第一章 1話【回路】―― 回路図としての倭 (卑弥呼の構想と、阿知寝・与太彦の出会い)
まえがき
はじめまして。本作をお手に取っていただき、ありがとうございます。
舞台は三世紀の倭国、いわゆる邪馬台国の時代です。
しかし、ここに描かれるのは、教科書にあるような古いお話ではありません。
もしも卑弥呼が、列島を一つのシステムとして捉える「エンジニア」だったとしたら?
もしも遣魏使が、大陸の技術を盗み出すための「ハッカー集団」だったとしたら?
算木を叩き、情報の流れを読み、一国の運命をプログラミングしていく。
そんな「サバイバルエンジニアリング」の物語をお楽しみいただければ幸いです。
16日より、順次投稿してまいります。
第一章 1話:三世紀の脈動
三世紀初頭。
東アジアという名の巨大な「盤面」は、かつてないほどの過熱状態にあった。
大陸では魏、呉、蜀の三つの極が、互いの領土という名の資源を奪い合い、果てしない演算――すなわち戦争を繰り返していた。その膨大なエネルギーの放電は、波濤となって東の海を越え、倭の列島へと押し寄せていた。
当時の列島にとって、大陸との接続は「生存」そのものだった。
その命脈を握るのが「鉄」である。
農具となり土を拓き、武器となり外敵を退け、船の釘となり海を渡る。鉄の流量こそが、その国の文明の深度を決定していた。
列島の「心臓」は、九州北部の沿岸部にあった。
半島から渡ってくる鉄材。それをいち早く受け取り、加工し、内陸へと流す。その脈動によって倭国というシステムは維持されてきた。
だが、その心臓は今、目に見えぬ「血栓」によって窒息しかけていた。
沿岸を支配する豪族たちが、大陸との貿易路という名の「配線」を独占したのだ。
彼らは鉄を中抜きし、情報の流量を絞り、自らの富という名の余剰電力を溜め込むことで、肥え太っていった。結果として、内陸への血行は滞り、列島全域の成長は停止していた。
その滞留を、誰よりも痛感していた場所がある。
九州の背骨を貫く筑後川を遡り、険しい山々に囲まれた「器」――日田盆地である。
四方を高い山々に守られ、幾筋もの河川が流れ込むその地は、本来ならば外敵のノイズを遮断し、内側で技術と熱量を増幅させる「独立した演算ユニット」になり得るポテンシャルを秘めていた。豊かな水と木材、そして守りの固さ。
しかし、沿岸の血栓によって「鉄」という名の電力が断たれた日田は、ただ静かに霧に沈む、忘れられた盆地に過ぎなかった。
邪馬台国の奥深く、薄暗い祭祀の広間で、一人の女性がその「沈み」を感じ取っていた。
女王・卑弥呼である。
彼女の前に跪いているのは、国の実務を一身に背負う管領・阿知であった。
「管領よ。風が止まって久しい。このままでは、列島は内側から腐り落ちるぞ」
卑弥呼の声は、鈴の音のように澄んでいたが、その奥には抜き差しならぬ危機感が滲んでいた。
「……御意に。沿岸の豪族たちは、宰相・磐根と結びつき、鉄の流れを完全に制御しております。私の古い法では、もはやあの強固な利権の回路を焼き切ることはできませぬ」
阿知は深く首を垂れた。彼は誠実な統治者であったが、それゆえに、既存のシステムの中に組み込まれた「不正」を、内側から正す限界を知っていた。
「法が通じぬなら、理を変えるまでだ。阿知よ、お前がかつて言っていた、あの『異能』の話……あれは真か」
阿知の肩が、微かに震えた。
彼は迷うように言葉を濁したが、やがて決意を固めたように顔を上げた。
「……一人、おります。日田の山奥で世俗を捨て、地形を数式として読み解き、列島の設計図を書き換えようとしている不遜な息子が。あれの『数理』ならば、あるいは……」
「不遜、結構。この詰まりきった国をハックするには、それくらいの毒が必要であろう」
卑弥呼の瞳に、かすかな光が宿った。
「与太彦を呼べ。その男を、泥の中から引きずり出して参れ」
これが、倭国という名の古いシステムが「再起動」を開始した、最初の信号であった。
あとがき ご一読いただきありがとうございました。
「歴史を動かすのは武力ではなく、情報の最適化である」
そんな思いを込めて、阿知寝たちの旅を描きました。
彼らが大陸で得た「知」が、どのように今の日本(列島)の礎になったのか。その断片を感じていただけたなら、作者としてこれ以上の喜びはありません。
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