2話【回路】―― 回路図としての倭 (卑弥呼の構想と、阿知寝・与太彦の出会い)
第一章 2話:日田への隠道
「……ったく、女王様も管領様も、人使いが荒すぎるんだよ」
与太彦は、太腿に溜まる乳酸の痛みに顔をしかめながら、腰に下げた水筒を揺らした。
道とは名ばかりの、獣道に近い急勾配。九州の背骨を形成する山々は、侵入者を拒むかのように険しく、湿り気を帯びたシダ植物が足元をすくおうとしてくる。
与太彦は、邪馬台国の宮中に仕える近習である。普段は女王・卑弥呼の身の回りの世話や、官僚たちの連絡役をこなす、いわば「情報の運び屋」だ。身軽さと、どんな相手にも物怖じしない図太さが取り柄だが、今ばかりは自分の職務を呪いたくなっていた。
「国を救う異能? 泥まみれの変人? そんな奴が、こんな湿気くさい山奥で何をしてるってんだ。だいたい、管領様の息子だってんなら、もっとマシな所に住めばいいだろうに」
毒づきながら、最後の一踏ん張りで岩場をよじ登る。
その時だった。
視界を遮っていた鬱蒼たる原生林が、突如として途切れた。
「……え?」
与太彦の足が止まった。
目の前に広がっていたのは、それまでの険しい山道からは想像もつかない、完璧な「均衡」を保った空間だった。
日田盆地。
それは、神が山々の頂を掬い取って作ったような、巨大な「器」であった。
四方を標高の高い山嶺に囲われ、外部からの風を遮断したその底には、深い霧が雲海のように溜まっている。三本の大きな河川が盆地の中央で合流し、一つの巨大な血管となって西へと流れ出していく。
与太彦は、高台からその情景を凝視した。
阿知寝の父である管領が言っていた言葉を思い出す。
『あそこはただの盆地ではない。熱を溜め、水を回し、外からのノイズを排して新しい理を練り上げる、天然の炉なのだ』
「炉……か。確かに、下界とは空気の密度が違うな」
与太彦の目には、その地形がまるで「何かを溜め込むための巨大なコンテナ」のように見えた。沿岸部の喧騒や、大陸からの殺伐とした軍靴の音も、この幾重にも重なる山々という名の防壁に阻まれ、ここまでは届かない。
外界が三国志の戦乱という過負荷で焼き切れようとしている中、この場所だけは静寂を保ち、着々と「次の演算」のためのエネルギーを蓄えている――そんな不気味なほどの合理性を感じさせた。
「……で、その『演算』の主はどこにいるんだ?」
与太彦は視線を盆地の底、川が合流する付近の泥濘へと向けた。
そこには、およそ貴人の息子とは思えない、泥にまみれて這いつくばる奇妙な男の姿があった。
「いた……あれか。管領様が言ってた『不遜な息子』ってのは」
与太彦は溜息をつき、膝の汚れを払うと、盆地の底へと続く斜面を駆け下り始めた。
列島の設計図を書き換えるという、変わり者との出会いまで、あと数百歩。




