった。
「留、舵を左へ十五度! あの光の『残像』をなぞって進め!」
「無茶だ女王様、そっちは暗礁の……いや、信じやすぜ!」
快速船は、荒波を切り裂き、死の岩礁の間をすり抜けるように突き進んだ。光の羅針盤に導かれ、荒れ狂う外海から、嘘のように静まり返った浅茅湾の懐へと滑り込んだ。
湾内には、与太彦が組織した「対馬警備隊」の快速船が、篝火を焚いて女王を護衛するために待ち構えていた。
卑弥呼は船の舳先に立ち、対馬の土を踏んだ。
魏で手に入れた「法」という論理が、今、与太彦が築き上げた「物理的な壁」と完璧に合致した。その震動が、足裏を通じて全身に伝わってくる。
「……さあ、博多へ。そして、阿知寝」
卑弥呼は西の空を見上げた。その先には、まだ見ぬ天竺の知恵を抱えて孤独に歩む、もう一人の仲間がいる。
「お前の『理』が届くのを、俺たちの国で待ってるぜ」
邪馬台国のエンジニアたちが、ついに同じ大地で結ばれようとしていた。
第八章 完




