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第69話:生徒たちにからかわれてしまった

「はい、これがリリィさん、ニーナさん。それと最後に、セレスティーナさん」

手渡した宿題のプリントの結果を受け取るリリィとニーナの二名は少し表情が明るいが、セレスティーナの顔はどんよりと曇っていた。


中等部の神聖学研究会。放課後のこの時間、私は一部の生徒たちに数学を教えている。

かつてフィリアが使った規格外の魔法の源泉、その知識の正体を知りたいと乞われ、基礎的な数理を教え出したのがきっかけだ。

そしてそこには現在、高等部から聖女セレスティーナも特例として参加している。


事前に渡していた宿題は、確率の基礎問題だった。ちょっとした確率の掛け算や条件付き確率、組み合わせの数。

まだ始めて間もないセレスティーナが解けないのは仕方のないことだ。

私が書いた解説ノートを見て適当に解いてきて、と雑に渡しただけの宿題だったのだから。……分かってはいるのだが、同じ『聖女』という区分である以上、どうしても最初の一番弟子と比較してしまう自分がいた。


「セレスティーナさんは、分数に対してどんなイメージを持っていますか?」

「え? 分数ですか? ええと……三分の一、とか。あとは、なんかひっくり返して掛ける、とかぁ……。うーん、正直、あまり得意じゃないです」

「では質問だけど、分数の割り算は、なぜひっくり返して掛け算すると答えを求めることができるのか、その理由を説明できるかい?」

「え? なんでって言われても……。学校でそうやると解けるって習っただけで……ええ? うーん……」


セレスティーナはノートの余白を見つめたまま、完全に考え込んでしまった。

「まあ、そうだよね。まずはそこから始めようか」


フィリアなら、あの解説ノートを渡したら食い入るように文字を追い、翌日には質問を十個以上も携えて私のもとへ聞きに来たものだ、と懐かしく思い出してしまう。

セレスティーナをフィリアのような魔法が使えるように指導してほしい、とジュリアン王子からは頼まれている。

だが、正直に言って十年かけてやっと少し形になるかどうか、という気の遠くなるようなロードマップしか見えなかった。

今の彼女たちの習熟度で、三角関数や複素平面での解析論にまで辿り着くにはあと何年かかるのだろう。私は胸の中でそっとため息をついた。


「それにしても、フィリアお姉さまが、本当に王太子妃になってしまうなんて……」

「貴族社会を、ご自身の知性と魔法の力だけでのし上がったなんて。本当に憧れちゃいます」

「フィリアちゃん、本当に凄いわよね。でも……」


不意に、三人の視線がどこか不穏な温度を孕んでこちらを向いた。


「……どうかしましたか?」

「エリアス先生は、本当にそれでいいんですか? 王子様に、フィリアお姉さまを取られてしまって」

「取られるも何も、私にはどうしようもできないですよ。彼女は今や国の聖女で、私のような一教師の手の届かない存在ですから」


私は努めて苦笑いを浮かべながらそう返した。

しかし、自分自身の中でフィリアへの恋愛感情を明確に認めてしまった今、心の中は正直に言って少しも穏やかではなかった。

以前は「もっと広い世界に羽ばたいてほしい」などと綺麗事を思っていた。

けれど、いざ本当に手が届かなくなってしまうと、胸に残るのは後悔と嫉妬ばかりだった。


「お姉さまが先生のこと大好きなのは皆知ってますし、先生だって知らないとは言わないですよね」

「私も以前、フィリアちゃんから直接聞きましたよ。ずっと片思いなんだって。実際のところ、先生はどう思っているんですか?」

「……知っていても、それを知らないことにするのが、大人であり教師というものです」

大人の理屈を盾にしてその追及をかわそうとしたが、そんな誤魔化しは年頃の乙女たちには一切通じないようだった。


「大人って、都合がいいですね。私はフィリアちゃんがかわいそうだと思います」


セレスティーナの容赦のない一言が、私の胸の奥にぐさりと突き刺さる。


「ええ。お姉さまの先生への真っ直ぐな想いを考えると、私まで胸が痛みます」

「本当に。先生は知っていますか? 私たち、本当は先生とこうやって親しくお話しするのもダメだって言われていたんですよ。昔、お姉さまに凄く睨まれて叱られたんですから」

「まあ、本人からなんとなくは聞いていましたが……。でも、私にはもうどうしようもないですよ。彼女はもう、遠い雲の上の聖女様です」

「えー。一応、私もその聖女様ですよ、一応。その聖女様の私が今ここにいるんだから、別にフィリアちゃんがここにいたっていいじゃないですか」


セレスティーナは、少し私をからかうような悪戯っぽい視線を向けてきた。

それに私は何と答えていいのか分からず、ただ曖昧に苦笑いを返すことしかできなかった。


「あ、そうだ。私、今週末に王城で行われる、フィリアちゃんのお披露目会を兼ねた社交界に来るように言われているんですよ」

「ええ! セレスティーナお姉様、羨ましいです!」

「いいなぁ、私にも聖女の力があれば……」

「いや、お姉さまって呼ばれるの……なんだか慣れないなぁ」

「フィリアお姉様が言い出したんですよ、ここでは先輩のことをお姉さまと呼ぶようにって」

「……それはそうと、先生は出席されないのですか?」

「一応、私のところにも招待状は届いています。出席はするつもりですよ」


それを聞いた瞬間、セレスティーナはにやにやと意地悪な笑みを浮かべて身を乗り出してきた。

「ねえ、エリアス先生。もしフィリアちゃんを奪い去るって言うなら、私、喜んで協力しますよ?」

「馬鹿なことを言わないでください。もしそんなことをして逃げ出したら、私は国から指名手配されますし、それを手助けした貴女だってただじゃ済みませんよ」

「冗談ですよ、冗談。でも、本当に好きなら、それくらいのことをしでかす覚悟があってもいいのかなって、ちょっと思いました」


私は小さくため息をつきながら、彼女のその突飛な冗談を、胸の奥で本気のものとして静かに噛み締めてしまっていた。

「そうですね……それくらいは覚悟しないとダメかもですね」


私の視線の変化を敏感に察したのだろう。三人はいっせいに顔を見合わせると、今度は確信に満ちた目をこちらに向けてきた。

「……あれ? もしかして先生も、お姉さまのことを?」

「まんざらでもない、って感じですか?」

「ですから、馬鹿なことを言わないでください。私とフィリアは、あくまで教師と生徒です。それ以上の話は勘弁してください」


女子生徒たちのどこからともなく湧いてきた恋話は、アラサーに差し掛かろうとしている身にとっては少し――いや、だいぶ重たくて、心をかなり鋭く抉られてしまった。

自分自身のこのやり場のない気持ちを、一体どこへ向ければよいのか。正直に言ってまったく答えが見つからないまま、ひどく心が疲弊していく放課後の部活動の時間だった。


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