第67話:(コーデリアSide)どうしようもなく失ってしまう恋の話
私は友人のフィリアのために、王城へと足を運んでいた。
ここ半年ほど、私はフィリアとほとんど言葉を交わせていなかった。
『白鹿の女神』として名が広まってから見つけることも難しくなり、最近は大神殿や騎士団に呼ばれることが増え、学園で姿を見かけることすら珍しくなっていたのだ。
大切な友人がこうして大活躍するのは凄いですし、純粋に嬉しいのだけれど、まともにお話すらできなくなってしまったことは、少しだけ寂しいなと感じていた。――そんな矢先のことだった。
しばらく会えないでいるうちに、フィリアは昨日の今日で突如『聖女』として祀り上げられ、あろうことか今朝には王太子妃の候補としてお城に迎えられたらしい。
私の祖父、ローゼンベルク大公から「王城の部屋で一人寂しくしている聖女フィリアのお話し相手になってやってほしい」と直々に依頼されてここへ来たのだけれど……。
正直なところ、今の彼女に対して一体どんな顔をして、何を話せばいいのか、少しだけ戸惑っていた。
重々しい扉を開けてフィリアのいる部屋に入ると、彼女は静かに読書をしていて、それは私のよく知る、いつも通りの不器用な彼女の姿そのものだった。
「フィリア、お久しぶりですわ」
「あ……コーデリアちゃん。その、お久しぶり……です」
私が声をかけると、彼女はそっと本を閉じてこちらを見つめてくれた。一応、まだ友達としては認識してもらえているようで、ほっと胸を撫で下ろす。
「フィリア。その……今朝、王子様から求婚されて王太子妃の候補になったって聞いて。その、友人として、おめでとうと言うべきなのかしら」
「いえ……。まだ正式に決まったわけではないですし、なるつもりも、その、絶対にないです……」
そう呟くと、フィリアは困ったように眉を下げて、弱々しく笑ってみせた。
「そうよね。フィリアは昔から、ずっとエリアス先生一筋だったものね。急に王太子妃なんて言われても、ぴんと来るはずがないわよね」
「はい。私は、何があっても先生が一番です」
そう言い切る彼女の瞳は、私のよく知っている、ただ一人の男性に恋焦がれる等身大の女の子のものだった。
「今日は、フィリアのために美味しいケーキを持ってきましたの。二人で一緒に食べましょう」
「は、はい……。ありがとう、コーデリアちゃん」
やっぱり、どこか申し訳なさそうに、困った様子でぱっと表情を綻ばせるフィリア。
侍女の方にお茶とお皿の準備をしてもらい、私たちはテーブルを挟んで向かい合って座った。そこからは、この半年間の間でずっと話したかった様々な出来事を、お互いに手探りで話し始めた。
「フィリア、学校でも新聞でも聖女の奇跡だって大騒ぎになっていたけれど……。やっぱり貴女って、本当にとんでもなく凄かったのね。ちょっとびっくりしちゃったわ」
「ええと……その、私はそんな大層なものじゃないですよ。多分、新しく高等部に転入してきた人の方が、ずっと本物の聖女様なんだと思う」
「そうなの? 確か、セレスティーナ・ブランさんでしたかしら」
「はい……。私なんかとは違って、とっても立派で強い精霊さんたちにたくさん囲まれているみたいで、楽しそうに会話されてました」
「へえー……。私からしたら、フィリアだって信じられないような素晴らしい魔法をたくさん使っているように見えるけれど、世の中は広いのね」
「はい……。私の使っているものは、ちゃんとした魔法というよりは、独自の仕組みのものなので……」
「ふふ、そうなのね。でも、その唯一無二の力を国に認められて、王子様から求婚されたのでしょう? それだけでも十分に凄いことよ」
「はい……。ええと、だとしても、私なんかが王太子妃なんて、できるとはとても思えないです……」
『確かにそうね』と、いつもの調子で同意しかけて、私は慌てて口をつぐんだ。
いくら人見知りで、不器用で、世間話が苦手な女の子だからと言って。私から見れば、フィリアは途方もない才能を秘めた天才であり、何よりも私の自慢の大切な友達なのだ。
だからこそ、これほどお城の環境に怯えている彼女に、ほんの少しでも自信を持ってもらいたいなと、心から思った。
「そんなことないわ、フィリア。貴女は私の自慢のお友達だもの。もっと自分に自信を持てばいいと思うわ」
「自信、ですか……?」
「ええ。だってフィリアは今や学園中から『女神』って称えられて、王子様に見初められて、世間からは『聖女』って言われて……。私なんかじゃ逆立ちしたって一生なれないような、輝かしいものばかりをその手に持っているのだもの」
「えっと、でも……。私は正直、女神様なんかになりたくないですし、王太子妃にもなりたくありません。聖女だって、ただ……大好きなエリアス先生の隣にずっと立っているためには、普通の生徒よりも聖女になった方が文句を言われないかなって、そう思ったから、先生のために頑張ってなっただけで……」
「そっか……。本当にフィリアは、エリアス先生のことが大好きなのね」
「はい……。大好きです」
そう言うと、彼女はまた、少しだけ困ったように愛おしそうに微笑んだ。
フィリアはそう言って拒絶するけれど。……冷静な視点で言えば、王家からの直々の求婚を断るなんて、今のフィリアの立場ではきっと不可能なことだ。
このまま断り続けて、エリアス先生と二人きりで結ばれる道なんて、おそらくこの世界には残されていない。きっと、目の前のこの賢い子自身も、その残酷な現実に薄々気づいているのだと思うけれど。
「あのね、フィリア。私、貴女とお友達になったときに言ってもらった言葉に、今でも本当に感謝しているの」
「私の、言葉……ですか?」
「ええ。『恋は相手を好きになるって決めること。そして、相手のことを知ろうとすること』って。……あのおかげで、あれからの二年間、私は祖父が決めた許嫁が相手だったけれど、胸がドキドキするような『これが恋なのだわ』って思える素敵な経験を、たくさんさせてもらったのよ」
「それは……本当に、よかったです」
「ええ。だからね、フィリア。……もし、どうしても色々な事情に抗いきれなくて、王太子妃にならないといけなくなってしまったときは、すぐに私に言ってちょうだい」
「……?」
「そのときは、貴女のお部屋に行って、一緒にいっぱい、大声を上げて泣きましょう。涙が枯れるまで一緒に泣いて、泣いて……それで、フィリアがほんの少しでも前を向いて、少しだけでもジュリアン王子のことを『知ろう』って思えるようになるまで、私はずっと貴女の隣にいるわ」
私がそう告げると、フィリアは今にも泣き出しそうな、それでいて、何物にも屈しない強固な覚悟を秘めた瞳で、私を真っ直ぐに見つめ返してきた。
「コーデリアちゃん。私は、先生が好き。……まだ今は、先生以外の人のことは考えられないし、私は先生とただ一緒にいたい。だから……そんな、諦めるようなことは言わないで……。先生を諦めるなんて、そんな未来、私は絶対に考えたくない……っ」
「フィリア……」
そう口にした瞬間、彼女が必死に我慢していた大粒の涙が、その綺麗な目からぽろぽろと溢れ落ちていった。
「私は、ただ先生と一緒にいたいだけ。本当に、ただそれだけなのに……どうして周りのみんなは、そうやって私たちの邪魔ばかりするの……? 王太子妃なんて、絶対になりたくない。お姫様なんて……嫌だよぉ……っ……」
フィリアは下を向いたまま、その小さな肩をがたがたと激しく震わせて、子どものように泣き出してしまった。
私は静かに席を立ち、彼女の隣へと移動すると、その小さな身体をそっと優しく抱きしめた。
大好きな人と離れ離れにされてしまう底知れない恐怖。この先の一生、愛する人と人生が交わることがないかもしれないという絶望。彼女の心の痛みを思うと、私の胸まで張り裂けそうに苦しかった。
あのときの言葉を今のフィリアにそのまま当てはめてしまったことを、彼女を追い詰めてしまったことを深く後悔した。
「ごめんね、フィリア。私、変なことを言ってしまって……」
「コーデリアちゃん……っ……」
その日は、本当に帰りの時間になるまで二人で延々と泣き続けて、別れ際にお互いの真っ赤になってしまった目を覗き合わせて、二人で困ったようにちょっと笑い合ったのだった。




