第63話:再会はとても不安な出来事になってしまった
楽しい時間は瞬く間に過ぎていく。フィリアと魔法の議論を交わしているうちに、気付けば昼休憩の終わりが近づいていた。
「フィリア、午後からはどうするんだい? 授業は出なくていいのか?」
「あー……えっと。今日はサボります。それに、また神殿から魔獣討伐を命じられたり、先生と会うのを禁止されたりするかも知れません。だから、今日は久しぶりにずっとここに居ます」
「サボりを受理するわけにはいかないが……。まあ、今更か。というか、今日はここに来て本当に大丈夫だったのか?」
「えっと、私、本物の聖女になったから良いかなって。聖女になれば、もう誰からも文句は言われないはずです!」
「いや、色々と理屈が飛躍しすぎているよ。来てくれたのは素直に嬉しいけれど……」
その時、鉄の扉をトントンと規則正しくノックする音が響いた。
「すみません、エリアス先生。ジュリアン・フォン・アストリスです」
「あっ、はい、今開けます」
私が椅子から立ち上がったその刹那、目の前にいたはずのフィリアの姿が一瞬にして消え失せた。
慌てて目にマナを込めて周囲を見渡すが、気配すら全く見つけられない。何が起きたのか分からないまま、ドアを開けてジュリアン王子を室内へと迎え入れた。
「――こちらに、フィリア・レオンハルト嬢は、居ませんね?」
王子は鋭い視線で準備室の様子をぐるりと見渡した。
「ええと、さっきまではここに居たのですが」
「どちらへ行かれたか、心当たりはありますか?」
「特には聞いていませんが……何かあったのですか?」
「そうですか……」
ジュリアン王子はしばらくの間、何かを測るように考え込んでいたが、やがて真剣な表情をこちらに向けて問いかけてきた。
「エリアス先生は、今この王都で起きている異変に関して、フィリア嬢から何か聞いてはいませんか?」
「王都での異変、ですか? いえ、特には何も。フィリアとも、そんな話はしていませんでした」
「今、王都では前代未聞の奇跡が起きたと、街中が大騒ぎになっているのですよ」
「前代未聞の、奇跡……?」
「フィリア嬢が放ったという魔法の光が、王都中の怪我人や病人を一瞬にして癒して回ったのです。そのあまりにも絶大な救いの光に、民衆は沸き返っている。そんなあり得ない事態が、実際に起きているのです」
それを聞いた瞬間、私の背中に冷たい汗がジワリと伝わった。
そんな派手な真似をしてしまえば、ますますフィリアはこの部屋から遠ざけられてしまう。
「聖女になれば、先生と堂々と一緒にいられる」という彼女の幼い理屈は、国家の合理性の前では、むしろ逆効果でしかない。
会いに来てくれたことは胸が痛むほど嬉しい。けれどそれ以上に、彼女の危うさが最悪の形で表面化してしまったことに、私は頭を抱えたくなった。
周囲の状況や関係性を一切顧みず、自分の目的のためだけに一直線にぶっ飛んだ事をしでかしてしまう。それもまた、フィリアらしさと言えばそうなのだけれど。
「少し、エリアス先生にもお話を伺いたいのですが、よろしいですか?」
「ええ、午後の最初の授業の一コマ分であれば、お答えできます」
「分かりました。では、いくつかお聞かせください。まず、エリアス先生。貴方はフィリア・レオンハルトが、これほどの規格外の神聖魔法を使えるということを事前にご存じだったのでしょうか?」
彼女が本物の聖女の素質を持っていたという事実は、私もついさっき知ったばかりだ。となると、正しくは「知らなかった」になる。
「魔法演舞の時のような、非常に強力な魔法を扱えること、そしてその大まかな仕組み自体は知っていました。ですが、彼女がなぜそれほどの術式を展開できるのかという根本の理由に関しては、正直に言って知らなかった、というのが正式な答えになります」
「そうですか……。では、エリアス先生。その仕組みを知っているのだとしたら、先生ご自身も彼女と同じような魔法を再現できるのですか?」
「いえ、私には逆立ちしても出来ません。フィリアの構築する魔法は、理屈の上では確かに成立しますが、いざ実行しようとすると、自然界の精霊に対してこちらの意図を完全に理解させ、従わせるという絶対的な壁が存在しています。なぜかフィリアはその壁をいとも簡単に突破できるのですが、その理由は知りませんでした」
品定めされるような冷徹な問いかけは、正直に言って酷くやりづらい。
しかし対面している王子は、この深刻な事態をどこか楽しんでいるような、そんな底知れない余裕すら感じさせた。
「なるほど……。では、もしフィリア嬢が本物の聖女、つまり『精霊と直接の対話ができる人物』なのだとしたら、いかがですか?」
その王子の言葉に、私は一瞬、息を詰めて言葉を失った。
なぜ王子がその事実に辿り着いているのだ。私ですら、今日初めて彼女から打ち明けられた秘密だというのに。
「ええと……そうですね。もし本当にそうだとしたら、ただ驚くばかりです。……ですが、確かにそれならば、彼女の起こしたすべての奇跡の整合性は取れる、とは思います」
「先生も、その事実をご存じはなかった、と」
「はい。今初めて聞きました」
「そうですか……。ちなみに、彼女の扱う魔法の秘訣についてですが。なんでも『箱の中に赤い玉と白い玉が入っていてどうとか』という奇妙な話を小耳に挟んだのですが、これについては先生は何かご存じですか?」
赤玉と、白玉。――あぁ、完全に私の教えた確率論の基礎だ。
「あぁ、それは、はい。私が以前、フィリアに教えたものです。ただ、あれは魔法の呪文などではなく、ただの学問の基礎と言いますか……。不確実な事象を、厳密に整理するための思考の作法のようなものです」
「もし貴方が、例えば新入生のセレスティーナ嬢にこの作法を教えたとしたら、セレスティーナ嬢もフィリア嬢と同じような奇跡を起こせると思いますか?」
「どうでしょうね……。もしフィリアが、精霊と直接言葉を交わせることであの異常な出力を可能にしているのだとすれば、同じ能力を持つセレスティーナ嬢にも、理論上は同じことができる可能性はあると思います」
「つまり、セレスティーナ嬢にも再現の可能性がある、と?」
「理論上は、です。それほど単純なものではありません」
「分かりました。では、改めてエリアス先生には、セレスティーナ嬢のご指導をお願いしたい」
「それは神殿からの要請でもありますし、教師として、もちろん全力を尽くします」
ジュリアン王子はふっと視線を落とすと、少し間を置いてから、今度は妙に声音を落として聞いてきた。
「もう一つ、お聞かせください」
「何でしょうか」
「エリアス先生と、フィリア嬢は、男女の関係なのですか?」
「――っ!?」
心臓が跳ね上がるほどの動揺が走ったが、私はそれを必死に押し殺した。
「……男女の関係などでは、断じてありませんよ。私たちはあくまでも教師と生徒です。そこは一人の大人として、ちゃんと厳格に一線を引いて接してきたつもりです」
「そうですか。あまりにもお二人の仲が睦まじいように見えましたので、私はてっきり、既にそのような深い関係になられているのかと」
「周囲にそのような誤解を与えてしまったのだとすれば、それは私の不徳の致すところです」
「では最後に。もし、私がフィリア嬢に正式な婚姻を申し込んだとしたら、先生は私のことを恨んだりしますか?」
「こん、いん……? フィリアが、王太子妃に、ですか……? すみません、あまりにも現実離れしていて、少々想像がつきません」
「冗談などではありませんよ。彼女の持つ力は、それほどまでに我が国にとって絶対的なものです。聖女として、現世に舞い降りた女神として、彼女を我が王家に妃として迎えることは、極めて理想的であると考えています」
「フィリアが、王太子妃で、女神……。私には、ただの不器用な教え子にしか見えないので、何と申し上げてよいか分かりませんね」
「ええ。これまでの話を統合すれば、それほどの価値を持つ女性です。ただ、そんな政略を強行して先生に恨まれ、転じて女神の逆鱗に触れて国が罰を受ける、なんてことがあっては大変ですからね。だからあらかじめ、お聞きしたのです」
「そう……ですか……」
私はその冷徹な言葉に対して、一体どんな表情で、何と返せばよいのか随分と悩んでしまった。
正直に言って、まったく面白い話ではない。胸の奥が冷たくすり潰されるように痛んだ。
けれど、教師としての正論を言うなら、彼女が王太子妃という最高の栄誉を授かることを、私は笑顔で祝福すべきなのだ。
何より、ジュリアン王子にこの醜い嫉妬を悟られるわけにはいかなかった。
「うーん……あまりにスケールが大きすぎて全くピンと来ないのが本音ですが。……ただ、そのことで私が王子を恨むようなことは絶対にありませんよ。フィリアが、私の一番弟子が、心から幸せになってくれるのであれば、ですがね」
私のその精一杯の痩せ我慢を、王子は静かに見つめていた。
「……分かりました。色々とプライベートな領域にまで踏み込み、不躾なことをお聞きして申し訳ありませんでした」
王子はいつもの完璧な気品ある笑みを浮かべ、私に対して丁寧に頭を下げた。
「いえ、お気になさらずに」
「では、私はこれで失礼します。……もし、この後にフィリア嬢に会うことがあれば、私が彼女を探していたこと、そして一度入念に話をしたがっていたとお伝えください」
「はい、分かりました。必ず伝えておきます」
「それでは、私はこれから王城に戻らねばなりませんので、これで」
そう言い残すと、王子は足早に準備室を去っていった。廊下を遠ざかる足音が完全に消えるのを待つ。
しばらくの静寂の後、ソファーの上の空間が不自然に揺らぎ、スッとフィリアが姿を現した。
「……!? フィリア、ずっとそこに居たのか」
「ずっと居ましたよ。えへへ、王子様にも全然バレませんでした」
少しだけ誇らしげに笑ってみせるものの、その金色の瞳には、どこか不安そうな色が混ざっていた。
「ええと……先生。私、何かまた、まずいことをしてしまいましたか?私が王太子妃とか、変な話していませんでした?」
私はあまりの事態の重さに、本当にどう説明したものかと頭を抱えてしまった。
「ええと……うーん。まずは、さっきのあの光だけど、一体何をしたんだい?」
「あれは、周りのみんなに、私が本物の聖女であることを知ってもらうためにやりました」
「知ってもらうために?」
「はい! 私が立派な聖女になれば、その聖女を育てたエリアス先生も、国からとても立派な先生として認められますよね?」
「ええ……。まあ、理論上はそうなるね」
「その凄い聖女を育てた先生が、私と一緒に過ごすのはとても自然なことです。前みたいに二人っきりで居ても、もう誰からも文句を言われないし、先生が悪く言われることもなくなります。それに……もしまた先生が悪い人たちに襲われても、守ってあげますし、襲う方も襲いづらくなると思いました」
「……なるほど?」
「はい! これでまた、私は毎日ここに通えます。ずっと先生と一緒に居られますね!」
そう言って私を見上げるフィリアの顔は、本当に純粋な、一点の曇りもない笑顔だった。
国家としての政治的や軍事的な影響力を広範囲に考慮しているジュリアン王子と、私と二人きりの空間を取り戻したいという、子供のように純粋で狭い理屈だけで世界を動かしてしまったフィリア。
二人の見ている視界があまりにも違いすぎて、会話の前提が根本から全く噛み合っていない。
その決定的な歪みを、私は彼女にどう説明すべきかしばらく考え込んだが――結局、途中で辞めてしまった。
もし、そういう社会の仕組みや大人の事情を正しく理解できる子であるならば、彼女は最初からこんな極端な真似をしでかしてはいないのだ。
私は、胸の奥の重苦しいものを吐き出すように、本当に深く、深い、ため息をついた。
私が先ほど、半年ぶりにようやく感じることのできた、この小さくてささやかな幸福。大好きな人との、優しくて穏やかな楽しい時間。
それが本当にもう、これっきりで、二度と手に入らなくなってしまうのではないか。そんな不吉な予感が、私の胸を黒く染めていく。
フィリアが私を、この準備室の空間を大事に思って暴走すればするほど、世界がフィリアという存在の本質に気づき、そして私から、この静かな部屋から、彼女を遠くへと引き剥がしていく。
それがとても残酷な事に思えてしまった。
「先生……? 私、何か変なことを言いましたか? 間違っていましたか……?」
不安そうに私の顔色を窺う彼女の声を、私は優しく遮った。
「いや、大丈夫だよ。……とりあえず、今日はここでゆっくりしていきなさい。せっかく、久しぶりに来られたのだからね」
「はい!」
私はこれ以上、先の事を考えるのを辞めた。
まずは、目の前にあるこの小さな幸せにだけ、思考を集中させることにする。
久しぶりに見る、フィリアの無邪気な笑顔を、今は何よりも大事にしよう。
「ちなみに……よくあんな大規模な神聖魔法が瞬時に出来たね?」
「え? あれは大したことしていないですよ。広範囲に雑に回復や癒やしの術式をばら撒いただけですから。先生の記憶を見るための繊細なマナの操作や計算の方が、圧倒的に何倍も難しいです」
「あぁ……。まあ、君の基準なら、そうなるのか……」
本当に、私の大好きな女の子は、ちょっと変わっている。




