第61話:大好きな女の子は世界を変える存在になってしまった
「さて、じゃあ、改めていくつか聞きたいのだけど、いいかな?」
「……はい……」
泣き止んだものの、未だに目元が少し腫れて赤くなってしまったフィリアを前に、色々と積もる話はある。だが、とりあえずは今日の講堂での一件に関して、事実関係の確認から話をすることにした。
「まずは、一つ一つ丁寧に聞いていくね。……「どうして、急に『聖女になりたい』なんて思ったんだい?」
「私が聖女になれば、また先生に指導してもらえると思ったからです」
「……私がセレスティーナさんの指導を任されているから?」
「はい! その通りです!」
フィリアは、どこか「名案でしょう?」と言いたげに、ちょっと自慢げな顔で私を見つめてきた。
「……いや、色々と話の前提が飛躍しすぎている気がするが……。確かに、私が新入生のセレスティーナさんの指導を神殿から頼まれていたのは事実だけどね」
私のその言葉を聞いた瞬間、フィリアは途端にむっとした顔になって眉をひそめた。
「先生が、他の女の子と二人きりで仲良くするのは嫌です。セレスティーナさん、私なんかより美人だし、背も高いし、おっぱいも大きいし……」
「嫌と言われてもね……。それが教師としての私の仕事だよ」
彼女はさらに怒ったような表情を浮かべ、今度は身を乗り出すようにして私に食って掛かってきた。
「だから! 他の女の人に取られるくらいなら、私が代わりにその『聖女』になるんです!」
「だからといって、フィリアが急に聖女になると言ったところでね……。そもそも、私からフィリアに新しく教えられる神聖学の知識なんて、もうほとんど残っていないと思うのだけど……」
すると、フィリアは今度は一転して、文字通りこの世の終わりを突きつけられたかのような、凄くがっかりした、そして怯えるような表情で私を見つめてきた。
「そ、そんなことないです……っ! だって、先生はあの聖女をマンツーマンで指導する役割の人だって!」
「私が……聖女を個別に?」
「はい……そういうシナリオで、そういう未来だって……だから……っ」
そこまで口にして、フィリアははっとした表情を浮かべ、慌てて両手で自らの口を塞いだ。
――強烈な違和感が、私の脳内を駆け抜けた。
シナリオ? そういう未来?
この子は今、一体何を言っているのだ。ゲームのシナリオの存在を、なぜ中学生の彼女が……知っている?
私の頭の中で、話の整合性をつけようと、凄まじい勢いでいくつもの仮説が生まれては消えていった。だが……まずは、彼女自身の口からもう少し詳しく話を聞くべきだろう。
「もしかして、フィリア。君は……自分ではない『別の誰かの記憶』を持って生まれてきたりしたのかい?」
「そんなことは……ないです……」
「本当に?」
「本当に、です。きっと、そんなの先生くらいですよ」
「私、くらい……?」
「はい……」
その確信に満ちた言葉に、私はまた、様々な可能性を頭の中に思い描いては消していった。
フィリアが私の前世の記憶を召喚した本人だとか、あるいは、フィリア自身が実はこの世界の転生を司る神か女神の化身だったのか……。色々な超常現象の可能性を考慮したが、どれも今ひとつぴんとこなかった。
そもそも、私はこの世界が乙女ゲームの世界だなんて、誰一人に対しても口にしたことはないはずだ。
ならば、なぜフィリアがその秘密を知っているのか。改めて、そこをストレートに聞いてみるべきだろう。
「では質問を変えるけれど、どうしてフィリアは、私に『別の誰かの記憶がある』という事実を知っているんだい?」
私のその問いかけを耳にした瞬間、フィリアは一気に顔を真っ青に染め、全身をがたがたと震わせ始めた。
……ああ、なるほど。だいたい彼女がこんな風に怯えるときは、これまでの過去の経験上、「これで先生に完全に嫌われて、見捨てられてしまう」と思い込んでいるとき……なんだろうな。
私はふっと表情を緩め、努めて優しい声を彼女へと掛けた。
「大丈夫だよ。怒らないし、君を嫌いになったりもしないから」
「ほ、本当に……本当に怒ったり、私のことを嫌いになったりしませんか? 絶対に、絶対にですよ……?」
「うん。約束する」
「でも……」
「過去に私が、フィリアのことを本気で嫌いになったことなんて一度でもありましたか? 確かに、いくつか約束を破ってしまったことはあったかもしれないけれど、私はいつだって、可能な限り君との約束は果たしてきたつもりだよ」
「…………わかりました……。ええと……その。……先生の頭の中の記憶を……覗きました……」
「記憶を? ……覗く?」
「はい……」
今度は、私の頭の中が大量の「はてなマーク」で埋め尽くされる番だった。
記憶を覗くとは、一体どういうこと? フィリアは一体何を――。
「記憶を覗くって……一体どうやってそんなことをしたんだい?」
「そういう効果のある魔法を……自分で一から新しく開発して、先生に直接……」
「嘘だろ……っ!? フィリア……君、それは本当に凄いよ! 一体どんな理屈でそれができたんだい!?」
その告白を聞いた瞬間、自分のプライバシーや前世の記憶を覗き見されたという恐怖以上に、私の胸には一人の理系研究者としての純粋な好奇心が奔り、熱く躍動していた。
人間の脳細胞の活動から、一体どうやって非侵襲の手続きで記憶のデータを抽出し、言語化・視覚化させたというのか。
子どもの頃、数学や物理を極めたなら、いつか自分の考えを直接描写できる、そんな夢のようなブレイクスルーすら開発できるかもしれないと無邪気に憧れていた、幼き日の純粋な科学への想い。
それを、この目の前の小さな少女は、独力で完全に達成してしまったのだ。その魔術のプロセスに対する純粋な知的好奇心が、私の中で尽きることはなかった。
「そ、その……先生、本当に……怒らない、のですか?」
「あー、そうだね。うん、どうやったかは知らないけれど、勝手に他人の記憶を覗き見る行為自体は、よくないことだと思うよ。まあ、私の記憶くらいなら見られてもそこまで実害はないかもだけど……。それでも、もし次からそういう魔法をやるときは、絶対に私の承諾を事前に取ってからにしてほしい。約束できるかい?」
「はい……! 絶対に約束します!」
私とフィリアは、小指と小指を絡めて指切りを交わした。
「でも、自分でも悪いことをしたとは思っています……だから、やっぱり先生、そんな悪い子は……嫌……ですよね……」
「うーん、まあ、それも含めてフィリアかな」
私はにっこり笑って微笑み返すと、フィリアも少し嬉しそうに笑ってくれた。
そんな不器用なところも含めて、私の大好きなフィリアだから……ね。
「よし。で、で、具体的に一体どんな数理モデルを組んで、マナを干渉させたのか詳しく聞かせてよ」
「ええと……まず、脳とマナの波形同調に関する関係性を簡単に説明すると……」
そこから、フィリアは丁寧に、その自作した魔法のロジックを一時間ほどの時間をかけて私にノートでの記述込みで解説してくれた。
……はっきりと言って、その内容が凄まじすぎて、前世で大学数学を修めたはずの私ですら、彼女の言っている理論の半分も理解できただろうか。それほど難しい次元の数理モデルを、フィリアは至ってあっさりと口にしてみせたのだ。
「つまり、今の話を一旦まとめると……周囲に漂う微精霊たちを『量子ゲート』に見立てて空間に一斉並列で配置し、超大規模の確率演算を解くことで、脳のマナ波形から記憶のデータを逆算する『不良設定問題』を力技で収束させた、という話かい?」
「はい。大雑把に言語化すると、そういうことです」
私は思わず両手で頭を抱えた。
待て待て、それってつまり……この中世ファンタジーじみた異世界において、一人で「巨大量子コンピュータ」の演算環境を立ち上げて、脳から放射される超微弱なマナの解析を行ったということじゃないか……。
「理屈はわかったけれど……やっぱり、どうしても合点がいかないんだ。どうしてフィリアにだけ、そんなことが可能なんだい? 仮に数理ロジックを完璧に組み立てられたとしても、通常の魔術師は、自然界の微精霊に対してこれほど精密な計算機としての指示・命令を下すための手続きを結ぶことは絶対にできないはずだ」
「ええと……それはですね。その、記憶を覗いたのすらバレちゃったのでもう全部言いますけど……。でも、絶対に内緒ですよ? 私の能力を知って、怖がったりしないでくださいね……?」
「分かった、誰にも言わない。怖がったりもしないよ」
「それは……私が、精霊と直接、お話ができるから……です」
私は自分の額に手を当てたまま、今度こそ、そのまま天を仰いだ。
これまでの三年間の間で、彼女の周りで起きていたすべての不可解な現象のパズルが、今この瞬間、完璧な一枚の絵として完全に合点がいったのだ。
「ええと……つまり、フィリア。君は本当に――本物の『聖女』だった、ということかい?」
「そういえば、聖女の条件というのが、『精霊と直接対話ができること』でしたっけ……。となると、そうですね。私、やっぱり、最初から本物の聖女でした」
えへへ……と少し気恥ずかしそうに笑うフィリアだが、それを告げられたこちらの衝撃は、本当にそんな生ぬるいものではなかった。
「あ、でも、セレスティーナさんの周りにいる精霊さんたちに比べたら、私を助けてくれる子たちはちょっと内気で、力も弱いですが……。でも、みんな頭はとってもいいですよ!」
「ちょっと待って……。つまり、フィリアは、精霊と直接言語による対話ができることで、本来の魔術師が術式を展開する際に発生する『精霊との規約を握るための膨大なマナのコスト』を、ほぼ完全にゼロにしている。だからこれほどの精密な量子演算すら可能にしている……ということでいいのかい?」
「はい! 先生が教えてくれた大好きな数学のおかげで、いっぱい、いっぱい精霊達と楽しいお話をすることができました。精霊達、先生の数学はとっても合理的で楽しいって言ってくれています」
私は、改めてもう一度、準備室の天井を見上げて天を仰いだ。
はっきりと言って――これは、あまりにも世界の魔術体系から隔絶された、誰も登ることの叶わない遥か孤高の高い山の上に、フィリアという少女がただ一人でぽつんと立っているような状況だった。
紙とペンで魔法陣を描き、自然言語で「火よ出ろ」「水よ出ろ」と何となくのお願いをして魔法を駆動させているこの世界において。彼女ただ一人だけが、精霊たちを「超高性能な計算機」として直接ハッキングし、プログラミングコードを書き込んでいるのだ。
もっと言えば、その量子演算の計算結果をマナを通じてダイレクトに出力し、現実世界へ物理干渉する魔法として発現までできる……もはやなんでもありのチート的な存在がここに完成していた。
そもそも聖女の才能、精霊との直接対話のスキル自体が、この世界において何百万人に一人いるかいないかの超希少な存在である。
その希少なスキル持ちの少女が、たまたま世界を構造的な数理モデルとして見ることのできる不世出の天才だった。そしてそこに――他でもないこの私が、前世の知識である『数学』という、世界を構造的に正確に記述するための『言語』を与えてしまったのだ。
彼女はこれから先、その才能ゆえに政治的にも軍事的にも利用されるだろう。
一人の少女ではなく、便利で恐ろしい戦略兵器として扱われる未来すら、容易に想像できてしまった。
――けれど。だからこそ。
世界中を大きく変える力をその小さな身に宿してしまった、この人見知りで泣き虫な大好きな女の子を。
せめて私だけでも、一人の等身大の少女として、不器用な女の子として、隣に寄り添ってあげたいと、そう思ったのだった。
「先生、どうかしました? やっぱり私……」
「いや、なんでもない。何も気にしなくていいよ。フィリアはフィリアだから」




