第7話:初めてのお出かけは散々な事になってしまった
時刻は午前十時五十分。場所は待ち合わせの噴水広場。
雲一つない快晴の青空とは対照的に、広場の片隅で猫背になって佇む少女の表情は、どんよりと暗く曇っていた。髪はいつも以上に丁寧に整えられているが、そこからのぞく瞳はどこか虚ろだ。休日だというのに制服姿の彼女は、近づく私の気配にも気づかず、固まったまま動かない。
「……ごめん、待たせちゃったかな」
声をかけると、彼女はびくんと肩を震わせ、恐る恐る顔を上げた。そして途端にパニックに陥る。
「しぇ、せんせー……おは、おはよ……いや、十一時だから、もう、こんにち……は……あれ、あれ……?」
私と目が合った瞬間、彼女の瞳からは大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。最近見せてくれていた明るい笑顔は消え、そこには出会った頃の、自分に全く自信を持てない「あの頃のフィリア」がいた。
逃げ出しそうなほど怯えた表情。
あまりの変貌ぶりに胸が締め付けられ、私は腰を落として目線を合わせた。
「フィリア、大丈夫かい? 何か嫌なことでもあった?」
彼女は力なく首を振る。
『もしかして、私と会う前に、いじめの主犯格たちと遭遇してしまったのだろうか』
嫌な予感がよぎり、私は周囲を警戒しながら、客待ちの馬車を急いで探した。
「大丈夫だ、おいで」
彼女の手を引いて手近な馬車に乗せ、行き先はここから離れた大神殿付近の街を指定した。かつての職場だったあそこなら見知った食事処も多いし、何よりフィリアを知る生徒に会う心配がない。
馬車に揺られる間、フィリアはずっと俯いたままだった。
「……誰か、いじめっ子たちと会ったりしたのかい?」
彼女は小さく首を横に振った。
一体、何が彼女をここまで追い詰めているのか。
「もしかして、熱があるんじゃ――」
心配になり、額にそっと手を当ててみたが、熱はなさそうだ。彼女はまた微かに首を振った。
会話も続かず、フィリアの顔色は目に見えて青ざめていった。
「フィリア、本当に大丈夫……?」
返事はない。ただ下を見て固まっている彼女を、私は困り果てて見守ることしかできなかった。
――その時だった。
突如としてフィリアが顔を上げ、御者へと叫んだ。
「とめてくださいっ!」
馬車が止まるやいなや、フィリアは物凄い勢いで外へ飛び出した。道端へ駆け込み、激しく嗚咽を繰り返す。嘔吐しているようだが、幸い固形物はほとんど出ず、透明な粘液がわずかに溢れる程度だった。私は慌てて駆け寄り、細い背中をさすった。
何度か繰り返し、ようやく呼吸に落ち着きを取り戻す。ハンカチで口を拭いてあげたかったが、あいにくそんな殊勝なものを持ち歩く習慣はなかった。「紳士たるもの、ハンカチくらい持ち歩きなさい」という、この世界の母の忠告が痛いほど胸に突き刺さる。
仕方なくシャツの袖口で彼女の口元を拭い、近くの花壇の縁に座らせた。御者に運賃を支払い、この世の終わりのような顔をしたフィリアの隣に腰を下ろす。
「……えっと、大丈夫……じゃないよね……」
私の情けない言葉を聞いた瞬間、彼女は人目も憚らず、大きな声で「うわーん」と泣き出した。私の腰のあたりに必死に腕を回し、膝の上に小さな頭を預けて泣きじゃくる。原因も分からず、どうして良いかも分からない。私はただ、しんどそうな背中を、泣き止むまで優しく擦り続けることしかできなかった。
どこまでも高く、青々とした空の下。私の太ももだけが、まるで雨に降られたかのように彼女の涙で濡れていた。その温度が、ひどく不思議な感覚として記憶に残った。




