第52話:(フィリアSide)それでも貴方は優しくて
目を覚ますと、私は真っ白なカーテンがかかった見知らぬ病室のベッドの上に寝ていました。
頭はぼんやりしていて、「そっか、病院にいるんだ」くらいにしか思えませんでした。
「それよりも……先生は……?」
私は起き上がることもせず、さっそく完成したばかりの監視魔法を使って、先生の状況を確認してみました。画面の向こうの先生は、ちょうど教壇に立って授業をしているところでした。
没頭してずっと開発していたこの魔法に、私は心から大満足でした。
「会えなくても、先生の姿をいつでも見られるのはやっぱりいいな……。授業だって、こうしてずっと見ていられる……嬉しい……」
そうして、大好きな先生の少し低くて落ち着いた声に耳を傾けていると、二年前に準備室でこっそりと受講していた記憶が鮮明に蘇り、胸の奥から懐かしい気持ちが溢れてきました。
しばらく先生の授業を眺めていると、看護師のお姉さんが部屋に入ってきて、温かいおかゆを持ってきてくれました。
ずいぶんとお腹が空いていたようで、薄味のおかゆが弱った身体に優しく染み渡り、とても美味しかったです。
少しだけお腹が膨れると、これまでの疲労がどっと押し寄せてきたのか、また急に眠くなってしまいました。私は精霊達に先生の監視と通知をお願いして、再び深い眠りにつきました。
まだ夏の暑さが残る、少し蒸し暑い病院のベッドの上。
ときおり窓の外から聞こえてくる蝉しぐれや鳥のさえずり、そして本のページを捲る音に誘われて、私が再びゆっくりと目を覚ますと――すぐ横のパイプ椅子に……。
「あれ……? ……ん、せ、先生ぇぇっ!? ど、ど、どうして、ここに……っ!?」
「あ、起きましたか。お身体の具合はいかがですか?」
「か、身体……!? え、あ……ええと……?」
あまりに突然の出来事に、私の頭は一瞬でパニックに陥りました。そもそも、なぜ私はこんな病院で寝ていたのでしたっけ……ダメです、頭がうまく回りません。
「本当に、心配したんですよ。護衛の騎士の方から、フィリアが自室で倒れたと連絡をいただいて」
「私、倒れた……? あ……そう、そうですよね。ここは病院で……」
エリアス先生は小さくため息を吐くと、少しほっとしたような、いつもの穏やかな優しい目で私を見つめてくれました。
「思った以上に元気そうな顔が見られて、何よりです」
「先生こそ……なんで、ここに……。だって、『会っちゃダメ』って言われていたはずじゃ……」
「ああ……そうですね。ええと……残念ながら、今日だけの特別らしいです」
少し残念そうに、困ったように笑う先生の顔を見て、私ははっと現実に引き戻されました。それと同時に、自分がしでかしてしまった取り返しのつかない過ち、大好きな先生に社会的な泥を塗っただけでなく、その生命の危険にまで晒してしまった自分自身への強烈な嫌悪感が、胸の奥底から毒のように芽生えてきました。
「ええと……その……本当に、ごめんなさい……。私のせいで、先生をあんな危険な目に遭わせてしまって……」
すると、先生は頭をぽりぽりと掻きながら、ひどく申し訳なさそうな表情を浮かべました。
「違いますよ、フィリア。君が謝ることなんか何一つありません。私こそ、君に謝らなければいけない。君がどれほど無理をしていたのか、ちゃんと見てあげられていなかった。本当に、申し訳なかった」
「そ、そんなことないです! 先生はいつも、ちゃんと私のことを見てくれていました! 私のほうこそ、先生にわがままばかりを押し付けて、それでこんなことになってしまって……」
「そのわがままを受け入れると決めたのは、私です。色々と大変なこともありましたけど……それでも、君と過ごす時間は、本当に楽しかったですよ」
そう言って、いつものように優しくにっこりと笑ってくれた先生の顔を見て、私は胸の奥がぎゅっと締め付けられるのと同時に、改めて強く確信したのです。
私は、この人が本当に、世界で一番大好きなのだと。
「私は、エリアス先生の弟子でいられたことを、心から誇りに思っています。だから……先生の方こそ、どうか気にしないでください」
「そう言ってもらえると、私の心も少し軽くなります。でもね、フィリアはまだ子どもなんですから、そんなに何もかも自分を責めないでください。今こうして病院のベッドにいるのだって、君が自分自身を追い詰めすぎてしまった結果と聞いています」
先生のその言葉を聞いて、私は少しだけ、むっとしました。
「先生。私は確かにまだ子どもっぽいかもしれませんけれど……それでも、先生には、私を一人の大人の、立派な女性だって思ってもらいたいです」
「無茶を言わないでください。君はまだ、中等部三年生の立派な子どもですよ。だからこそ、その事実を常に意識して、適切に君と接してあげなければならないのが、教師としての私の立場なんですから」
先生は苦笑いを浮かべながらも、その目だけは、壊れやすいガラス細工を扱うかのように、本当に愛おしそうに私を見てくれました。
「本当に……どこまでもエリアス先生らしいですね……。でも、私もいつか先生に認められる大人になれるように、一生懸命頑張ります」
「はい。お互いに頑張りましょう」
先生といつものように言葉を交わしているうちに、私の心を支配していた「先生に嫌われてしまったかもしれない」という暗い恐怖はどこかへと遠のき、私たちは二人で小さく笑い合うことができました。
やっぱり、先生は私の中で、何者にも代えがたい特別な人です。
「エリアス先生、そろそろ時間です……」
「え……? もう、行ってしまうのですか?」
「はい……残念ながら、あまり長居はできないみたいで。特別に、こっそりと許可された時間ですから」
部屋の入り口に立っていた護衛の騎士のお姉さんが、申し訳なさそうに私の前に進み出ました。
「先日は、私の伝え方があまりにも急でした。フィリア様をここまで追い詰めてしまったこと、本当に申し訳なく思っています」
騎士のお姉さんは、深く頭を下げました。
「ですから、私の一存でエリアス先生にお願いしました。少しだけでいいから、お顔を見せていただけないかと」
騎士のお姉さんのその言葉は、純粋に嬉しかったのですが、それと同時に「私は周囲に迷惑をかけ、大好きな先生に負担を強いてしまった」という現実を、冷徹に突きつけられるものでもありました。
『私……本当に頑張ります。必死で頑張って、これ以上先生に迷惑も負担もかけない、誰にも文句を言わせない、立派な『強い大人』に一刻も早くなってみせます……!』
「あまり、無茶な頑張り方はしないでくださいね」
そんな私の内面の変化など知る由もない先生は、いつもの優しい声でそう告げると、名残惜しそうに病室のドアを開けて出ていってしまいました。
本当に、ほんの短い、瞬きのような時間でした。
けれど、久しぶりに先生を近くで感じられたことはとても嬉しくて。でも、先生の姿が見えなくなってしまうと、世界が途端に灰色に染まり、耐え難いほどの寂しさが押し寄せてきて……。
私は再び布団の中に深く潜り込み、目からちょっぴり溢れてしまった涙で、ぎゅっと抱きしめた枕を静かに濡らすことしかできませんでした。




