第8話:お互いに自己嫌悪を打ち明け合ってしまった
二十分以上はそうして泣いていただろうか。ひくひくと肩を震わせ、フィリアは私の膝の上から一向に顔を上げず、丸まったまま動こうとしない。
やはり、無理をさせすぎてしまった。これ以上連れ回すのは、保護者代わりとして失格だろうか。
「ごめん、無理をさせちゃったね。今日はもう、帰ろうか……」
そう告げた瞬間、彼女の身体がびくんと跳ねた。唐突に顔を上げ、真っ赤に腫らした目で私を見つめると、泣き崩れそうな細い声で呟いた。
「いやだ……いやだよ……。お、お願いだから……私を、嫌いにならないで……っ」
話が一向に見えてこない。私がフィリアを嫌いになる? なぜそんな話になるんだ。
「嫌いになったりなんて、絶対にしないよ」
「本当に……? こんなにみっともなくて、迷惑かけて……嫌われても仕方ないのに……」
縋るような目で私を見つめるフィリアは、怯えきっていた。
「むしろ、私が君に迷惑をかけてしまったんじゃないか。体調が悪いのに連れ出して、本当に申し訳ない」
私の言葉に、フィリアはふるふると首を振った。
「迷惑なんかじゃない……。今日は先生とお出かけできるのが、とっても嬉しくて、楽しみで……でも……うわぁああああん!」
また私の膝の上に頭を落とし、泣き崩れてしまう。私は彼女を不安にさせないよう、乱れた髪を優しく撫で続けた。
今度は、それほど長くは泣かなかった。ひっく、ひっくと肩を揺らしながら、一生懸命に深呼吸をして、平静を取り戻そうとしている。
「……どうして泣いてしまったのか、理由を聞かせてもらってもいいかな?」
彼女はゆっくりと顔を上げ、恐る恐る私の目を見て言った。
「絶対に嫌いにならないって……また月曜日から先生のところに通っていいって、約束してくれたら……話します……」
「ああ、約束するよ」
「本当ですよ……?」
「うん、大丈夫だ」
フィリアは大きく一つ深呼吸をすると、また視線を落としてポツポツと話し始めた。
「えっと……まず、吐いちゃったのは、ただの馬車酔いです。別に体調が悪いとかじゃなくて……いや、でも、やっぱり体調は悪くて……」
また泣き出しそうになったので、私は背中をさすりながら、できる限り穏やかに促した。
「昨日、学校から帰って、今日のために色々考えたんです。どんな服を着たらいいか、何を話したらいいか、いっぱい考えて……でも、なんだかしっくりこなくて。ずっと考えていたら朝になっていて……先生を待たせちゃいけないと早めに家を出たら、今度は早く着きすぎちゃって……制服じゃなくてもう少し服を選べたんじゃないかって後悔して、戻ろうかとも思ったけど、その間に先生が来て待たせちゃったら悪いし……ずっと立って待っていたら、頭がぐるぐるしてきて……こんな状態で会っても、みっともないって思われるのが嫌で、やっぱり帰ろうって思ったけど、楽しみにしていた予定がなくなっちゃうのも悲しくて、それもできなくて……そのうち先生が来ちゃって、それで、こんなことに……」
語るほどに声は小さくなっていき、その瞳にまた涙が溜まり始める。
「そっか。フィリアは、一生懸命頑張ったんだね。うん、分かったよ」
「……はい……私……頑張りました……。頑張ったけど、上手くできなくて……だから、私はダメなやつだって……」
また、ぼろぼろと涙がこぼれ出す。
私はなんと答えるべきか悩んだが、不思議と焦りはなかった。彼女が何に悩み、何に打ちのめされていたのか、その一端を知ることができたからだ。どれほどの勇気を振り絞って今ここにいるのか、その思いは十分に伝わっていた。
「フィリアは、人と話したり付き合ったりするのは、確かに人より少し苦手なのかもしれない。でも、苦手なことは苦手なまま、ダメな自分はダメなままでいいのか……その答えは、実は先生も持っていないんだ。先生だって、他の人が普通にできていることができなかった挫折を味わって、それでも一日一日、必死に頑張っている一人なんだから」
学部時代、下に見ていた同僚たちが次々と論文を書き上げる中、行き詰まって引きこもってしまった苦い過去。エリアスとして、就職した大神殿をわずか一年で去り、上司に「もう少しやりようがあっただろう」と呆れられた記憶。それらが胸をよぎる
「少なくとも今日、フィリアは逃げ出したい気持ちを抱えながら、こうして真面目に自分の思いを語ってくれた。今は苦い思い出でも、この経験は君を裏切らない。先生は、君の頑張りを知っている。一生懸命なのはちゃんと伝わっているよ。先生は、君を馬鹿にしたり、笑ったり、嫌いになったりなんて、絶対にしない」
それは、かつて挫折の中にいた自分自身が、誰かに言ってほしかった言葉だったのかもしれない。
「苦手なこと、できないことばかりを見続けるのは、とても辛い。頑張っているのに進歩が小さくて、余計に苦しくなる……その気持ちはよく分かるよ。でも、フィリアは誰よりも真面目に勉学に取り組んで、できること、楽しいことで、もう素晴らしい成果を出しているじゃないか。だから……苦しいことは、少しずつ、気楽にやっていけばいいと思うんだ」
フィリアはいつの間にか泣き止み、真剣な眼差しで私の言葉に聴き入っていた。
「さあ、仕切り直しだ。これから、気楽にいこう。眠たいなら膝を貸す。喉が渇いたならお茶をしよう。汚れた服が嫌なら、一緒に新しいのを選びに行こうか。どうかな?」
私が笑顔で問いかけると、フィリアは今日初めて、やっと小さな笑みを浮かべた。
正午を告げる鐘の音が街中に響き渡る中、「……はい。お願いします」という彼女の透き通った声が、晴れやかな空へと優しく溶けていった。




