2話:【流(りゅう)】―― システム統合と帰還プロトコル (各地の知を統合し、追手を撒きながらの列島帰還)
第八章 第2話:帯方郡の「軟禁」と、汗血馬による物理突破
深夜の帯方郡。静寂を切り裂いたのは、一頭の馬が奏でる、重戦車のような地響きだった。
阿知寝が天竺の極地から、幾人もの「後詰」のリレーを経てこの地に送り込んだ、紅き名馬――汗血馬。その筋肉は、計算し尽くされたバネのように凝縮されていた。卑弥呼は典農部の書記官の服をなびかせ、その背に吸い付くように跨っている。
「……計算通りだねぇ。重力を速度(速さ)に変えるよ!」
卑弥呼は城壁の角、最も監視の目が薄く、かつ「傾斜」が跳躍に適した一点を見定めた。
追走する歩哨たちの叫びが遠のく。卑弥呼は汗血馬の首を叩き、最大加速を促した。馬の蹄が石畳を砕き、そのエネルギーが一点に集中する。
跳躍。
夜の闇の中、紅い残像が城壁の頂を越えた。滞空する一瞬、卑弥呼は眼下に広がる港の全景を、一枚の設計図のように俯瞰した。
城壁の外、着地と同時に彼女が向かったのは、波止場の最奥――「船大工の留」が待機させていた、倭国の快速船だった。
砂塵を巻き上げ、波止場の板を蹴散らしながら、汗血馬は減速することなく桟橋を駆け抜ける。
「女王様、跳べぇ!」
留の怒号。卑弥呼は馬の背から、離岸を開始した船の甲板へと鮮やかに身を躍らせた。同時に、役目を終えた汗血馬もまた、訓練通りに海へと飛び込み、船の横に並走するように泳ぎ始める。
「全員乗船! 帆を張れ、回頭!」
卑弥呼の号令が飛ぶ。
その時、岸壁には「老兵」に化けた司馬懿が、追跡隊の張徳と共に立ち尽くしていた。
司馬懿の目は、船上の卑弥呼を射抜こうとしていた。しかし、卑弥呼は不敵に笑い、懐から一通の書状を取り出して彼に突きつけた。
「司馬懿どの。あんたの懐にあるのは、偽の法典だ。……代わりに、これを置いていくよ」
卑弥呼が岸へ投げ返した筒。それを拾い上げた司馬懿の顔が、初めて驚愕で歪んだ。
そこには、司馬懿が「病欠」として洛陽にいるはずの期間に、この帯方郡で隠密行動をしている証拠が、卑弥呼の署名と共に記されていた。さらに、その末尾には、皇帝・曹丕だけが知る「暗号の印」が添えられている。
「あんたがこのまま私を追えば、この書状は曹丕どのの手元に届く仕組みだ。……独断専行の罪、あんたの首一つで足りるかな?」
これこそが卑弥呼の放った「お灸」――司馬懿の政治的生命を人質に取った、冷徹なチェックメイトだった。
怒り狂う帯守・弓遵が「全艦、追え!」と叫ぶが、港を出ようとした主力艦の舵が、留の工作によって次々と「破断」した。
「……舵が、舵が効きません!」
「馬鹿な、互いにぶつかるぞ!」
港の入り口で、魏の巨大な軍船が絡まり合い、自滅していく。その炎を背景に、卑弥呼を乗せた船は、冬の玄界灘へと滑り出していった。
「さらばだ、司馬懿どの。あんたはそこで、自分の失態の『後始末』に追われるがいい」
司馬懿は、燃える港と逃げ去る船を見つめ、握りしめた卑弥呼の書状を震わせた。
物理的な突破、そして政治的なハック。その両輪で、卑弥呼は完璧に「魏」というシステムから脱出したのである。
第2話 完




