第75話:拘束が長引いてしまった
私は憲兵に拘束され、その後、幾度となく執拗な事情聴取を受けた。
そこでフィリアが大聖女への任命、及び、正式な婚約発表としてのお披露目式の直前に姿を消してしまったこと、そして神聖学準備室に立ち寄った痕跡があることを初めて知らされた。
「何か企んでいたことはないのか?」「心当たりはないのか?」「どこに匿っているんだ?」といった、的外れな質問を何度も繰り返されたが、私にはまったく身に覚えがないし、何も答えられないという不毛なやり取りが続くだけだった。
ただ、その冷たい取り調べの中で、フィリアが王太子妃になることを拒み、私のいる場所を目指して逃げ出してくれたのだと知った。
そのことで、私の胸の奥には、正直に言ってどうしようもない嬉しさと、救われたような思いが広がっていた。
こんなダメな私であっても、まだあの子と一緒にいられる未来が残されているのではないかと、愚かにもそう思ってしまったのだ。
狭い留置所の、硬いベッドと薄い布団の上はとにかく寝返りが打ちづらく、私は一晩中、答えの出ないことばかりを暗闇の中で考えていた。
フィリアは今、無事で見つかったのだろうか。
この先、フィリアが王太子妃ではなく、私と一緒に生きる未来なんてものが本当にあり得るのだろうか。
もしまた会えたなら、私はあの子にどんな言葉をかけてあげればいいのだろう。
――拘束されてなお、私は相変わらず自分の大好きな女の子のことばかりを考えていた。
翌朝、私は面会室に呼び出された。鉄格子の向こう側には、驚くほど血の気の引いたジュリアン王子の姿があった。
「エリアス先生、この度は……本当に、本当に申し訳ありませんでした。王太子として、フィリアを妃に迎えようとした身として、これ以上ない私の失策でした」
普段は為政者としての絶対的な余裕を崩さないあのジュリアン王子が、ただただ低頭平身、一介の教師である私に向かって深く頭を下げて謝罪したのだ。
「一体、何のことでしょうか。外で今、何が起きているのですか」
「昨日、エリアス先生の身柄を拘束させたのは、私の指示が発端です。単純に貴方を私のもとに確保しておけば、貴方に依存しているフィリアは自動的にこちらへ戻ってくると、そう踏んでいたからです。……ですが、私の想定を遥かに超えて、事態があらぬ方向へと暴走してしまいました。その結果、エリアス先生をすぐに釈放することが叶わなくなってしまったのです」
「どういうことでしょう?」
「ご存じかもしれませんが、神聖学準備室の付近から、フィリアのものと思われる足跡が多数確認されており、そこでその足跡がぷっつりと消えているのです。さらに、彼女の女子寮の自室に何者かが侵入した形跡や、彼女が買い物したと思われる食材の袋が道路上に落ちていたことまで判明し……今に至るまで、あの子の行方が掴めていません」
「フィリアは……まだ、見つかっていないのですか」
「はい……式典の直前に、私たちの目の前から突如として姿を消して以来、彼女の足取りは一切掴めていないのです……」
私はにわかに胸が騒ぎ、激しい心配に襲われた。だが、フィリアのあの規格外の魔法の力を冷静に考えれば、何かの事件に巻き込まれたというよりは、必死に逃げてきたものの、行き場をなくしてどこかで一人で立ち尽くしているのではないか、というなんとなくの推察はついた。
「……なんとなく、状況は掴めました。教えていただき、ありがとうございます」
「いえ、本当にまずい問題はここからでして……。……最悪なことに、新聞に抜かれました。式典直前に大聖女が消えた。しかも、貴方の名前つきで。式典の直前に大聖女を唆して拐った不貞の教師として、名指しで書き立てられてしまったのです」
それを聞いた瞬間、私は思わずいても立ってもいられなくなった。
「私の悪評などはどうでも構いません。ですが、これではフィリアまで世間から悪く言われてしまう。彼女の名誉をなんとかしてあげないと、それこそ――」
私はそこで、はっとして口をつぐんでしまった。
国の威信に関わるからと言えば、それは私が彼女を手放したと認めることになってしまう。一方で、フィリアが私のところに逃げてきてくれたことを心から喜び、共に歩む未来を望むなら、私だけでなくフィリアもまた、教師の不貞に晒された少女という悪評からはもう逃げられない。
どちらの道を選んだとしても、私には到底、満足のいく結末など用意されていないのだと、そう思うとこれ以上の言葉が出てこなかった。
「率直に申し上げて、今のこの状況は我が国の危機であると認識しています」
「国の危機、ですか? 王太子妃の候補が消えたことで、王家の威信に関わると?」
「いえ。もしエリアス先生がこの不当な拘束によって国を恨めば、それをトリガーにしてフィリアがこの国全体に牙を剥くでしょう。もちろん、だからといって今この状況で安易に貴方を罰すれば、それこそ彼女が何をしでかすか分からない」
「まあ……フィリアなら、本当にそうなってしまうかもしれませんね」
「だからこそ私は可能な限り、エリアス先生、貴方を素早く釈放し、名誉を回復させ、何としても貴方の協力を得なければならない立場なのです。ですが……正直に言って、いくら王太子である私をもってしても、一度熱を帯びてしまったこの状況を今すぐどうにかするのには、少し時間がかかります。だからまず、私は一人の人間として貴方に頭を下げねばならないと、真っ先にここへ来た……そういうわけです」
「なるほど……」
王子は本当に申し訳なさそうな顔で、鉄格子の向こうで私に何度も頭を下げ続けた。
「少なくとも今の私ができることは何でも協力します。貴方の名誉も、フィリアの名誉も、できる限りの回復に努める。そのことだけは必ずお約束します」
私は、自らの唇に少しだけおかしな笑みが浮かんでいくのを止められなかった。あまりにも、今置かれているこの状況の因果が歪で、滑稽だったからだ。
「つまり、私はフィリアが原因でこうやって留置所に拘束されていて……そして同時に、フィリアという存在によって、王太子が私を釈放してくれる、ということですか」
「……皮肉にも、そういうことになりますね」
「まったく、私の一番弟子は、どこまでも手間がかかる子だ」
思わず、このあまりにも歪な状況こそが、いかにもフィリアと私らしくて、胸の奥からおかしな笑いが溢れてしまったのだ。
「……エリアス先生、なぜ笑っていらっしゃるのですか?」
「いや、失礼しました。そうですね……。久しぶりにあの困った弟子に振り回されているのが、どこか、嬉しいのかもしれません」
私は一人で奇妙なツボに入ってしまい、けらけらと低く笑い声を上げてしまった。
「さて。……すみません、殿下。改めてお伝えしますが、私は自分自身の名誉回復など、もはや望んではいません。単純に、私の教え子が、笑っていてくれる。私にとってはそれがすべてです。弟子が笑っていないのに、私だけが社会的な名誉を得ることなど、絶対に望まない」
私は、これまでにない真剣な目で王子を見据えて言い放った。
「つまり……フィリアが国を捨てて逃げ出すこの状況において、貴方はこの国すべてを敵に回す覚悟があると、そう仰るのですか」
「いえ……。正直に言って、私にはそんな大層な覚悟なんてありませんよ。ですが……先日、フィリアのお母さんであるカナリアさんに、激しく叱責されてしまったのです。フィリアがあんなに苦しんでいるのに、誰も、あの子の本当の中身を見てくれていない、と」
「……それは、つまり?」
「つまり、私もまた加害者だったんですよ。一番近くにいながら、本当のフィリアの不器用さを見てあげられなかった。逃げ出してしまうくらいに追い詰められていたのに、私はフィリアに何もしてあげることなく、自分だけ名声を得ようとしていた」
「なるほど……」
「だから、フィリアの笑顔を犠牲にしてまで、名声なんていう上等なものを私が獲得してはいけないんです。フィリアの犠牲の上に成り立つ名誉を押し付けられるくらいなら、私は喜んで、不貞の教師としての悪名を選びます」
「どれだけ世間から貴方が悪く言われようとも、彼女が笑っていられるならそれでいい、と?」
「はい。だから、ジュリアン王子。貴方もどうか、フィリアを聖女という便利な道具ではなく、一人の不器用な女の子として見てくださるとありがたいです」
「善処はします。ですが、一人の男である以前に、私はこの国の王太子であり、フィリアの持つ強大な力を適切に管理・運営する義務がある立場です。先生には申し訳ないが、そこだけは理解してもらいたい」
「もちろん。フィリアが笑って過ごせている限り、私は国に仇をなすつもりはありませんし、彼女をそそのかして国を滅ぼさせようとする気も絶対にありません。それだけはお約束しますよ」
私がそう告げると、王子は本当に困り果てた顔をしたのだった。
「エリアス先生は、やはりフィリアが私の王太子妃になることに対して、反対なのでしょうか」
「そうですね……。教師としては賛成ですが、一人の男としては反対かもしれませんね」
「貴方は今、教師なのですか? それとも、一人の男なのですか?」
「それが簡単に答えられたら、私たちは今頃、こんな鉄格子の向こうとこちら側で会話なんてしていませんよ」
私が自嘲気味に苦笑いすると、王子もまた、諦めたように苦笑いを漏らした。
「まったく、大変ですね、お互いに。私としては、先生には教師であってほしいのですが」
「……それは、フィリア次第ですよ」
「であるなら、ますます私の立場は悪くなりますね」
王子はそう言うと、深い溜め息を交えながら静かに椅子から立ち上がった。
「改めて、私の方で可能な限り早くエリアス先生が解放されるよう、手続きの努力は尽くします」
「ありがとうございます」
「もし、そのときになってもまだフィリアが見つかっていなければ……先生、貴方の手で彼女を捜索していただきたい」
「わかりました」
「それでは。改めて、このような最悪の状況を招いてしまったことを、この国の王太子として、深く謝罪させてください」
私は苦笑いを返しつつも、この鉄格子を挟んだ奇妙な会話を通じて、自分の胸の内のどうしようもない複雑な気持ちに、ほんの少しだけ整理をつけられたことに気づき、心の中で静かにジュリアン王子に感謝した。




